天之光

清水 惺

第一章 天之光と白兎の誘い

〇 プロローグ

 こつ、こつ、こつと回廊に足音が響く。

 檜の床にくつを鳴らして歩くのは一人の、いや、一柱の大男。


 高天原たかまがはら・皇宮。

 古今東西、天地を含めて日本で最も煌びやかな建物。


 その城の主の元へ、男神は一通の封書を携えて向かっていた。

 位襖いおう白袴しろきはかまを身につけ、さながら奈良に都があった頃の武官。

 筋骨隆々で文官仕事など似合いそうにない。

 しかし、この男神。高天原において外務を取り仕切る高官であった。


 武の神・建御雷尊たけみかづちのみこと

 彼は、天孫降臨に先立ち、地上・葦原中津国あしわらのなかつくにに暮らす国津神くにつかみとの交渉を担った。

 その結果、国譲りは円満になされたのだ。


 ……。

 見る者によっては脅迫の如く思えたかもしれない。

 反発する大国主命おおくにぬしのみことの息子を力で制圧し、剣で脅したのは事実だが、しかしながら日本列島の受け渡しの際にはお互いに笑顔であった。

 少なくとも彼にとっては円満になされたのだ。

 その実績と功を以て、現在も外務を任されている。


 神々の世界というものは、世界各地に存在しており、ここ日本の高天原もその一つ。

 人間の国家間の関係同様、天界間においてもその関係は複雑である。

 なにしろ世界各地の天界を統べる機関などは存在しない。利害がかち合えば、各々交渉によって、揉め事を解決しなければならない。

 力ある外界の神が跋扈し、高天原に不利益を生じさせる可能性を考えれば武芸に秀でて胆力のある建御雷が外向けの顔となるのは悪くない選択といえる。


 そんな建御雷のもとに一通の封書が届けられた。

 外交官どうし連絡を取り合うことは常であるため、部下に預けられた書簡に目を通すことは珍しくない。

 しかし今回は様子が違った。

 差出人より封書を預かってきた使者、その者が無視できない大物であったのだ。


 オリンポス十二神に数えられる神々の使者ヘルメス。

 いつもならば、オリンポスからの手紙は彼の息子の半神か、彼に仕える人間が配達を担っている。


 ヘルメス程の大物がわざわざ来たとあらば、木っ端役人に対応を任せる訳にもいかない。

 報告を受け、待たせているという建御雷宮・応接間に向かえば、ヘルメスは疲れたような、申し訳ないような顔をして待っていた。


 建御雷が部屋に現れたことで、ヘルメスはいくらか笑顔を見せる。

 そして、突然訪ねて申し訳ないと言いながら一通の封筒を差し出した。


 宛先は高天原の長。

 送り主はオリンポスの長。


 つまりは親書であった。

 

「ゼウスは是非にと。私としては……うん、よくよく考えていただきたい」


 そう告げて、ヘルメスは他の天界へと発っていった。


 親書とあらば、勝手に封を開けて読むわけにもいかず、建御雷は自らの宮を出て皇宮へと向かった。

 

 主宰神の執務室の前で控える近侍に取り次ぎを頼む。


「建御雷様がお見えです」

「入りなさい」


 部屋の中からは凛とした声が返ってきた。

 建御雷は、急いで来たことで緩んだ襟元を軽く正す。


「失礼します」


 扉の先には二柱の神々が待っていた。

 旭光を象った髪飾りをつけた女神と、皺は刻まれているが老いを感じさせない顔立ちの男神。

 部屋の主、天照大御神あまてらすおおみかみ。そして天照同様、政務を担う高御産巣日神たかみむすびのかみである。


「オリンポスのヘルメスより、こちらを預かりました」


 受け取った封筒には封蝋がなされており、印璽は雷の紋章。


「ゼウスから?」


 封を開けて中身を確認する。

 その手紙の内容は、美しい女神の顔を曇らせるものであった。

 読み終えた手紙を高御産巣日に渡すと「これは……」と彼もまた眉間に皺を作ることとなった。


「拝見しても?」


 建御雷の言葉に天照が頷き、手紙は高御産巣日から建御雷へと渡る。


「本気かしら?」

「冗句にしてはセンスがない」


 建御雷も読み終える。

 確かに、ヘルメスが直接届けにきただけのことはある内容であった。


「返答はいかがいたしますか」


 建御雷の問いに天照はしばし目を閉じて考える。


「否と言いたいところですが、簡単に一蹴してよいものでもないでしょう。詳細を知らねば、是非の判断はしかねるといったところでしょうか。高御産巣日、あなたはどうお考え?」

「その方向で良かろう。まあ向こうとて、こんな手紙一枚で賛同を得られるとは思っていまい。話し合いの場に参加すれば義理は果たせる。しかし、ゼウスは随分お怒りのようだな」


 筆跡を見て、高御産巣日は僅かに笑った。

 手紙は、体裁を整えようとしているが、所々、どこか怒りや苛立ちが垣間見えるような乱暴な字が見受けられた。


「オリンポスの総意ととってよいものでしょうか。怒りにまかせたゼウスの独断という可能性もありますが」

「確かに。去り際のヘルメスは、よくよく考えてほしいと何やら含みのあることを言っていました。ゼウスの懐刀があれでは、賛同していない者も多いのでは」

「いや、ヘルメスは神託のため人との交流が他の神々より多い。それ故の憐憫。少数派であることも十分に考えられる」


 高御産巣日が顎に手をあてて考え込む。

 少しののち、腕を下ろしてひとつ疑問を口にした。


「この手紙。受け取ったのは我々だけか?」

「ヘルメスは、ここを発ち極楽へと向かいました。おそらく同様に親書を届けに行ったものかと」

「そうか。では、そのうち評議会が開かれるな」

「そうですね」


 女神はふっと小さくため息をはいた。

 ただでさえ神々の仕事は気苦労が多い。自身の采配ひとつが、人、動物、植物問わず多くの命に影響を及ぼす。

 外界よりもたらされた波乱に付き合うよりは日々の職務を十全になしたいというのが本音であった。

 伏せられた目に憂いも帯びようというもの。

 しかしながら、共に世界を支えている神の要請である。無碍にもできない。

 覚悟を決め正面を見据えた。


「こんな大仰な言葉を用いるのです、それなりのことがあったのでしょう。評議会へは私が参加します。建御雷、あなたは返信を届けて、その後オリンポスに残り情報を集めなさい。高御産巣日、高天原は任せますよ」


 命を受けた二柱は、首肯し、各々の仕事に取りかかるべく退室した。

 部屋に残った天照は窓の外を見つめる。

 そこには青々とした木々が並び、天安河あめのやすかわをおりなす清か水がささらめく。また、遠くでは白く澄んだ雲が、海のように広がっており、豊かな自然とともに幻想的な景色を作っている。

 この穏やかな景色は、いつも心を落ち着かせてくれた。

 そっと窓を開け、風を浴びる。


(この世界は、どこへ向かおうとしているのでしょうね……)


 女神はひとり、この世界の行く末を憂う。

 天照の髪を撫でたそよ風は、執務机の手紙をふわりと床にさらった。



『人類が呪詛を用いて天界に侵攻してきた。神々への挑戦、反逆だ。神罰に協賛求む ゼウス』

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