第13話 その手紙は悪戯か?

 混沌を極めた定例会議を切り上げ、九波、稟とともに『アチュウ』に移動してきた。


 天気は快晴。穏やかな陽光が窓から差し込み、開店前の静けさの心地よさを引き立てる。気持ちの良い朝は気分も高揚するものだが、生憎、会議の収穫がなくて徒労感いっぱいの僕はテーブルに顔を突っ伏していた。


「桜まつり、どうしようかなぁ。なんかこう、我を忘れて情熱を傾けられる出し物でないと食指が動かないなぁ」


「三砂さんの提案どおり、定番の焼きそばとかにしません? 需要はあるわけだし」


 相変わらず面白味はないが、九波はこういう時、至極真っ当な意見を言う。


「いや、わかるよ。焼きそばたこ焼きりんごあめ、射的にくじ引き金魚すくいは祭りに欠かせない。が、僕は実行委員会はじめ町のみんながあっと驚く斬新なものをやりたいんだよ」


 目立ちたがり屋だなぁ、と九波はぼやく。


「僕が目立ちたがり屋だって!? 失敬な。僕はただ、町のみんなの期待に答えようとしているだけだよ。断じて注目を浴びて持て囃されたいとか、あわよくば女の子達からの人気もかっさらいとか、そういう下心はない」


「ちょっとは隠してください、その下心」


 稟は対面でノートパソコンを操作し、過去の記録を確認していた。すでに午前中に予定していた仕事は片付けたそうで、その要領の良さと手早さには恐れ入る。まだまだ先の話かと思っていたが、こうして秘書業務も少しずつ関わってもらっている今日この頃である。


「柊家の皆さんは毎年参加されているのですね」


「うん。地域貢献の一環でね。毎年、ネタを考えるのもこの通り一苦労なんだよ」


 稟は興味深そうにパソコンの記録に見入っていた。去年、好評だった『VS忍者』の記録とか面白いのかもしれない。惜しまれつつも終了した人気テレビ番組のパクリだが、一般人が忍者の身体能力に挑戦できる柊家ならではの企画になった。


「昂良さんはお祭りがお好きなんですか?」


「クールで物静かな見た目の割に、どんちゃん騒ぎは結構好きだね」


 見た目からひょうきんな感じ出てますよ、という九波の茶々は無視する。


「中でも夏祭りは格別だよね。クラスメイトの女子の浴衣姿に一目惚れ、結い上げた髪とうなじにドキドキしながら、ひとしきり屋台を回り、慣れない鼻緒に足を痛めた彼女を背負って神社の境内で花火を見ながら手を繋ぐ……ベタな展開だけどそこが良い」


「夏祭りが好きっていうか、デートイベントが好きなだけじゃないですか――あ、花乃さんですよ。郵便物かな?」


 九波の予想通り、パタパタと小走りでやってきた花乃が手に持っていたのは長三形の茶封筒だった。


「昂良ちゃん宛ての手紙が来てたから、好奇心で勝手に開けちゃった。でも心の広い昂良ちゃんなら許してくれるって、私、信じてるから!」


「勝手に信じてもらって構わないけど、僕は良くも悪くも周囲の期待を裏切るのがモットーだから覚悟しておいた方がいい。だいたい、プライバシーは個人の聖域云々の発言は一体どこに――」


「差出人が書いてなかったからね、ラブレターかもって思ってワクワクして開けたんだけど、なんかちょっと想像していたのと違うんだよね。九ちゃんも見てくれる?」


 無視された上に当人を差し置いて回し読みとは、この国の人権は一体どうなってしまったのだ。


「じゃ、拝見します。えーと、『貴方は何も知らない。けれど私は知っている』……へぇ、最近じゃこういう不気味な文面で相手の気を引くのがトレンドなのかぁ」


 呑気な九波だったが、稟は怪訝な表情で手紙の文面を見つめていた。


「あの……申し上げにくいのですが、これは脅迫状なのでは? 差出人も書いていない上、まるで明るみに出ていない悪事を告発或いはそれを材料に強請るかのような内容かと……」


