第9話

 僕たちが映画館に着いたのは、一〇時だった。


 どうやら最初からチケットを入手していたらしい。海外のミステリー映画を観ることがすでに決まっていた。そこに僕の意見が入り込む余地は皆無であった。別に観たい映画が上映されているわけではなかったから異論はなかったが……傍若無人にも程があるというものだ。


 それにしても驚いたのは館内の席が埋まっていたことだった。


 どうやらこの映画の脚本は巧妙で鮮やかなレトリックによって、事件を解決することが売りらしい。待ち時間の間、拝島さんは少し頬を緩めて、嬉しそうに饒舌に語ってくれた。


 そして、光陰矢の如しあっという間に上映時間が終わった。

 

 伏線回収から最後のどんでん返しは息もつく暇がないほど夢中になって見入ってしまった。まさかサーカス団のピエロが黒幕とは思いもしなかった。

 

 それに散弾銃を振り回すピエロと言うのは怖かった。


 まあ、そんなことなど気にならないくらいに良く作られた作品であった。

 ミステリーのことは詳しくないが面白いと思った。


 それはやはり拝島さんも同じみたいだった。拝島さんはエンドロール中、幾度も小さく「うん、うん」と満足そうにうなずいているのが見えた。


 その後、昼ご飯を食べるために映画館から歩いて一〇分ほど離れた洋食屋さんに入った。以前サッカーの試合の帰りに寄ったことがあったオムライス専門の洋食屋さんだ。


 拝島さんはオーソドックスな洋風オムライスを頼んだ。拝島さんが、ゆっくりとオムライスを口に運ぶ姿は高貴な身分の食事会のようであった。育ちというものはこの時に現れてくるのだなとみとれてしまった。


 それにしてもどうにも拝島さんの目的というか、狙いがわからなかった。親しくない人と休日を過ごそうとする意味が分からない。


 そもそも僕を呼び出す意味もまた見出すことはできていないのだが。


 あまりに凝視しながら食事をしていたからかもしれない。


 一瞬、拝島さんは食事する手を止めて「……」と僕を睨んで、すぐに食事を再開した。しばらくしてからオムライスを食べ終えた。


 その後、ハーブティーを口にしてから言った。


「先ほどから何かしら?その視線、不快なのだけど」


「そろそろ目的を話してくれないかな。まさか映画を観るためだけに、僕を呼び出したわけではないだろ?」


「別に何も企んでないから、安心しなさい。あなたは次に私を連れて行く場所でも考えておきなさい」


「……恋人ごっこがしたいなら水鳥にでも頼め」


「ひどい言い草ね。ひどく傷ついたわ」


「…………」


 全く戯言にも程がある。傷ついてなどいないくせに。現に楽しそうな表情ではないか。いずれにしても何かを誤魔化そうとしていることは明らかだ。


 僕は黙ったまま拝島さんを観察していた。拝島さんは観念したかのように居住まいを正して小さく息を吐いた。真剣な表情で僕に問いかけた。


「……わかりました。話します。だけど、その前に約束してほしいの。絶対に他言しないと」


「えらく卑屈だな。……まあ、わかった。了承した」


「……ありがと。じゃ、何から話そうかしら……」と拝島さんは少し思案した。そして、意を決したかのように話し始めた。「あなたは、今までにどれくらい好意を向けられたことがあるのかしら……自分で言うのは、憚れるけれども、私は多くの人から好意を向けられていることを自覚しているわ。もちろん、それに対して、純粋に嬉しいという感情を持っているわ。けれど、毎週、毎週、話したこともない人から告白されることは……この場合どうかしら。うんざりしない?この時、私は嬉しいという感情よりも、嫌悪の感情の方が強く感じるの。それって、仕方ないことじゃない。だって、一度も話したこともない、そして名前さえも知らない人から『付き合ってほしい』などと言われるのよ。……堪ったものじゃないわ。しかも、その時になんて言って告白すると思う?枕詞のように『君は優しいしかわいい』だから『付き合って』と取って付けたようにいうのよ?私のことを何も知らないのに、知ったような風に褒め称えるの。それって、気持ち悪い。すごく、気持ち悪い。そして、私は内心ひどく軽蔑する。……だからね、『ごめんなさい、あなたとは付き合えません』と丁寧に告白を断るの。だけどね、断ったのにもかかわらず、しつこくつきまとう人が出てくるの。そして、登下校中に付きまとわられたり、私の写真が送られてきたりするわ」


