第27話 彼女の半生

 稟と二人きりになった。今朝の饒舌さは鳴りを顰め、お互い、無言で座卓を挟んで見つめ合う。

 

 稟は時折、僕から視線を逸らした。多少の躊躇いがまだあるようだ。緊張を解そうと他愛のない話をしたり、敬語抜きでの会話を提案したりしたものの、稟が本題を切り出すまでに、しばらくの時間を要した。


「……私がこの町に帰って来たのは、茉莉花まつりかのぞみが理由」


 思いがけない人物の名前が稟の口から発せられて、僕は驚きを隠せなかった。


「信じられないかもしれないけど、私は彼女の妹なの。母親が別だから、異母姉妹っていうのかな」


「妹……そうか、それで」


 ラムネやミサ達が警戒していた理由に得心がいく。正体を隠した昔馴染みの血縁という響きは何やら穏やかじゃないし、中途半端な繋がりが変な勘繰りに導いたかもしれない。希と僕の関係をほとんど知らない九波からしたら、それがどうした? 状態なのも頷ける。


「私、中学校に入学するまで愛人の子だった。父親はずっと単身赴任中だって母から聞いていたから、事実を知った時はショックだったのを今でも覚えてる。父は姉さんのお母様と離婚し、すぐに私の母と再婚して、母はとても喜んでいたけれど、私は複雑な気持ちだった。母親の違う姉が同じ市内に住んでいることは聞いていたから、その子にどう思われているんだろう、偶然、出会ってしまったらどうしようって、不安でいっぱいだった」


 中学生という多感な時期に、そんな世間の柵を意識しなければならなかったのは気の毒だ。出生に関して、稟には何の責任もないのに、それを負い目を感じていたということは、周囲からそういう心無い言葉をぶつけられたことがあるということなのだろう。


「中学一年の秋、自宅のマンション前で姉さんと出会ったの。姉さんは私に会いに来たと言ったから、嗚呼、どんな罵倒を受けるんだろうって内心ビクビクしていたけど、姉さんは笑顔で『初めまして、茉莉花希です。あなたのお姉さんだよ』って」


「希らしいね」


「うん。その後は、親や友人達に内緒で連絡を取り合ったり、二人で遊びに出かけたりした。両親は周りから略奪婚とか不倫夫婦とか言われて肩身が狭かった中、お互いに対する鬱憤も溜まっていた時期だったし、私も学校でいろいろと噂を立てられていたから、姉さんとの関係は話し辛かった。いつも隠れるように、群咲から少し離れた場所で会ってもらうのは申し訳ない気持ちもあったけど、私にとって姉さんと過ごす時間は唯一の救いだったから。姉さんはいつも快活で、優しくて、卑屈になる私を励ましてくれて」


 稟はこれまで見せたことのない穏やかで温かみに満ちた微笑を見せる。


 希と稟、二人が連れ立って仲睦まじく町中を歩く姿が想像できる。希は難波節で姉らしく振る舞っていただろうし、稟はそんな希を慕っていただろう。


「私の中学卒業に合わせて、両親は結局、離婚して、私は九州の母の実家に移ることになった。姉さんとはずっと連絡を取り合っていたけど、姉さんのお母様が体調を崩されて、休職せざるをえなくなった時、生活が厳しくて進学のための貯金も切り崩していることを後から知ったの。姉さん、子どもの頃から保育士になるのが夢で、そのためにずっとお金を貯めていたから、私も力になりたかったけど、何もできなくて。父を頼ってみたらと言ってみたんだけど、姉さん、頑固だから。しばらく連絡もなくて、気が気でなかったんだけど、ある日、男友達の家に住まわせてもらうことになったから安心してって言われて……私、すごく不安になった。友達って誰? それって援助交際なんじゃないの? 姉さん、騙されてない? って」


 僕は苦笑するしかない。いくらなんでも事情を端折り過ぎである。その情報量の少なさじゃ近場にいない稟は心配して当然だ。


「でも、その男友達が昂良君だって聞いて、安心した。昂良君の話は姉さんがよく話してくれたから」


「いやぁ照れるな。趣味は善行、特技は人助け、みんなの良き隣人・柊昂良って昔から評判だったからね」


「女好きだけど、チキンだからって」


「なんかその伝わり方は嬉しくないな!」


 稟はくすくすと笑った。久しぶりに聞いた希の独断と偏見に満ちた人物評と、それを楽しげに話す稟を見て、僕も何だか嬉しくなった。


「姉さんが亡くなる前に、群咲に帰っておいでよって言ってくれたの。仕事やお金のこともあって、今更になってしまったけれど、その時に姉さんから頼まれたことをきちんとやっておきたかった」