 一同、しばらく沈黙。静寂を破ったのは危機感ゼロの九波の一言だった。


「ま、前衛的な愛情表現ということにしておきますか。昂良さん、意外にモテてんじゃん」


「嬉しくないな! 愛さえあれば不気味な投書も許されるなんて法治国家にあるまじき蛮行じゃないか」


 稟は封筒まで仔細に観察し、差出人の手掛かりを探してくれていた。


「昂良さん、このような手紙を差し出す方に心当たりはありますか?」


「ない……と言いたいところだけど、興味本位で怪文書とか送りつけてきそうな性根の悪い知り合いは結構いるんだよね。あららぎとかえのきとか」


「ふふふ、交友関係がお広いですね」


 嗜虐的な微笑は稟なりの皮肉だろうが、嫌な気はしなかった。


「何にせよ、品行方正、清廉潔白、聖人君子かくあれかしと謡われるこの僕が、こんな悪趣味な投書で他人に指弾される謂れも脅迫される筋合いもない。悪戯と考えるべきだろうね」


 九波は改めて怪文書を眺める。


「昂良さんが聖人君子かどうかはさて置き、確かにこの文面は告発するにしろ脅迫するにしろ具体性に欠けていますから、悪ふざけの可能性が高いですね。誰にでも一定の不快感をもたらす文言だからこそ、没個性的というか――」


「それだ! つまり、標的ターゲットは誰でもいいんだ。見ず知らずの誰かが手紙をもらって諸事に疑心暗鬼する様子さまを見て愉しんでいるに違いない。なんと小癪な愉快犯、この僕が成敗してくれる」


「あーもう、気が短いんだから昂良さんは」


 店から出ようとすると、まだ開店前なのに、気が早い来店客に道を塞がれる。僕の行く手を通せんぼしたのは、地味だが質の良いスーツを着こなす小太りの中年男性と、人の好さが全身から滲み出る長身の優男。馴染みの二人組ではあったが、また面倒事を持ち込んできたのかと思うと、堪らず溜め息がついて出てしまう。


「お早う、諸君」


 陽気なおっさん――父方の叔父である柊昂暁ひいらぎたかあきは、挨拶のつもりなのかピースサインを見せつけてくる。茶目っ気というかお道化てみせているのだろうが全然笑えないから腹立つ。


「叔父さん、店の開店は十一時だって何度も言ってるでしょ。軽く営業妨害だからねコレ。ラムネにチクろっと」


「やめてくれ! ラムネに嫌われたら立ち直れない! 昂良が美人秘書さんを新しく雇ったって聞いたから、一目見ようと出勤前に立ち寄っちゃっただけなんだよ。そうだ、だからむしろお前が悪いじゃないか、うん、そうだそうだ」


 不惑を超えて年甲斐もなく浮ついたことを言うわ、滅茶苦茶な責任転嫁してくるわ、始末が悪い中年だ。僕の後を追ってきた稟の姿を目敏く認めて、叔父さんは相好を崩した。


「はじめまして。君が古戸森稟さん? いやぁ、聞いていたとおり、ホント別嬪さんだなぁ。あ、俺、昂良の叔父の昂暁です。よろしく。昂良にいやらしいことされたらすぐに教えてね。はい、コレ、俺の名刺」


「ご丁寧にありがとうございます――警察にお勤めなのですね」


「そう、だから安心して通報してよ」


 馴れ馴れしいおっさんの軽口にも動じず、礼儀正しく対応できちゃう稟はさすがプロだと感心してしまう。


「用は済んだだろ? 僕は悪党を捕まえに行くのに忙しいから、早く帰りなよ」


「悪党? なんだ物騒だなぁ。物騒ついでに、昨日の事件のことについて話したいんだけど、いい?」


「嫌だ聞きたくない。これから出かけるって言ってるじゃないか」


「話したらすぐに帰るからさ、コーヒーだけもらえたりする?」


「図々しい客だなぁ」


 物腰は柔らかいが、叔父さんはテコでも動きそうにない。おとなしく話だけ聞いてさっさと追い返すが得策か。


「……椚木もコーヒーでいいかい?」


「ありがとうございます、先輩。お邪魔してすみません」


「まぁ悪いのは叔父さんだから。心平さん、申し訳ない。コーヒーを人数分、入れてもらえます?」


 もちろん、と快諾してコーヒー豆を準備する心平さんと、無言で手早くテーブルの準備をしてくれる初寧さん。開店前の忙しい時分だというのに、不平不満の一つも言わず対応してくれる二人には、後で叔父さんから詫びの品でも届けさせようと思う。

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