 拝島さんは淡々と平坦な口調で言い切った。ハーブティーの入っているカップに口を付けた。


「……つまり、ストーカー被害に遭っているということ?」


「そう」


「それはわかった。けど、なぜ僕に話した……?申し訳ないけど、僕が君の役に立てるとは思えない……それこそ親や警察に相談した方がいい」


「その……親とは……うまくいっていないから……親には……」と拝島さんはわずかに視線を下げた。そして、すぐに僕に視線を戻した。「もちろん、警察には言ったわ。だけど、『どこの誰だかわからなければ、動きようがないから、巡回を強化します』と言われただけだった。……誰も助けてくれない。だったら、自分で解決するしかないでしょ?だけど、私一人では何もできないのもまた事実。だから、優衣さんに相談したの。優衣さんは信用できるから。あなたを引き入れようと言ったのは、優衣さん。そして、あなたを試させてもらった。結果、あなたは…………私がこんなにも醜いことを知っても、誰にもいわなかった」


 だから信用できると思ったの、と拝島さんは小さく微笑んだ。


 なるほど。あの朝、教室で茶番劇を演じていたのか……。


 そして、僕が信用するに値する人間か試すために文芸部まで押しいるように入部したということか。それから昼飯や休み時間も僕と接することで信用するに値するかどうかを確かめたというわけですか……。


 ということは中庭を一人で掃除していた時から僕は拝島さんと夏目優衣の掌で踊らされていたということなのか。


 あれ、入学して以来、事あるごとに夏目優衣が僕に話しかけてきたこともすべてこのための伏線だったということか……?


 いやいや、待て。


 自分のストーカーを捕まえるため信頼できる人を探し出すのはわかる。けれど信頼できるかどうかを確かめるためにその人をストーカーまがいに付きまとっていた。そうであるとしたら…………本末転倒じゃん。


 不器用というか、なんというか……どれだけ、どこまで空回りしているのだ。いや、ただ僕が知らないだけでもしかしたら拝島舞という女の子は本来そいう子なのかもしれない。


 だとしたら……とんだ道化師ではないか。


「信用してくれることは、純粋に嬉しいし、有難いことだとは思う。けど、ストーカーを捕まえる役ならば、僕よりも水鳥の方が適任じゃないか?それこそ少中学校からの付き合いなのだろ?」


「最初はそう思っていた。けれど送られてきた写真の中に……明らかに私の身近にいなければ撮れないものがあったの」


 そう言うと、拝島さんは送られてきた写真の一枚をポーチから取り出した。

 その写真に写っていたのは楽しそうに笑顔を浮かべてしている拝島さんの姿と横には夏目優衣の姿があった。もちろんカメラ目線ではない。そして背景から校内――おそらく教室内で盗撮されていることは明らかだった。

 

 ……おいおい、それはまずいだろ。

 犯人が同じクラスメイトにいるかもしれないということになる。しかもその犯人が身近にいるとしたら……耐えられないな。もしもその犯人が今まで信頼していた人なら尚更、きつい。


 人間関係の悪化どころか人間関係の崩壊を引き起こしかねない。


 いや、違うか。もしも犯人が自分の近くに居たら、それよりもなによりも生理的に受け入れがたい。


 ただ怖くて気持ち悪い存在。

 異質な存在。


 それに対する嫌悪感しか湧かないはずだ。


「その話し振りから推測するに……大方犯人のめぼしが付いているのでは?」


「わからない。ただ、水鳥君もそのうちの一人」と拝島さんは、小さくつぶやいた。


「……とりあえず、他の犯人候補を教えて」


「鱒島君、八尾瀬君、天玖君、沼熊君かな」


 高校に入学してから二か月間の印象としては、四人ともストーカーをするような人間だとは思えない。


 もちろん四六時中一緒に居るわけではないし、親友と呼べるほど仲が良いわけでもないから正確に把握しているわけではないが……。


 それに第一印象が良いからと言って、その人が良い人だとは限らないのだ。


 現に目の前に凡例があるのだ。

 

