第16話
あれから一週間、拝島舞と夏目優衣から距離を置いた。
もちろん部室にも顔を出していない。できるだけ関わらないようにわざと避けていた。具体的に言えば一人でいないように心がけた。
そうすれば自然と話しかけづらいだろうと思ったから。
実際、その効果があった。
何度も拝島舞は僕の近くに来ようとした。そして口を開こうとした。
謝罪の言葉でも伝えようとしたのかもしれない。
しかしそれを無視して山田君や小野寺君などと会話した。そんな光景を見て山田君も小野寺君も困ったような表情をしていた。
それから拝島舞は何か言いかけていた言葉を飲み込んで帰っていく。そんなことが何度もあった。彼らには申し訳ないけど、それに付き合ってもらった。
そんな生活を続けた。
そして六月中旬を過ぎた。
梅雨のせいかもしれない。じめじめとした空気がしていた。曇り空が多くなった。連日梅雨前線が日本列島を覆っていた。
こうも雨ばかりであると、気持ちも晴れないような気がした。
六月十七日、昨夜、日付が変わる前にメールを受信した。
久々に師匠から招集がかけられた。
『師匠』という登録表示を見てびっくりした。
土曜日夕方五時前の梅田珈琲の店内は閑散としていた。外は有難いことに快晴だった。
僕は招集時間の一〇分前に店内へと入り、一番奥のテーブル席へと腰を下ろした。
しばらくすると師匠は時間通りに店内へと入ってきた。カウンターの奥にいたマスターにブレンドコーヒーを頼んだ。それから師匠はこちらへと進み「春斗君久しぶり」と言って僕の向かいに座った。そして「急に呼び出してすまなかった」と申し訳なさそうに言った。
「いえ、問題ないです」
「そうか……」
「師匠――あ、いえ、宏真くんから連絡を貰うとは思っていなかったので驚きました」
「ん?師匠とは有難いな。しかし僕には次長くらいが相応しいだろう」
師匠は、真面目な顔でダジャレを言った。冗談を言うことはあったが師匠がダジャレを言うところを初めて聞いた。
心の声が漏れてしまったのはこちらのミスだが……真面目な顔でダジャレを言われても反応に困る。そもそも、師匠は次長クラスで収まるような人物だとは思えない。シュールすぎて笑えない……。
師匠は芳しくない僕の表情を読み取ったのかもしれない。それを誤魔化そうとしてあるいは眼鏡の位置を初めから気にしていたのかもしれない。眼鏡のフレームをグッと上げてから本題へと入った。
「……今日、呼び出したのは、学校生活について聞きたかったからだ」
「勉強のことですか?それならば――」
「いや、それは心配していない。春斗君のことだから上手くいっているのだろう」
「え?」
「最近の学校生活はどう?」
「えっと……」
師匠が曖昧な言葉で誤魔化すのは珍しい。というか、普段は言わないダジャレといい抽象的な問いかけといい妙な様子だ。
それにしても……最近の学校生活のこと…………。
一瞬、拝島舞の謝る姿が脳裏に浮かんだ。すぐにそれを打ち消す。
「特にこれといってないですね」
「本当のことを言ってくれないか」
「今日の宏真くん……おかしいですよ?」
「どうにもこういいうのは、性に合わん」と頭を掻いてから、僅かに目を細めて僕に向き直った。
「……?」
「舞の話を聞いてやってくれないか」
……え?どういうことだ……?
今確かに『舞』と聞こえた。聞き間違いじゃないはずだ。だとしら、どうして師匠が、拝島舞のことを知っている?それに『舞』と呼び捨てにしていた。よほど親しい関係かそれに近い関係。
……恋人関係とかか?
妙に動揺している自分がいた。
なぜそんなこと気にしているんだ……?
拝島舞が誰とどういう関係かなんてことはどうでもいい。
そのはずなのに言葉が出てしまった。
「ちょっと待てください。なぜ拝島舞のことを知っているのですか?」
「そうか、気付いていなかったのか……僕は拝島舞の兄――拝島宏真だよ」
「……はい⁉」
初耳ですから!そんなキョトンとした表情でいられても困りますから‼
いや待てよ。良く思い出してみると……そういえば、自己紹介の時に『拝島』と名乗っていたような気がする。でもその時、『下の名前で呼んでくれ』と言われていたから、そのことをすっかり忘れていた。
つまり…………どういうことだ?
