葵の旅

@Blueeagle

第1話 葵と茜

 中学生の葵はいつもように母の声に急かされるように家を出た。急がないと学校に遅刻するがこの頃はそんなことを気にする葵ではなくなっていた。葵という名前から女の子だと思われるかもしれないが、れっきとした男の子だ。

 確かに色白で耳が隠れるくらいのカールした髪の毛なので小学生の頃はよく女の子に間違えられた。母の名前は向日葵だ。よっぽど植物が好きなのかというとそうでもないらしい。母は父のことを頑なに葵に話そうとしないので、父の記憶はまったく無い。葵は生まれた時からずっと母子家庭だった。

 都会から田舎に引っ越して来て、2ヶ月が経っていたが葵が学校に行ったのは最初の1週間だけだった。学校は嫌いだった。無視されるかいじめられるかのどちらかだったからだ。

 大楠山は葵のお気に入りの場所だった。ここからは東京湾と相模湾の海原が眼下に広がっているのが一望できる。展望台近くの斜面で腕を枕にきらめく水面を眺めていた。

「やっぱりここにいたのね」茜の声だった。茜は本当に不思議な女の子だ。葵とは同い年で東京では喘息の症状がひどいため、転地療養しているのだった。細身の体で肌が透き通るぐらい白かった。葵は茜が近づいてくる気配を感じたことがなかった。その茶色い瞳は憂いを帯びていた。

「茜はいいな」「なぜ」「だって転地療養というのは学校に行く必要ないんだろ」「ちゃんと勉強はしているわ。レポートも毎週提出しているのよ」茜の少し怒った表情が葵は好きだった。大の字になって青い空をゆっくりと流れていく白い綿のような雲を眺めていると何もかも忘れられた。

「茜はどこに住んでいるの。この村じゃないよね」隣に視線を移すと今までいた場所には茜はいなかった。いつも煙のように姿が見えなくなる不思議な少女だった。

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