 外見が中身と比例していないことは、当たり前なのかもしれない。


 僕は余計な思考を中断してから質問をする。


「根拠は?」


「四月から六月までに告白されて、お断りしたのがこの四人だからよ」

「……確かに告白を断られてその腹いせや諦めきれないからストーカーになった可能性はあるかもしれないけど、それは絶対条件ではないだろ。告白していない人がストーカーの可能性だってあるだろ……?それに水鳥が犯人の可能性はどこから導き出されたの?」


「いいえ。告白された人の中に犯人がいるはず。昨日、この手紙が机に入っていたわ。そして――」


 拝島さんは何かを渋るかのように言葉を切った。そして手紙をポーチから取り出して僕に手渡した。四つ折りにされていた手紙を開いて文字を読む。そこに書かれていたのは――


『ハイジママイニチュウコクスル。コレイジョウ、トクテイノオトコトシタシクスルナ。オレヲフッタクセニ、キヅカイモナイノカ。モウイチドチュウコクスル。コレイジョウ、トクテイノオトコトシタシクスルナ』


 ……なんだこの手紙。


 自己中心的で幼稚な内容だ。

 正直、呆れてしまった。


 『自分をいたわれ』と振られた相手に対して要求するのはいくら何でもおかしいだろう。うぬぼれすぎだろ。というか傲慢と言ってもいいかもしれない。


 勝手に好きになって振られた挙句に勝手に失望している。

 自分勝手も甚だしい。

 

 この人は果たして人を好きになる資格があるのだろうか……。

 それにしても全部カタカナで書いてあるから読みづらいな。それと筆跡も誰だか特定されないようにわざと乱雑に特徴を付けているようにも見える。

 

 手紙を拝島さんへと返して、拝島さんの言葉を待った。


「…………水鳥君には、入学される前――中学校卒業してすぐに告白されたわ。そして、その時お断りしたの」


 あいつ拝島さんに告白していたのか……意外だな。自分から告白するような人間には見えない。まあ、もしかしたら長い間想っていたのかもしれないけど。


 いや、それよりも拝島さんが水鳥からの告白を断ったことの方が意外か。入学して以来、水鳥と頻繁に話している姿を教室内で見かけていたから、二人が付き合っているのではないかという噂が流れていた。


 そういえばいつだったか二人が交際の事実を否定したことで、その噂も下火になったんだったか。


 とりあえず、これまでの経緯を踏まえて考えると……


 拝島さんと接触回数が多いのは……


 『トクテイノオトコ』を差す人物は、おそらく、水鳥のことだと思うのだが……。そうなると、わざわざ自分のことを『トクテイノオトコ』などと書きはしないだろうから水鳥が犯人ではないことになるけど……。


 それにわざわざ『トクテイノオトコト』と書いているということは拝島さんにとって犯人自分が不特定多数の存在であることは認めているわけだから、やっぱり、水鳥は犯人ではないだろう。


 まあ、いずれにしても……。


「……それよりも、振った相手とよく普通に話せるな。ある意味で手紙の出し主が怒るのも的を射ているのではないか?」


「勘違いしているみたいだから訂正しておくけど……告白をお断りして以来、私から水鳥君に話しかけたことはない。もちろん他の人もそうよ。無神経にも振った相手に希望を持たせるようなことしたくない」


