怪しい侍従

「あれは……」


 通路の陰でこちらを見ているのは、先程応接室に僕達を呼びに来た、あの侍従だった。


「? どうかなさいましたか?」

「ええ……あの侍従なんですが……」


 不思議そうに尋ねるアビゲイル皇女に、僕は目配せをする。


 だが。


「…………………………」


 そんな僕の仕草に気づいたようで、侍従はその場を離れて行ってしまった。

 それにしても、僕達を監視する目的なのなら、もう少し上手くやるはずなのに、あれじゃすぐに気づかれてしまうよ。


 ……いや、ひょっとしたらわざとかもしれないな。

 何よりあの身のこなし、ただの侍従とは思えない。


「アビゲイル殿下は、あの者をご存知ですか?」

「いいえ。この皇宮で一度も見たことはありません」

「そうですか……」


 となると、僕達が遠征に出ている間に、新たに雇い入れたということか。

 少なくともどこかの貴族家の者であることは間違いないだろうし、ちょっと調べたほうがいいな。


「……後ほど、クレアにあの者について確認させます」

「ありがとうございます」


 僕の意をみ取ったアビゲイル皇女が、そう言ってくれた。

 遠征時もそうだったけど、彼女はいつも僕を気遣い、先回りしてはこうやって支えてくれる。


 思えば、彼女の思いやりは婚約の調印式からずっとそうだよね。


「やはり、あなただけですね」

「あう……」


 僕の言葉の意味を理解したアビゲイル皇女は、顔を赤くしてうつむいた。

 こうやって照れてしまうところも、可愛くて仕方ない。


「そ、それより、早く庭園に行きましょう」

「あっ」


 僕の手を引き、早歩きをするアビゲイル皇女。

 そんな照れ隠しがまた可愛らしく、僕はクスリ、と笑った。


 ◇


「どうでしたか?」


 ちょうど夕食を終えたところで、しばらくそばから離れていたクレアが戻ってきて、アビゲイル皇女は短く尋ねる。

 もちろん、例の侍従について。


「はい。確認いたしましたところ、侍従の名は“コスモ=ハミルトン”。皇国の北端にあるハミルトン男爵家の者のようです」

「ハミルトン男爵家……知らないですね」


 名前を聞くも、アビゲイル皇女が知らないところを見ると、ハミルトン男爵というのは辺境の小さな領主といったところか。

 だからこそ、僕は逆に気になってしまう。


 そんな地方の男爵家の者が、どうしてこの時期に皇宮に侍従として出仕しているのかが。


「正式に侍従となったのは一か月前。私達が遠征に出発した日から一週間後になります」

「……まるで、私達の不在を狙っているとしか思えません」

「なら、考えられるのはブリジット殿下ということでしょうか……」

「…………………………」


 僕がブリジットの名をはっきりと告げると、アビゲイル皇女が押し黙る。

 彼女も、僕と同じことを考えたのだろう。


「急に姿を見せたパトリシア妃殿下も、ブリジットの母君です。となれば、隙を突いて一気に攻勢を仕掛けてきたと考えるのが妥当でしょう」

「はい……」


 ただ、分からないのはコスモ=ハミルトンという侍従と、ブリジットの関係だ。

 ブリジットの派閥には有力貴族が多く、子爵や男爵の類は余程財を成している者しか加わっていない。


 ブリジットからすれば、役に立たない下位貴族など邪魔なだけだから。


「クレア。ハミルトン男爵というのは、貴族の身分としては低いが、それなりに財力を持ち合わせていたりするのか?」

「いいえ。どこにでもいる地方貴族のようです。領地も北端に位置している関係で、寒冷のために作物なども育ちにくく、かなり困窮しているかと」

「ふうん……」


 クレアの話を聞いて、ますます引っかかる。

 ブリジットがわざわざ皇宮に侍従として招き入れたのだから、何かあるのは間違いないんだが……って。


「アビゲイル殿下?」

「その……果たしてその侍従、ブリジットの手の者なのでしょうか……」


 僕の手にその小さな手を添え、アビゲイル皇女がそんな疑問を投げかけた。


「ですが、状況から考えれば、ブリジット殿下以外にそのようなことをする者が思い浮かびません。それに、ブリジット殿下は今もノルウィッチに滞在しています。皇宮内を掌握するためにも、自身の手の者を入れておくのは自然のことかと」

「だからこそです。これではまるで、ブリジットが何かを企てていると、わざわざそう言っているようなものではありませんか」

「あ……」


 確かに彼女の言うとおりだ。

 僕は最初から、全てブリジットの仕業であると決めつけていた。

 ゴールトン伯爵の件や、エドワード王の容体が悪化したことを踏まえて。


 だけど、もしこれが別の者の仕業だとしたら。


「……クレア。悪いがあの侍従……コスモ=ハミルトンを監視してくれ。ただし、深追いはするな」

「かしこまりました」


 クレアは、うやうやしく一礼する。

 ゴールトン伯爵の一件でもそうだが、彼女は少し暴走するところがあるから少々不安だけど、今は頼るしかない。


「アビゲイル殿下は、当分僕と一緒に行動してください。もちろん、公務や派閥の面々とお会いされる時もです」

「はい」


 敵が誰なのか分からず、視界に霧がかかったような気分だが、まずはできることをするしかない。

 僕は一抹いちまつの不安を覚えつつも、拳を握りしめ、彼女を必ず守ってみせると心に誓った。

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