優しさ

水無月

優しさ

15の夏、

母は死んだ。

事の経緯はごく単純、

あまりにも呆気ないものであった。

思い返せば、

幼少期の私は正直とても母を好いていた。

強くて優しい母が誇らしかった。

父は私が生まれてすぐに他界し、

母には頼れる身寄りが無かったため、

一人私を育てなければ

ならなかったのだという。

それでも母は仕事が終われば

いつも私と一緒に過ごしてくれた。

ある時は私が自転車にまたがり、

少し前進しては転げ落ちを繰り返し、

十数分の間で露出している箇所に

満遍なく傷ができて、

その様子を不安がる仕草で、

それでいてどこか微笑ましそうな表情で

私を離れたベンチで見つめ、

私が嬉しそうにどれほど進めたか自慢すると、母はとても嬉しそうな表情で私の頭を優しく、それでいて名残惜しそうに撫でて、

私をベンチに座らせ、

私が消毒液で渋い顔を見せては、

「いたい、いたいの飛んでけ~。」

と私に見せつけるように唱え、

頬を緩ませて笑いをこぼしていた。

それがなんだか面白くって、

私もつられるように笑ってしまう。

家路につくときには必ずといっていいほど、

近くのクレープ屋さんに 

連れて行ってくれて、

遠慮なしに山盛りの生クリームを

ねだる私に思わず呆れるような素振りをして、

でもどこか満足そうにして注文してくれて、

ひたすら美味しいと無垢な笑顔で

報告する私に「そうね。」、

と柔らかい表情で応えてくれた。

家に帰れば、

汗でびっしょりな服を脱がしてくれて、

一人分でも狭い箱の様なお風呂に一緒に入り、当たり前のように私の身体を労わるように

ゆっくりと丹念に洗い、

私もそれを真似るように母の背中を

そつなく洗うと、

母は穏やかな表情をして、

「ありがとう。」と言ってくれて、

私もなんだか満たされたようで嬉しかった。

湯船に浸かっては、

湯に浮かんでいるアヒルのおもちゃで

おままごとをしたり、

ついついはしゃいでお湯を絶え間なく

かけあってはお互いに見つめ合いながら

声高らかに笑いあって、

お風呂の後は、

一緒に横並びで母がやるように鏡にじっと

視線をやりながら見よう見まねで歯を磨き、

寝る前にはまだほのかに湿った

私の少し長くなった髪を軽くなぞるように、

長い時間をかけて優しくとかしてくれて、

そのまま母に守られるように

抱きしめられながら、

所々継ぎ接ぎが目立つ布団で温かさを感じて

夢心地のまま眠りについたものだ。

家は正直なところ、

得も言えないほど貧しかった。

それでも、

子どもの頃は自分の境遇に不満を覚えたことは一度もなかった。

母さえいれば、

母が私に優しさを与えてくれるかぎり、

私は誰よりも幸せだと信じきっていた。

けれど、

現実が私を浸食していくうちに、

私の世界は容赦なく乱暴に裂かれていった。

小学生の高学年にもなると、

言葉を覚え始めた同級生たちは、

拙い言葉と敢然とした態度という 

濁った常識観で周囲と、

当たり前と異なる私を貧乏呼ばわりして、

からかうだけでは飽きたらず、

憶測で私の胸の内のより所までも否定した。

始めのうちはそもそも理解が

追い付かなくって、

けれどだんだんと追い込まれるように

心苦しさを覚えていくうちに、

周囲を拒絶するようになっていたものの、

慈悲が保身や私欲と錯綜する現実に

抑圧されて、

信じ、

頼りにしていた自分の世界が 

取るに足らないものだと

自覚させられてからは、

気づけば、

自分の幸せとを引き換えに

慎ましく生きるようになっていた。

それからは、

わざと母を避けるようになり、

私は母を裏切ったのだ。

それから間もなくして、

いわゆる思春期というやつなのだと思う。

私は自然と母を避けるようになっていた。

あれほど心地よかったはずの聲は

今では煩わしくて、

温かったはずの手は妙に不快で、

最愛の人であったはずの母は、

素性のしれない赤の他人でしかなかった。

彼女のすることの何もかもが鬱陶しい。

毎朝意味もなく無駄に手の込んだ弁当を 

こちらが喜ぶのを期待でもするかのように、

気味の悪い表情で手をあてがうようにして

渡して、 

部活が終わって家に帰り、

食卓を中心にして向かい合えば、

仕事で疲れているはずなのに、 

終始意味もなくにこやかな表情でいて、

間が少しでもあれば一日の出来事を 

執拗に聞き出し、

部屋で勉強をしていれば頻繁に

立ち入ってきて、 

冷ややかな態度でそれを無視する私の目に 

つかないよう茶やら菓子を傍の本棚にのせて

部屋を出る。

そんな母の態度が気に入らなかった。

程度が虚ろな荒野を訳も分からず、 

ただ懸命に藻搔く私の所在を

知りえるはずのない他人に過ぎない彼女が、

いちいち視界に入り込んでくるのが

甚だ邪魔で仕方がないのだ。

それからも幾度となく私は母を拒んだ。

でもそれは母のことが心の底から嫌いだとか

そういった想いからではなく、

ただ私は自分のことが憎かった。

私は弱い。

手渡された愛情を、

いとも簡単に捨てるような醜い存在だ。

いまさら母の優しさを素直に受け取る

ことなんて到底できるわけがない。

だからこそ、

私は母にさっさと自分のことなど

見捨ててほしかった。

自分の娘は不出来で、

裏切り者で、

親不孝者だと認めてほしかった。

一言、

「...嫌い」。

そう言ってくれたらどんなに、