 拝島さんは間髪入れずに強く否定した後で、どこか悲し気に優しい声で続けた。


「それに私……好きな人がいるの。だからその人だけには勘違いしてほしくない。それだけは絶対にイヤ。耐えられない」


 ……まあ、青春真っただ中の高校生に意中の相手の一人や二人いてもおかしくない。


 懸想するなど当たり前だ。


 それこそ呼吸することと同じくらい自然なことに違いない。


 生物学的、生理的現象なのだ。


 拝島さんがだれを好きであろうと、僕には関係ない。


 そうであるはずなのに胸が締め付けられた。

 もしかしたらボランティアで育てていた綺麗な花が通行人の土足によって無残に踏みにじってしまわれることと同じかもしれない。


 ……違う。

 観賞していたはずの花が無残に散ってしまったことに少し傷ついてしまうようなものだ。


 その感情を誤魔化すように頭を働かせて言葉をひねり出した。


「その……事情はよく分かった。それで僕は何をすればいい?」


「犯人を特定するために協力してほしい」


「…………」


「いえ、違うわね。……私に協力してください。お願いします」


 拝島さんは何かを確かめるようにもう一度言い直してからゆっくりと僕に向かって頭を下げた。黒く長い髪が揺れる。微かに柑橘系の香りがした。

 

 協力ね……。

 

 僕と拝島さんは高校に入ってからたかだか二か月ほどの付き合いしかない。しかも割と話すようになったのはここ一週間での出来事だ。その僕に頭を下げるほど事態は緊迫しているということか。


 いや精神的に追い詰められているから誰かに助けてほしいのかもしれない。心の支えと言ってもいいかもしれない。とにかく誰でもいいから支えが欲しいのかもしれない。


 だとしたら僕にできることはないのかもしれない。だってそういうのは意中の相手とするラブコメではないか。僕にはふさわしくない役だ。


 しかし極悪非道なストーカーを看過するなど将来法曹に就きたいこの身としては、耐えがたい。


 一瞬、脳裏にあの時――サッカーの試合の帰りに出会った女性徒の光景が喚起された。なぜだろうか。その姿が拝島さんと重なった。


 すぐにその光景を打ち消した。

 が、動悸が速くなり、少しめまいがし始めた。


 ……ダメだ。冷静にならないといけない。


 冷えたハーブティーを一口飲む。ほろ苦く少し甘味のある味が喉を潤した。


「……わかった。協力する。けれど、条件がある」


「……?」


「まず、危ないことはなしだ。次に、犯人が分かった時点で即座に警察に連絡する。仮に拝島さんの親しい間柄の人でもそうするから。説得して何とかしようとは思わないこと。悪人に何を言っても善人にはならないし、時間の無駄。それが条件。いいよね?」


「……わかりました。ありがとう。よろしくお願いします」と拝島さんは、もう一度、深くお辞儀をした。それから、改まった表情で「それでは、これからの方針を説明するわね――」と話し始めた。


 その後、僕たちは明朝、学校が始まる前に教室でこれからの具体的な方針を立てることが決まった。もちろんこの場にいない夏目優衣を含めて話し合う方が良いからだ。夏目優衣への連絡は拝島さんからするということだった。


 というよりもすでに決定事項だったみたいで僕の協力は夏目優衣に話が付いているそうだ。


 まさに用意周到だ。


 というか僕が引き受けることが前提で秘密裏に物事が進められていたことに若干の驚きと恐怖を隠せずにはいられない。もしも僕が断っていたらどうしていたのだろうか。


 そもそも拝島さんと夏目優衣の関係性もよくわからない。


 入学してから二か月程度でプライベートな、それもかなり重い話題を相談できるほどの人間関係など構築できるものなのか?


 ……しかし、少なくとも今は気にしなくてもよいかもしれない。


 先ほどまでの恐縮した表情だった拝島さんは、いつも通りの元の毒舌な調子に戻り始めていた。


 拝島さんには悲し気な表情は似合わない。今みたいに笑顔の方がよっぽど似合うのだから。


「――それで、何か意見、いえ質問はあるかしら?」

「いえ、ありません」


 とっさに話を振られてしまい、間髪入れずに返事をするのが精一杯だった。

 それから僕たちはお店の前で別れた。

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