第15話

 翌日、火曜日。

 五限目が終わり、六限目は実験室へと移動教室だった。


 僕は教科書を机から取り出して今日持ってくるように言われていた磁石など必要なものをバックから取り出す。


 お昼休みが終わるちょうど前に妹からメールが来た。


 妹は今朝から体調を崩していた。もしかしたら中学校生活に慣れてきて気が抜けたのかもしれない。

 いずれにしても一人で大人しく寝ているはずだった。

 僕の家は両親共働きであるから今朝早くに家を出ていた。そのこともあり熱の出た妹が一人で家にいることに若干心配もあった。


 そしてメールで『帰りに薬と熱さましシートと水を買ってきて』と言われてしまったらさすがに早く帰宅しないと可哀想だ。


 断じてシスコンなどという遺伝子異常かあるいは精神異常者ではないのだ。

 ……ただほんの少し目に入れても痛くはないと思うだけだ。

 

 だから放課後、作戦会議にでられそうにないことを伝えようと二人の姿を探した。

 

 しかし、もう教室を出てしまったみたいだった。


 急いで後を追いかけた。


 すると二人はちょうど渡り廊下を渡っているのが見えた。急いで向かうとなぜか二人は実験室のある一階とは違う二階へと上がっていく。そして、空き教室に入るのが見えた。

 

 どうしてこんなところに?

 

 若干の疑問を持ちつつも、早く用事を済ませてトイレに行きたかった。


 扉を開けようとしたところで奇妙な二人の会話が聞こえた。


 咄嗟に開けようとしていた扉から手を放してしゃがんだ。


「嬉しそうだね、舞ちゃん?」と夏目優衣がニヤニヤしているとわかる声で言う。


「そうね、連絡先も手に入ったのは、ふふふ」


「うんうん、作戦大成功だね。これで惚れるのも時間の問題かもね?」と夏目優衣の揶揄うような声が聞こえた。


「もう、優衣ちゃん。揶揄わないでよ」と拝島さんは満更でもない声で言った。


「ここまで来たら最後まで春斗をだまそう。そして――――でしょ?」


「そうだけど……やはり――――」と拝島さんが何か呟いたみたいだった。


「うーん、今はまだ仕方ないよ。そのためにもストーカー役を勇樹君に頼んでいるわけだし」


 ところどころ意味が分からなかった。しかし今、確かに『ストーカー役』と言った。それに僕のことを『だます』とも言った。


 そして『連絡先』を手に入れて満足している。

 加えて『惚れる』と言う単語。

 

 ……ああ、そうか。そういうことか。

 

 僕は騙されていたんだ。

 

 学年一番の容姿の整った拝島舞はどれくらいの男子生徒の連絡先を手に入れることができるのか、と競っていたのかもしれない。


 いや違うか。


 正確には今まで接点のなかった生徒を惚れさせることができるかどうかを競っていたのか。連絡先を入手するのはその過程に過ぎないか。


 ただ僕が揶揄われていただけか。


 反応を見て、楽しんでいたということか。

 

 はあ……全く笑えない冗談だ。


 今までのこと全部が茶番劇か。そこまでして僕をだましたかったのか。


 別に遊ばれていたことには腹が立っているわけではない。

 いや……若干むかつきはする。しかし、それよりも許せないことがある。


 ストーカー被害をでっちあげるとはいくら何でもやり過ぎだろう。

 

 本当に被害に遭っている人の気持ちを踏みにじる行為だ。

 

 それを二人はやった。それが許せない。

 

 あの時のあの子の怯えた表情が脳裏に浮かんだ。怯えて声にならない泣き声しか出せなかったあの表情。

 

 あの子が今どんな気持ちで暮らしているのかはわからない。しかし、それでも平気なわけがないと思う。少なくとも、心の傷を負ったとあの子の母親が言っていたのだから。

 

 それを遊び半分で、『ストーカー被害に遭っているから、協力してくれ』だと?

 

 不謹慎にも限度があるだろ。


「はあ……全く、最悪な気分だな」


 もういいや。

 僕は立ち上がったその時、手に持っていた教科書を落としてしまった。バタンという音が廊下に響く。


 なぜだろう。先ほどまでひっそりと隠れていたというのに……今は全く動揺しなかった。


 六時間目の開始のチャイムが鳴った。それと同時に忙しなく扉が開かれた。


「春斗⁉」と夏目優衣が目を大きく開けて驚いた。拝島さんも「春斗君⁉」とハッとした表情で息をのむのがわかった。


 僕はそれを無視して、足元に落ちてしまった教科書を拾った。両手には実験に使う道具と教科書で塞がった。


「……春斗、ここでなにしていたの?」と夏目優衣が探るように聞いた。


「別に何も。そっちこそ何をしていた?」と自分でも驚くくらいに無表情でそして低い声だったのが分かった。


「……今後の方針を決めていたの」と拝島さんはうつむき加減に言った。


「その今後の方針とは、僕をだましていたことでも告白する算段だったのか?それとも、居もしないストーカーを探させるための算段か?ああ、それも違うか。僕が君たちのどちらかに告白するように仕向けるための算段か……?」


「なっ」と拝島さんは言葉に詰まった。それを見た夏目優衣が声を荒げて言った。


「私たちは、そんなこと考えていない‼」


「そうか。それは僕の勘違いか。ならば、今後の方針とやらを説明してくれないか?」


「……」

「……」


 だんまりか。それは肯定しているようなものではないか。


 そもそも、なぜ僕は二人を非難している……?


 否定してほしかったのか……?


 わずかでも僕の聞き間違いであったと証明したかったのか?

 

 ……そんなことに何の意味がある。無意味だ。

 

 完全に騙されていた僕が悪いのだ。被害者面するつもりはない。悪意に鈍感で、容易に騙される方にも問題があるのだから。二人を責めるだけ時間の無駄だ。


「もういいよ」


 二人を置いて歩き出そうとした。が、とっさに制服の袖を引っ張られた。夏目優衣が引っ張っていた。夏目優衣は、僕を見上げるように、すがるように懇願した。


「待って。話を聞いてほしいの」


「……勘弁してくれ。人をからかって、そんなに楽しいか?」


「違う!」と悲痛にも似た声で叫んだ。廊下に響くように反響した。拝島さんは心あらずといった表情で呆然としたままだ。


 イライラとする気持ちを抑えきれなかった。


「だったら、説明してくれ!」

「だから今、その説明をしようと――」


「あなたたち‼そこで何やっているの?授業はとっくに開始しています。はやく行きなさい」


 ポニーテールの若い女の先生――若槻先生が廊下からやってきた。もしかしたら、夏目優衣の声――荒げた声が聞こえたのかもしれない。何にしても有難かった。


 僕たちは黙って実験室へと向かった。三人が遅れてやってきたことに、白衣を着た先生は眉をひそめたが、特に何も言わなかった。


 すでにグループ分けが終わっていたため、僕たち三人は一緒に空いているテーブル席へと座った。それから実験を始めたが、僕たちは誰もしゃべらなかった。


 途中、磁石が上手くくっつかずイラついた。しかしその後は黙々と着々と課題を終えた。他の班は終始楽しそうにしゃべりながら取り組んでいた。


 それがひどく空虚な風景に見えた。

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