goki哲学
ponzi
第1話goki哲学 ~苦悩~
わたしは記述式テストが嫌いである。択一式の方が相性が良い。わたしの文章というのは誰にも理解できないらしい。「LGBTの研究」ぐらい簡素な公式でも理解されないのだから恐らくそうなのだろう。現役時代、東京大学に不合格であったのもその辺に理由が。
日本語が不得手なのは承知している。東大落ちも採点官の無理解だけが原因ではあるまい。ただ、この年齢になっても。極めて平易な日本語で文学、研究を矢継ぎ早に発表しても、世の中から無視され続けるというのは。
思えば幼少期からこのような人生であった。要するにこの天才の存在が面白くないんでしょ。まるで世界中がたった一人の人間の存在を全否定しているような。わたしが19で発狂し今また壊れかけているのも、すべて理由があった。
単純に良いモノを創り続ければいつかは評価されるのだと、ずっと信じてきた。ナイーブであったか。どうもこの世界はそういう仕組みにはなっていないらしい。
「碩学のファインマン」や「LGBTの研究」を見せた後の、山本弁護士の心底悲しい目が忘れられない。東大法学部を優秀な成績で卒業し、実に60年も父と二人三脚でやってきた。高野長英の直孫でもある天才ヘテロが、わたしをあのような目で見ていたとは。彼は最初からわたしの才能を見抜いていた?
始めから全部知っていた?わたしの第二の父親同然であった山本先生ですらあのような対応なのだ。本来赤の他人の伊東乾先生たちが受け入れられるはずがない。
愚痴や不満になるが。今のわたしはあまりにも不遇を囲い過ぎていて。美夏ちゃんや柚里絵、彩花にも捨てられ、何もかもから見放された気分になっている。少し自分の人生を振り返り分析する事が必要ではないか。伊東乾に似てきてはいるが。自分語り。
「碩学のファインマン」が自伝風小説になったのも伊東乾の影響である。ああ言った自分語りは伊東乾に出会うまではほとんどした事がなかったのだが。40歳にしてここまで生き方が変わるとは想像もつかなかった。
文学賞を逃したときは正直編集者の無能が理由であると思ったが。突き詰めて行くとああいった反応は就職活動などでも同様であった。やはりわたしは人間に評価されるのが苦手である。記述式テストが苦手な理由もそこにある。恐らく誰からも評価されない理解されないまま一生を終えるのであろう。
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