番外編

番外編   ラファエルが時計塔に①

 どういうわけだか、ラファエルが突然フォンデュに会いに行きたいと言い出した。とある昼下がり、日課の筋トレと屋敷周辺のランニングを終えた頃であった。


「あ〜〜〜、やっと筋トレする時間が取れたぞ。最近は雑務ばかりで、うんざりだった」


「その雑務ってのが、君の本業だろ? まさか筋トレだけして一生を終えるつもりじゃないだろうね」


「……」


「マジかぁ」


 ベネットが苦笑しながら肩をすくめていた。心底呆れているわけじゃないのは、なんだかんだでラファエルがちゃんと仕事をこなしてくれているから。


 ラファエルはまるで嫡外子のごとく身内から扱われてきたそうだが、跡取りが自由人だの大病を患い治療に専念したいだの、いろいろな都合が重なりに重なって、現在の公爵の地位に至るという、幸運なのか不運なのかよくわからない男だった。本人いわく筋トレに割く時間が圧倒的に減ってしまい、筋肉がしぼんでしまわないかと心配する日々が続くと、辛くなってしまうと言う。自分の筋肉を、心の底から愛しているのだな。


 さて、侍女が持ってきたタオルを受け取って体中の汗を拭き上げていたラファエル、その筋肉の仕上がりっぷりをキノコに褒められて、はたと手が止まった。


 ラファエルの視線は、私の腕の中のガラス球へと注がれていた。


「なあヒューリよ、そのキノコのご婦人の声は、ここではないどこか遠くの時計塔から届いているのだろう?」


「そうだ。名前をフォンデュという。姉思いの、良い娘だぞ。体は器械でできているが、私よりよほど女性らしい見た目をしている」


 あの細い腰に大きなスカートを模したパーツたちは、一種の芸術であると認識している。


 ラファエルが頭をぼりぼり掻きながら、なにやら視線が泳いでいた。


「俺も……一度で良いから、お会いしてみたいな」


「へえ?」


「フォンデュ嬢は、いつも俺の筋肉を褒めてくれる。この前なんて、筋肉育成計画の予定表と、食事の献立を考えてくれたのだ。いつか直接会って、お礼が言いたいと常々思っていた」


 常々……。このキノコと会話するたびに、そんなことを思っていたのか。


 私はキノコを通して、フォンデュに今のことを説明した。すると、


「それでは、ラファエル様のご予定が空いたときにでも。お待ちしております」


 良い返事が貰えた。喜ぶラファエルに、なんだかこっちまで嬉しくなったぞ。


 私は夫に振り向いた。


「ベネット、ラファエルをフォンデュに会わせてほしいのだが、お願いできないだろうか」


「もう断れる雰囲気じゃないよね。ヒューリって無自覚にそうやっておねだりしてくるから厄介だよなぁ」


「ん? どういう意味だ?」


「ん〜と、ヒューリがすごく可愛いって意味」


 か、かわっ……なんだいきなり! 人前でやめろ! 恥ずかしくないのか。私は恥ずかしいぞ。


 ここ最近、ベネットが突然このような発言を投下してゆく。そして何事もなかったかのように仕事に戻ってゆくものだから、私だけいろいろな意味で置いていかれてしまう。


「それじゃ夕飯前に、ささっと会いに行く? ラファエル、大丈夫そ?」


「うむ。シャワーを浴びて着替えたら、すぐにでも向かおう。楽しみだ!」


 この二人のフットワークの軽さよ……。ぼやっとしていたら置いていかれてしまう。私も支度をしないとな。



 夕飯前に出かけるということは、帰りが遅くなるかもしれないから侍女たちにお弁当を用意させる、という意味だそうで。私はベネットと自分のお弁当を詰めるために、厨房を借りていた。