...どんなに楽だろう。

だからこそ、

私は母が嫌いだった。

それでも、

母は毎日のように私に話しかけ、

ご飯を作り、

「いってらっしゃい」を言い続けた。

その一言が琴線に触れるたびに、 

私はただ黙って家を後にするしかなかった。

それでも空は、 

私を無視するように、 

いつものように晴れていた。

それから高校に上がって最初の夏の朝、 

その日は珍しくひどく重そうで、

黒ずんだ雲が果てしなく佇み、

膨れ上がった雲からいまにも

激しい雨が降るかという空模様であった。

母はラジオから絶え間なく流れる

天気予報をしきりに気にしていて、

台所から耳障りなくらい、

傘*持って**な*いだとか、

車*送**かとか相変わらずのように  

声をかけてくるので、

私はただ目の前の味噌汁を頬張るのに

気をやって淡々と食事を終え、

そそくさと歯を磨き、

家から逃げるように玄関を駆け抜け、

急ぎ足で足を進める。

その時であった、

あまりにも突然に鋭く雷光がすぐ前に

流れ落ち、

瞬く間に大粒の雨が容赦なく降り注ぐ。

不意の出来事に少し呆気にとられるものの、

決心に促されるようにすぐまた足を進める。

服は乾気を失い、

服を貫いた雨が皮膚に吸いつくように

纏わりつき、

一歩、

一歩と踏みしめるたびに、

鼓動が荒くなるのを感じ、

寒気に不安を覚える。

それから少し歩いた先の交差点で信号を待つ。

不思議であった。

とても、

とても長く思えた。

呼吸するにも、

肺が詰まっているかのように苦しく、

目の前の世界が酷く静かに思えたその時、

「おーい!!」

それはいつも耳にする声であった。

長らく拒絶したはずの。

けれど、

もういいんじゃないか。

ふとそう思い、 

声のする方向を見つめる。

あぁ、

やっぱりそうだ。

大好きだった、

とても懐かしい母の...温かい聲だ。

「お母ーさん!!」

気づけば私はただ一目散に

母に抱きしめようと力の限り足を運ぼうとしたその時であった、

鈍い音とともに母が握りしめていた傘が

二本どこかへと飛ばされ、

視線のすぐ先には母であった肉身だけが..

あまりにもあっけなく.....ただ転がっていた。

訳も分からず戸惑う私をよそに

ことは円滑に進み、 

周りが涙を枯らすときにようやく

我に返った私は、

捻じ込まれる現実を吐き出すように

奥底の亀裂を押さえつけながら、

ひたすら情に煽られながら手を伸ばし続け、

ふと母の気配がして空を見上げると、

母はすでに空に連れていかれてしまった。

私はとても泣く気にはなれず、

ただ呆然と立ちすくむことしかできなかった。

それから今に至るまで時折、

母の影を近くに感じることがある。

母が使っていたコップ、

小学生のころに一緒に行っていたスーパー、

母が連れていってくれたクレープ屋。

どこにいても、

何をしても、

母を想わない日はなかった。

けれど、

それでも私は今まで生きてきた。

いや、

生きてきたというより、

求め続けていると言ったほうが 

正しいのかもしれない。

それからあまりにも自然に歳を重ね、  

気づけば今では大事な一人息子がいる。

最初はどうなることかと思ったのだけれど、 不思議なことに、

いつどんな時でも、

おかしいくらい世話を焼いてしまう。

息子が一日、

また一日と大きくなるたびに愛おしくて、

嬉しくって、

人目もはばからずについつい

抱きしめてしまう。

息子を愛すほど、

母の温もりは彼女のものだけでは 

なくなっていた。

いまだに母が亡くなったという事実が

胸襟に触れることはないけれど、

母の命日に息子と墓参りに行くたびに、

そっと手を握られたような気がして

不思議と優しい想いに満たされ、 

墓を前にすると、

なぜかそっと墓石に肩をあずけてしまう。

そんな私を見て気になったのか、

息子も私と同じように肩を墓石に寄せていて、

その姿がどこか懐かしくって、 

愛くるしくて思わず笑ってしまう。

そんな息子もいつの間にか中学生である。

あんなにいつも離れまいと

私の手を握りしめていた手は、

今ではずいぶんと厚くなり、

所々小さな傷もあって、

少し嬉しいような寂しいような。

そんなとりとめのない感想しか

ないのだけれど、

それでも愛すべき手であることには違いない。

息子はというと、

一緒に出掛けないか声をかけると

ひどく嫌そうな顔で無遠慮に断り、

食事の時もつい気になって 

身の回りのことを聞くのだけれど、

気が悪そうに黙られてしまう。

それでも、

可笑しいくらいに悩んでは奔走する息子が

これまた可愛げがあって

なんとも愛おしいのだ。

色々と避けられてしまう私ではあるが、

ひとつだけ必ず、

することがある。

そそくさと身支度を済ませて、

駆けるようにドアを開ける息子に

嫌でも聞こえるようにひとこと、

「いってらっしゃい。」

今になってようやく、

母の言葉を感じられた気がする。

いつでも、

どんなときでも、

あなたに愛を届けるための言葉。


優しさを...ありがとう。




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優しさ 水無月 @minazuki62022

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