「頼まれたこと?」


「昂良君と友達になって、姉さんがこの家に残してきた私物を回収してくることって」


「なるほど……だから稟は、あの部屋に執心だったのか。あそこが希の部屋だって気付いてたんだ?」


「確信はなかったけど、何となく、そんな気がしたから」


「でも、何で希はそんな回りくどいことを稟に頼んだんだろう? 言ってくれれば、すぐに返したのに」


「……きっと、姉さんは昂良君が私の友達になってくれればって思ったんじゃないかな。昂良君は顔が広いから、私にも群咲での知り合いにたくさん引き合わせてくれることを期待して」


 確かに希の性格を思えばそうとしか考えられなかった。稟にとって群咲での生活は辛い事ばかりではなかったと思うけれど、両親のことで陰口を言われたり、周囲から距離を取られてしまったことだってあっただろう。その経験は、久し振りに戻ってきた故郷で人間関係を取り結ぶことの障害となって、一歩を踏み出すことを難しくさせる。無理やりにでも稟を引っ張ってたくさんの人々と引き合わせることができる奴といえば、この僕しかいない。


「あの……どうしても昂良君に近づきたくて、家事手伝いの応募からいろいろと強引なことをしてしまって、ごめんなさい」


「ははは、別に構わないよ。でも、何で話す気になってくれたの?」


「今朝からラムネさん達の態度が硬くなったから。私、そういう変化に敏感なの。きっと皆さん、私の出自を知って警戒してるんだなって思って」


「そっか……プライバシーを暴くようなことして悪かったね」


「いいの、昂良君達の安全のためには必要なことだもの。私、柊家で働くって意味を少し軽く考えていた」


「しかし、いくら仕方なかったとはいえ、慣れない色仕掛けとか使って、苦じゃなかった?」


「そうでもなかったよ? やってみたら案外、楽しかった。昂良君は、黒髪で胸が大きい子が好きだって聞いてたしね」


 稟は悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「間違ってないけど、こうして面と向かって言われるとめちゃくちゃ恥ずかしいな。希は僕に関してロクな話してないってことが分かったよ。で、稟の隠し事はもうない?」


 躊躇いなく稟は首肯した。その端正な相貌に、もはや憂いや後ろめたさは感じられない。まるで重荷から解放されたように、晴々とした柔和な微笑みがそこにはあった。やはり彼女は根が正直で、駆け引きや腹の探り合いを好まない性格だったようだ。大人びた見た目とは裏腹に、無邪気で素直な一面が彼女の魅力なのかもしれない。


「じゃ、今度は僕の番か。薄々、気づいていたかもしれないけど、君の身上は調べさせてもらったし、行動は花乃達に逐一監視してもらっていた。今日、急にラムネ達の態度が硬くなったのも、稟が希の妹であることを隠している点が不審だと考えてのことなんだ。僕が希と幼馴染だったのはみんな知っているし、妹の君が素性を隠して柊家にやってきたというのは、どんな目的であれ、悪い方に考えてしまいがちだから。本当に申し訳ない」


「気にしないで。私が正直に話さなかったのが悪いの。私、卑屈になるのがクセになってしまって、正直に話して昂良君に受け入れてもらえなかったらどうしようって、そんなことばかり考えてしまっていたから」


「その気持ちは分かるよ。だから、僕は君を追い出したりしないし、このまま仕事を続けて欲しいと思ってる。稟さえ良ければだけど」


「……いいの?」


「勿論。仕事は丁寧かつ申し分ないし、君は秘書や執事としての素養も兼ね揃えた得難い逸材だよ。それに同い年の友人で美人ならなお嬉しい。是非、柊家の一員になってくれればありがたいよ」


「……ありがとう。昂良君ってどんな人にでも優しくできるのね」


「それは買い被りだね。人より多少、おおらかなだけで、嫌いな人間には冷淡にも残酷にもなれる。でも、僕は僕の好きな人達が幸せでいてくれるとすごく嬉しい」


 はたから聞けば歯の浮くような台詞だけど、紛れもない僕の本心だった。他者の喜びが自身の喜びと直結する精神構造が人間に特有だとすれば、僕は誰よりも人間臭い自信がある。


 柊家の人間として生まれつけば、常に身の回りを世話する人々がそばにいて、彼らなしに日々の暮らしは成り立たないことがよく分かる。一人では自らの命すら守れず、腕利きの隠密だって雇う。あらゆる営みの中でたくさんの人々の助けをけ、僕はこうして心穏やかに生きているのだから、彼らにもそうであってもらいたいと思う気持ちは人一倍強い。


 ――自分だけが幸せというのはどこかで必ず角が立つ。みんなが幸せであれば大抵のことは丸く収まる。世の中そういうものだ。


 祖父で育ての親でもある昂通たかみちは、生前、口癖のようにそう繰り返していた。もはや刷り込みかもしれないけれど、みんなが幸せであることに重きを置く柊昂良という人間はその一念を核として出来上がっているのだ。


「さて、蟠りもなくなったことだし、僕達の家に帰ろうか。稟にはまだまだ話さないといけないこともあるけど、差し当たり、ラムネ達の誤解を解くのが先だね」

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