その居場所は、手に入らない ※クレア=コルベット視点

■クレア=コルベット視点


 あろうことか皇都襲撃を画策し、休戦協定を一方的に破棄してきたヴァルロワ王国に侵攻するため、主君アビゲイル殿下達を乗せた船は目的地マルローへ向けて海路を進んでいる、のですが……。


「うう……っ」


 情けないことに、私は船酔いしてしまいました……。

 初めて船に乗った前回……アビゲイル殿下とギュスターヴ殿下の婚約の調印式の際は大丈夫だったのに、やはり今回は海が少々荒れて揺れが激しいからでしょう。馬車や馬でも、このような揺れを経験したことはありません。


「大丈夫か? 船室で少し横になっているといい」


 ……よりによって、私の体調に気づいたのはギュスターヴ殿下ですか。

 この人だけには、知られたくなかったのに。


 とはいえ、このままここにいても迷惑になるばかり。

 私は頷くと、船室へ向かってゆっくりと歩く……って。


「ギュ、ギュウターヴ殿下!?」

「そんなおぼつかない足じゃ、転んで怪我をしてしまうぞ」


 で、ですから、そうやって私の身体に易々と触れたりしないでください!

 あなたには、アビゲイル殿下という大切な婚約者がいるのですよ!


 などと一言も二言も言ってやりたいのに、私はただ押し黙ってうつむくだけ。

 本当に、この人は……っ。


「じゃあ何かあったら、そこの伝声管を使うんだよ」

「…………………………」


 私を船室まで送り届け、ギュスターヴ殿下は再び甲板へと戻っていった。

 彼がいなくなると、私は毛布で頭まですっぽりと覆う。


「あの人はいつもそうです。誰にでもこうやって、すぐに優しくして……っ」


 ゴールトン伯爵の脅迫を受けて二人を引き裂こうとした私でしたが、ことごとく失敗し、逆に許されて気遣われる始末。

 しかも、その失態によってゴールトン伯爵に始末されそうになった私を、わざわざ救った人。


 アビゲイル殿下に迷惑をかけまいとして自暴自棄になった私を、本気で叱りつけた人。


「……どうして、あの人のことばかり」


 それからというもの、私の脳裏に浮かぶのはギュスターヴ殿下の顔。


 ヴァルロワ王国の役立たずの王子でしかないはずなのに。

 アビゲイル殿下の婚約者であるはずなのに。


 私とは、絶対に結ばれることのない人なのに。


「こうやって私の心をかき乱すところは、まるでレオノーラ妃殿下と一緒です」


 アビゲイル殿下の母君であり、第一皇妃のレオノーラ妃殿下。

 小さな頃からアビゲイル殿下の侍女を務めていた私に、いつも優しくしてくださった御方。


 私は、レオノーラ妃殿下が大好きだった。


 そういえば兄様にとって、レオノーラ妃殿下は初恋の女性ひとでしたね。

 私が心配だからと適当な理由をつけては、いつも勝手に皇宮にやって来てレオノーラ殿下にいいところを見せようと必死になっていました。


 皇国の矛と呼ばれるほどの強さを手に入れたのも、全てはレオノーラ妃殿下に認めていただき、お守りするためでしたし。

 兄様がアビゲイル殿下にご執心なのも、ギュスターヴ殿下に対して思うところがあるのも、アビゲイル殿下がレオノーラ妃殿下の忘れ形見だからですからね……って。


「……今は兄様のことなんかどうでもいいです。それより、ギュスターヴ殿下のこういった無自覚なところ、何とかしないと」


 揺れる天井を見つめ、私は爪を噛む。

 あのような優しさを見せるのは、アビゲイル殿下だけでいいのです。


 ただの侍女でしかない私にそのようなことをするのは、アビゲイル殿下に対して不誠実です。

 やはり彼は、殿下の婚約者に相応ふさわしくありません。


 そんなことを考えては、またギュスターヴ殿下の顔を思い出し、私はかぶりを振る。

 お願いだから、私の心の中から出て行ってほしい。


 そうじゃないと、苦しくて仕方がないから。


 すると。


「クレア……お身体はいかがですか?」

「ア……アビゲイル、殿下……っ!?」


 突然アビゲイル殿下が部屋を訪れ、私は勢いよく身体を起こす。

 まさか、私などのためにこちらにいらっしゃるなんて、思いもよらなかったから。


「ご、ご心配をおかけし、申し訳ございません」

「無理をせずに横になりなさい。マルローに到着するのは、早くとも明日の午後になるのですから」

「は、はい……」


 ……明日の午後まで、この揺れが続くということですか。

 どうやら私の命運は、ここで尽きるようです……って。


「ふむ……顔色が悪いな。早くよくなればいいんだけど……」

「あ……」


 アビゲイル殿下の後ろから顔をのぞかせたのは、ギュスターヴ殿下。

 ……ご一緒にいらっしゃるのも、当然でしたね。


「いずれにせよ、ちゃんと安静にしているんだぞ。その……いつもの悪態がないと、張り合いもないからね」

「……余計なお世話です」

「あはは、それだけ口がきければ大丈夫だ」


 私が不機嫌に顔を逸らすと、ギュスターヴ殿下が苦笑した。

 隣にいらっしゃるアビゲイル殿下は、表情こそ変わらないものの少し不機嫌なご様子。


 その証拠に。


「ギュスターヴ殿下。クレアがゆっくり休めませんので、私達はそろそろ行きましょう」

「あ、そうですね」


 ギュスターヴ殿下は頷き、アビゲイル殿下の手を取って部屋から出ていく。

 アビゲイル殿下は、隣に並ぶ彼の横顔を見つめていた。


 私には絶対に手に入れることのできない、その居場所・・・から。


「…………………………」


 二人が出ていった後の扉を見つめ、私の胸は、きゅ、と締め付けられた。

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