とにかく思考が追い付かなかった。何とか冷静さを取り戻そうと、冷めたコーヒーに口をつける。しかしなぜか普段飲み慣れているはずのコーヒーが苦いと思った。
ちょうどその時、マスターがブレンドコーヒーを運んできた。「ブレンドです」とマスターは言ってテーブルにそっと置いた。ふわっと温かい湯気が出ているように見えた。師匠は「ありがとうございます」と言ってそれを一口飲んだ。「うまい」と呟いた。そして、僕に問いかけた。
「落ち着いたかな?」
「すみません。今まで気が付きませんでした」
「まあ、拝島という苗字はありふれているし、初めて会った時に『下の名前で呼んでくれ』と言っていたのは僕だから、気が付かなくても仕方ない。いずれにしても――――今は舞と君とのことだ」
「拝島さん――舞さんとは、別に何もありません。ただのクラスメイトです」
「春斗君……そんなに頑なになることもないだろう」
「っう」
「だからといって、僕は舞の味方というわけでもない。無論、舞が嘘をついていたことには問題があるわけだから、春斗君が怒って避けることも理解しているつもりだ。しかし、いつまでもそのままというわけにもいかないだろう」
「いえ……その通りです。返す言葉もありません」
「じゃあ、僕が言いたいこともわかるよね?」
「それでも……ストーカー被害をでっちあげることは許せません。宏真君だって、僕が法律を勉強したい理由を知っていますよね?」
ふざけて、おどけて、ストーカー被害をでっちあげて注目を集めようとする。そこまでして人気者になろうとした拝島舞が嫌いだ。
そしてなによりも――――本当に被害に遭っている人がいるのに、その人たちの気持ちを踏みにじる行為が許せなかった。恐怖のあまり逃げ出せずに、泣くことしかできない人だっている。心に傷を負う人だっている。それを――
「……舞が嘘をついた理由を聞いた?」
「聞かなくてもわかります。注目されたいのか人気取りか何かでしょう?」
「春斗君、僕が前に言ったことを覚えているかな?」
「『有機的に物事は繋がっている』ですよね」
「そう、何事は有機的に繋がっている。連続している。それに気が付けるかどうかは、知識や経験だけではない。直感もあるのだよ。科学的ではないと思うかもしれない。しかし、時に『これだ!』と直感的に把握することがある。それを踏まえたうえで聞きたい――」
「…………」
「春斗君は――本当に舞がついた嘘の理由をそう思うのかい?ただお調子者のように注目を集めたかったからだと、そう思うのかい?理屈や理論、知識や経験からの判断じゃなくて、直感的にどう感じているのかな?」
「…………」
師匠の鋭い視線が僕を捉える。その視線が真実を語っているような気がした。無意識にその視線から逃れようとしていたのかもしれない。僕はコーヒーを一口飲む。やはり苦く感じる。
師匠は言葉を濁しているが、おそらくこう言いたいのだろう。『本質を捉えていない。そして、嘘をついた理由が違う』とそう言いたのだ。
それでも、僕は拝島舞とはもう一切合切係わらないことを決めた。
彼女は踏み越えてはならない線を越えた。
僕の中のルールを破った。
だったら罰は受けてもらわないといけない。
例え、そのルールを彼女自身が知ることがなくても。
世界はいつだって理不尽でいびつなものなのだから。
師匠は僕の反応が芳しくないのを見て、どこか納得したような口調で言った。
「……そうか。だったら、もう僕は何も言わない。ただし最後にこれだけは言わせてくれ。春斗君、君自身が誰かを嫌って避けようとしても、だからと言ってその人自身も同じように君を嫌いになって避けようとするとは限らない」
「……わかりました。覚えておきます」
「つまらない話をしてすまなかった。落ち込んでいる妹を見ていると、どうしても口を出してしまいたかったからね。どのみち余計なおせっかいだったみたいだがね…………と、もうこんな時間か。呼び出しておいてすまないが、僕は用事があるから失礼する。久々の再会と謝罪の意味も込めてここは会計しておくから」
ゆっくりとしてくれ、と言って師匠は早々と店を後にしたのだった。
嵐のような人だ。いや、確かに僕の心に嵐を巻き起こして去っていった。
高校受験の時もそうだった。そして、今もまた同様だ。
正鵠を射た言葉。その言葉を必要な時に必要なタイミングで迷いもなく言うことのできる人物。それが僕にとって師匠が師匠たる由縁だ。
だけど、今日だけはその言葉を受け入れることができない。
自分の幼稚さを自覚しながらも、納得できない自分に呆れた。
いつの間にか店内には僕しかいなった。
静かにゆっくりとジャズピアノの旋律だけが流れていた。
店を出る時には、空は曇っていた。傘を持っていないのに雨が降りそうだとどこか他人事のように思った。
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