23.呪いの強さ(アーサーside)
絶望に打ちひしがれている私を、父と我が家の秘密をすべて知っている執事のマイクが必死になって勇気づけてくれた。
月が満ちている夜は抗えなくとも、吸血したい欲求はかなり理性押さえられること。
今は薬もあり、人の生き血など吸わずともいられるということ。
現に父は母が亡くなってから薬しか飲んでいない。
そして何より本物―――実際に存在するのか不明だが―――の吸血鬼のように不老不死でなく、人と同じように寿命がある。
血の欲求さえ抑えられれば人と何ら変わらないということ。
ただひたすらに空しい理由を並び立て、必死に私を慰め続けた。
『血の欲求さえ押さえられれば・・・』
数日掛けて説得され、少し落ち着いてきた私は、その言葉に僅かな希望を抱いた。
そうだ、それさえ我慢できれば・・・。
既にローゼに恋をしている私だが、彼女への吸血の欲求は理性で抑えられるはずだ。
彼女の血を口にすることがなければ・・・、彼女の血に味を占めるようなことがなければ大丈夫なはずだ。
父だって先代だって一度口にしてしまったが故に、その極上の味と香りと恍惚感の虜になってしまったのだ。
あの異常なまでの喉の渇きも、薬を飲めば何とか治まった。
だから、満月の時だけ薬に頼ればいい。
間違っても絶対に、どんな状況になろうとも、彼女の血が自分の口に入らないように、彼女の味を覚えないように最善の注意を払えばいい。
そう己に言い聞かせられるまで、気持ちが落ち着いてきた。
結婚式の十日前。私は式前の最後の打合せとして彼女と会う約束をしていた。
緊張してマクレガン邸へ向かう。
まだ月が満ちている時期だが、昼間であれば特に理性を働かせて抑えるほどの血の欲求は生まれないと父から教えられていた。
それでも緊張は消せない。ましてやこんな醜い秘密を胸に抱えているのだ。その意味でも緊張が拭えない。
マクレガン伯爵家の執事に迎えられ、客間に通される。
そこには花のような笑顔で私を迎える婚約者がいた。
彼女を見た途端、自分に掛けられた呪いがどれほど強力なものなのかを思い知った。
彼女から漂う異様なまでの甘い香り。
可愛らしい彼女には似つかわしくないほどの妖艶で官能的なその色香に、クラクラと眩暈を感じ、同時に心臓が急激に早打ちを始めた。
彼女に対して持っていた愛情の中にある秘めた欲情が一気に身体中から湧き上がってくると同時に、あの嫌な欲求も同じくらい沸いてきた。
自分でも信じられなかった。
ここに来るまで誰に会おうとも何も感じなかったのに。
自分の邸のメイドなど女性の使用人に対しても、この邸の人たちにも、一切何も感じなかったのに・・・。
彼女だけは違った。彼女に対しては溢れるほどの愛情と欲情を感じる。それだけじゃない。それだけじゃ・・・。
肉と血に飢えた獣のように体が震える。それほど彼女を求めていた。
自分が思う以上にずっと深く彼女を愛していたようだ。
―――ここに居ては危険だ!
ハッと我に返り、必死に理性を呼び寄せる。
このままでは彼女を襲い兼ねない。色々な意味で。
そうして何とか放った言葉・・・。
「君も分かっているとは思うが、これは政略結婚だ。私に愛されたいという思いを持っていたら捨ててくれ。その期待には応えられない」
感情のままに貴女を愛したらきっと貴女を殺してしまう。
父と同じように・・・。
逃げるようにマクレガン邸を後にすると、急いで馬車に乗り込んだ。
そして、万が一の為に持参していた薬を取り出すと一気に仰いだ。
禁断症状のように震える手。上手く飲めず、汚らしく口の端から零れ落ち、服を汚していく。
赤く色づいた服は何て汚いのだろう・・・。本当の血を貪った後のようではないか・・・。
瓶を床に投げるように落とすと、両手で顔を覆った。
涙が止めどもなく溢れてくる。
「何で・・・、何でこうなってしまったんだ・・・」
私は一人、馬車の中で泣き崩れた。
★
結婚式の日は幸いにも新月だった。
ただでさえ昼間の上に月がない。それでも念のために先に薬を服用して式に臨んだ。
厳かな教会の祭壇の前で神父と共に花嫁を待つ。
扉が開き彼女が見えた時、その美しさに心臓が止まりそうになった。
薬のせいか理性のせいか新月のせいか・・・。彼女を見てもあの異様な感情に襲われることは無かった。
今はただ愛しいと思うだけだ。
私はゆっくりバージンロードを歩くローゼに見惚れていた。
夢心地で彼女を待っていたが、隣に立った時、彼女から甘い香りが漂ってきた。
途端に自分の中で警笛が鳴り、理性を集中させた。
なんということだ。
新月な上、真昼間だというのに、彼女の魅力はこんなにも強いなんて。
誓いのキスを唇にするなど、とてもそんな勇気はなかった。
理性が崩壊する可能性を回避するために、額にそっと唇を落とす。
それでも、触れた唇に甘い香りが残り、欲を消す為に慌てて拭った。
その行為がどれほど彼女を傷つけてしまうのか、その時は考えている余裕などなかった。
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