 ラファエル邸に住み込みで働くようになってからというもの、身につける物がだんだんと周りに似てきて、今では白いエプロンに三角巾をかぶっている。


 食事の支度は侍女に任せてしまってもよいのだが、なんだか今日は、フォンデュにも私のお弁当と、ベネットと上手くやれていることを、見せたかったんだ。自慢という意味ではなくて、私とベネットが今どういう関係性にあるのかを、フォンデュに、できれば好意的に受け入れてもらいたいんだ。


 フォンデュはベネットのことを、毛嫌いしている。けれど、二人とも私の大切な存在なのだ。片方と縁を切ってしまうだなんて、考えられないくらい、二人とも私の宝物だ。もちろんラファエルもだ。


 私の宝物である三人の仲が、少しでも良くなってくれたらな……。


 ラファエルの弁当は、さすがに身元不明の魔女が作るわけにはいかないということで、侍女たちがこさえた。まあ、至極全うな理由だな。ラファエルの身に何かあったら、大勢の人間が困り果てるし、それは私の望むところではない。


「よし、できた」


 ニンジンのベーコン巻きと、卵焼きと、ふかふかにできた煮魚、それと最近ドハマリしているお米も炊けたから、丸く握って、弁当箱に詰める。二人分、同じ弁当箱だ。


 あつあつのまま蓋をすると、水滴が発生して、食べ物が傷んでしまう。なので、弁当がひんやりするまで魔法で熱を奪い取った。


 汚れても目立ちにくい茶色い包みで、きゅっと結ぶ。うん、上出来だ。


「あのぉ」


「ん?」


 振り向くと、侍女たちが気まずそうにもじもじしながら立っていた。


「さっきの魔法、旦那様のお弁当にも、かけて頂けませんか?」


「ああ、構わないぞ」


「ああよかった! では、さっそく!」


 そう言われて指さされた弁当箱は、何段重ねなのかパッと見では判断できなかった。


「ヒューリ様はお優しいですよね〜」


「旦那様の急なお出かけの際のお弁当時は、いつも助けて頂いて、とても感謝しております」


「これぐらい、お安いご用だ。ラファエルは忙しいヤツだから、弁当を持たせるのが大変だよな」


 夫のベネットも、ラファエルに追従して仕事に向かうため、どのみち私は夫のために弁当を持たせてしまうのだった。


 えっと、あい、さい、弁当、とか言うんだよな……。ベネットはそんなこと意識せずに「毎回わざわざ作ってくれてるけど、なんで侍女に任せないんだろ、変なヤツだなぁ」とか思いながら食べてそうなんだよな……。



 この短時間でどうやって清潔を保っているのか、不思議になるほど短い行水だったラファエルが、今日はいつもより少し長かった。そして、


「待たせたな」


 現れたヤツは髪を撫でつけて、上質なベストにジャケット、なんだか良い香りがただようが香水でも使っているのだろうか。普段のぼさぼさ半裸男が、見違えるようだ。


「うわあ、どうしたのラファエル。めちゃめちゃ気合い入ってるじゃん」


 そう言うベネットは、いつもの作業着に、あのデカいゴーグルとぶかぶか白衣姿だった。もうちょっと、なんというか、彼に似合った服装があると思うのだが……どうアドバイスしたらよいやら、私も服装に詳しくなくて、いつも言いたいことがノドに詰まってしまう。いつか誰かに服を見立ててもらってほしいものだ。


 私は、ここに来てからというもの、なるべく黒は着ないようにしていた。黒は、過去の色だ。カーとお揃いだし、個人的にも好きな色だったけれど、あれを身にまとって兄への復讐に燃えていた当時も思い出してしまうから、今日は薄い黄土色のワンピースを着ている。腰には黒のリボンを巻いて、シルエットをしゅっとさせている。ちなみに、ベネットに適当に見繕ってもらった服だった。だ、だって、私自身では何が似合うのか、さっぱりわからないんだ……。


「では、参ろう!」


「めっちゃ緊張してるじゃ~ん。なんか今日のラファエル、おもしろい」


 私も始めて番人に会いに行ったときは緊張したものだが、ラファエルのそれは、当時の私が抱いていた感情とは違うものに感じる。気のせいだろうか?


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