第4話
僕が水鳥勇樹を認識したのは中学二年生に上がったばかりの四月のことだった。
その当時、僕は都内でも強豪と言われるほどのサッカーチームのレギュラーだった。昔から勉強はできないが運動神経は良かった。
だから小学生の時、友達に誘われてサッカーを始めた。
夢中になった。
中学に上がるとき地元のクラブチームには入らなかった。
練習に参加したときのことだ。
そのチームのほとんどの人がクラブチームに所属しているという『ステイタス』を求めているだけであると思った。
つまらなさそうにサッカーボールを蹴る姿を見てサッカーがしたいわけではないことが明白だった。おそらくサッカーを好きでやっているわけではなかった。
僕は必然的といか偶然的に都内でベスト四が当たり前のサッカーチームのセレクションを受けた。
運よく合格して、ますますサッカーに一生懸命に取り組んだ。
その結果もあって僕は三年間レギュラーに選ばれていた。
また強豪チームということもあり、レギュラーメンバーだけで様々な中学校やクラブチームと練習試合を行っていた。
行く先々で上手い選手たちと競い合えることが楽しかった。
しかし、時々、ひどくつまらない相手と試合をしなければならないことがあった。
四月四日――その日、都内でも金持ちとして有名な共学の中高一貫校のサッカー部に呼ばれていた。
本来、格下との相手はB、Cチームが相手をすることになっていた。
しかし、相手の部活顧問はどうしてもトップチームと試合をしたいという要望だったらしい。
もしかしたらお金を積まれていたのかもしれない。裏の事情は分からない。いずれにしても、その日僕たちはよく手入れされた人工芝のピッチへと立った。
当然、僕たちは圧勝してその日を終えた。
何度かゲームをしたがほぼ僕たちの独壇場だった。おそらくボールの支配率は八五パーセントを軽く超えていたかもしれない。それほどまでに大きく実力差があった。
しかし、どこのチームにも一人は飛びぬけている選手はいるものだ。
その時、初めてその事実を実感した。
そのような事実を体現していた一人が、まさしく水鳥勇樹だった。
僕たちに何度も得点を許しても一人彼だけは真剣になって試合を続けていた。しまいに相手チームの選手たちがつまらないミスばかり連発し始めた。集中力を切らして戦意を喪失しているのは明らかだった。
それでもその中でただ一人だけ。
彼――水鳥勇樹は激を飛ばしていた。
そのような姿に感銘を受けたからかもしれない。僕たちの監督はコネで水鳥勇樹をトレセンへと推薦すると言っていた。実際に推薦をしたらしい。
今にして思う。
もしかしたら相手の監督は水鳥を推薦させるためだけに試合をセッティングしていたのかもしれないと。
結果的に後日、水鳥はセレクションに受かって晴れて地区のトレセン会場で僕たちは顔を合わせた。
しかし、それも一度だけだった。
その一度が顔を合わせた最後だった。
僕は入れ替わりというか……都の選抜に選ばれたからであった。
その一度の時も僕たちはお互いに話すことはなかった。もちろん紅白戦では多少のやり取りはした。しかしその前後では全くコミュニケーションをとらなかった。べつにどちらかが一方的に避けているわけではなかった。ただ、つるむ集団が異なっていたのだ。
僕は中学生になってから都内に引っ越して来た。だから小学生の時のチームメイトがいないこともあって他のクラブチーム出身の選手とは面識がなかった。結果的に、当時のチームメイトばかりとつるんでいた。
それ以来、僕たちは会うことはなかった。
それから三年生に上がるとき僕は怪我をしてサッカーをやめた。
もちろん、トレセンも除名された。
だから今後一切水鳥勇樹とは会わないと思っていた。
いや、正確にはその存在も忘れかかっていたのかもしれない。
なぜならばトップ校に合格するためには勉強を頑張る必要があったからだ。
僕は内申点が低かった。
絶望的とは言わないまでもおそらく下から数えた方が速いのはわかった。もちろん担任の先生から進路を変更した方が良いのではないかと指導された。
しかし、どうしても譲れなかった。
サッカーばかりにかまけていたから当たり前かもしれない。いや、都合の良い言い訳だった。僕は両立できるほど要領よくないだけなのだ。
いずれにしても本番の入試でトップクラスの成績を取らなければ合格できないことが明白だった。
父に頼んで家庭教師――帝都大の医大生を呼んでもらい勉強を教わった。
いや正確には勉強方法を教わったというのが正しいかもしれない。
なぜならば初めて会った時にこう言われたからだ。
『ふむ、黒田春斗くん。勉強というのは誰かに教わってするものではない。自分で取り組むべきものなのだよ。つまり私は、君に勉強方法を教えはするが各教科の内容を事細かに説明したりはしない。それでも良ければ、僕を雇ってくれたまえ』
なぜだろう。ひどく感銘を受けた。
それ以来、その医大生のことを内心で『師匠』と敬意を込めてそう名付けた。そして、月に一度勉強方法が効率的かどうか、各科目の本質をとらえているかどうかを指摘してもらいに来た。
その時、決まってこう言うのだった。
『有機的に物事は繋がっているだ。本質さえ理解できれば丸暗記は不要』と銀縁のフレームをわずかに触りながら師匠は言うのだ。
憧憬の到りだった。
そのような紆余曲折を経て、右往左往しつつも勉強に取り組むことになった。
時間が許す限り勉強した。
それはもうひたすら四六時中、無我夢中、勉強に勤しんだ。
だからサッカーの思い出などは忘却の彼方に消えていた。
思い出を想起する隙間や時間さえなかったのだ。
そもそも思い出そうとする理由もなかった。
頭の中は苦手な数学のことで支配されていた。
そして晴れて桜が咲いた高校の入学式の時――クラスメイトとなった水鳥勇樹と再会した。
すぐには思い出せなかった。
教室内で女子が騒ぐのは見た時、『そういえば、どこかのサッカー部のエースもこんな歓声を受けていたな』などと何処か感慨に耽っていた。
それからしばらくして気が付いた。
サッカー部の練習風景を眺めていたら思い出したのだ。
その時も一人だけ――水鳥勇樹だけが飛び抜けて上手かったからだ。
思い出したものの自分から言うことでもないと思った。
以前に試合したことやトレセンで同じだったことは指摘しなかった。
もちろん、そのことを水鳥から話しかけてくることはなかった。
もしかしたら水鳥は覚えていないのかもしれないと思っていた。
だからかもしれない。
今日こんなにも水鳥勇樹とサッカーやそれ以外の話題を話すとは思わなかった。
なによりも僕のことを覚えていることに少々面食らった。
しかも一緒に登校するとは思ってもいなかった。
あいつがなぜ付属に上がらなかったのかはわからない。
それになぜサッカーの強豪校に進学しなかったのかも判然としない。もしかしたら僕と同じように都立のトップ校へと進学しなければならない確固たる意志や理由があったのかもしれない。
なににしても少しは友達らしく振舞えたかもしれない。
そう思った。
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