チョコ膨張るるるるる黙秘

二晩占二

チョコ膨張るるるるる黙秘

 チョコは膨張しています。


 膨張して、茶褐色の膜が膨らんで、ぽん、と音を立てながら爆ぜました。湯煎に使っていたボウルは割れ、飛沫が跳ねます。私にはそれが、茶色い魚の様にうねって見えました。


 飛び跳ねたチョコは、床や壁のあちこちに付着しました。そして、くっついた先でまた、それぞれが膨張するのです。二日酔いのほっぺたみたいに、ぷくぷくもくもくと浮腫むくむのです。


 湯煎したチョコに「る」を混ぜると膨張します。


 こんな事は、小学生でも知っている、常識です。だから、こやつがポッケに隠し持っていた「る」をボウルの中に落としたのは、確信犯だったのでしょう。そうやってはなから、チョコと「る」を混ぜて膨張させるつもりだったのです。


 私は、怒っています。

 

 丹精と愛念を込めてとろとろに練ったチョコを、こやつは台無しにしたのです。甘い甘い乙女の恋心を、こやつは踏みにじったのです。



 どなたですか。



 私は尋ねました。

 私はこやつの素性を知りませんでした。こやつがこの部屋を訪れるのは初めてではありませんでしたが、私はこれまでこやつの事など、気にもかけなかったのです。

 その他大勢の下士官等々と同じ風に扱ってきたのです。


 こやつは返事をしません。黙秘です。

 きっと、隣国のスパイに違いありません。


 私はこやつを歯科椅子まで引きずっていって、無理矢理に座らせました。手首と足首に、牛革のストラップを巻きつけます。

 

 身動きを奪って、恐怖心を煽って。

 それからもう一度、尋ねました。



 どなたですか。



 やはり、こやつは返事をしません。黙秘です。

 この上は拷問もむを得ないでしょう。


 そうこうしている間にも、チョコは膨張していきます。ついでに「る」も増殖していきます。

 ボウルの破片を踏み越えて、部屋中にチョコが拡がっていきます。そしてその上を、大量の「る」が滑っていきます。


 チョコ。チョコ。チョコ。チョコ。

 るるるるるるるるるるるるるるる。


 チョコの膨張は止まる気配を見せません。次々に相方の「る」と出逢って、くっついて、増え続けます。

 少し前までは私の足首を埋める程度にしか積もっていなかったチョコでしたが、拷問器具を揃えようとうろうろしている間に、膝、腰、へそ、胸、と次々に空間を飲み込んでいきました。


 やがて、チョコは海になりました。


 茶褐色の粘液は透き通った命の水に生まれ変わりました。カカオと砂糖の甘ったるい匂いは浜風に混じり、消散しました。清々しい潮の香りが鼻先をそよぎます。


 突然、大きな波が押し寄せてきました。強靭な荒波が、私とこやつを一緒くたに飲み込みます。その拍子に、こやつの両手足に巻いたストラップが寸断されてしまいました。

 四肢の自由を取り戻したこやつは歯科椅子から立ち上がります。水面を波飛沫が舞います。



 あ、待ちなさい。



 私は手を伸ばしました。けれど、間に合いません。こやつは、私の手をするりとかわして、水面に浮かぶ大きめの「る」に飛び乗りました。


 そうして「る」の上で、得意げにバランスを取りながら、大波に乗って遠ざかっていきます。


 そうです。

 こやつはサーファーだったのです。


 いえ、こやつなどと呼んでは失礼です。

 先輩は私よりふたつも年上なのですから。


 先輩のことは、高校入学当初からお慕いしておりました。どんなに巨大な波も恐れず、玩具の様に戯れる、サーフィン部の部長でした。

 はだけた制服の襟元から覗く色黒の鎖骨がセクシーでした。


 私は教室の机に頬杖をつきながら、窓ガラス越しに先輩の姿を眺めました。海原の彼は、さながら勇猛果敢な戦士の様です。

 なぜこれほど素敵な先輩の事を、こやつなどと見間違えてしまったのでしょう。あのような間抜け面とは、似ても似つきません。


 そうこうするうちに、ミーハー女子たちがきゃあきゃあと独特の鳴き声を発しながら窓際に集まってきました。窓ガラスはすぐに色とりどりの頭髪に隠されてしまいます。人垣の影になって、先輩の姿は見えなくなりました。



 負けていられない。



 私はミーハー女子の群れをかき分けて窓ガラスを開け放つと、勢いよく海原へと飛び出しました。教室に荒波が打ち寄せて海水がどばどばと流入し始めましたが、気にしてなどいられません。


 制服が水を吸って重たく感じました。私はブレザーを脱ぎ捨てて、そして先輩に向かって泳ぎ始めます。


 せっかくのバレンタインデーなのです。

 この気持ちを届けたいのです。

 その一心で、私は精一杯に水をかき、泳ぎ続けました。


 やがて、波上に立つ先輩に追いつきました。私は、海水を両手のひらいっぱいに掬い取りました。

 透き通った海水は手のひらの上で色を取り戻し、チョコと「る」になりました。


「る」が邪魔です。

 私は息をふうふう吹きかけて「る」を弾き飛ばしました。そうすると、純粋たるチョコだけが、手のひらの上に残りました。


 そのチョコを、先輩に向けて差し出します。



 先輩。入学したばかりの頃から、ずっと好きでした。

 良かったら、これ、受け取ってください。

 


 沈黙が訪れます。


 先輩は差し出した私のチョコを受け取ってくれません。

 それどころか、身動きひとつしません。


 あ、とも、うん、とも言わず、突っ立っています。

 目線は斜め上を見つめています。

 何か隠し事でもしているかのようです。



 あ、これ、黙秘だ。



 私は、ぴんときました。

 やはり、こやつは隣国のスパイだったのです。乙女心を利用して、誤魔化すつもりだったのです。

 図々しくも先輩を語って驕って汚しやがったのです。


 差し出したままの手のひらの上、チョコは本命から義理へと急速に名を変えました。

 その義理チョコをこぼさないように、丁寧に、こやつの唇に押しつけます。こやつは口を開けようとはしませんでしたが、無理矢理に口角を引っ張ってねじ込みます。問答無用です。



 甘い? 甘いね。

 もっとあげるね。



 私はすでに肩まで浸かったチョコの海を両の手で掬い上げて、乱暴にこやつの口腔へ押しこみました。今度は「る」を取り除かなかったので、それが喉につっかえて、せかえります。


 咳と共にようやく開いたこやつの口の中は、チョコと「る」でいっぱいになっていました。


 チョコ。チョコ。チョコ。チョコ。

 るるるるるるるるるるるるるるる。



 美味しい? 美味しいね。

 もっとあげるね。



 私は次から次へ、チョコと「る」を掬い上げて、こやつに流し込みました。

 口の中はすぐにチョコと「る」で溢れかえりました。なので、他の穴にも流し込みました。


 鼻にチョコと「る」。

 耳にチョコと「る」。

 目にチョコと「る」。


 チョコ。チョコ。チョコ。チョコ。

 るるるるるるるるるるるるるるる。


 爪の付け根にチョコと「る」。

 肩の古傷にチョコと「る」。

 甘ったるい息にチョコと「る」。


 チョコ。チョコ。チョコ。チョコ。

 るるるるるるるるるるるるるるる。


 はっぴい、ばれんたいん。

 愛を、こめて。

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チョコ膨張るるるるる黙秘 二晩占二 @niban_senji

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