魔龍イブリリス

 人里離れた深い森、その奥にたたず闇の城ドルアロワ。黒いカーテンが風に揺れ、朝日が差し込みます。


 私達は昨日ガラ・ルーファから帰ったのですが、そういえばアイナさんもシャルナートさんもフリエちゃんも、なぜか私と一緒に帰って来ました。骸骨騎士スクレットのマエッセンも亡霊レイエスのリーゼロッテも当然のように出迎えていましたが、良かったのでしょうか。


 二階にある私の部屋から外を見下ろすと、ちょうどアイナさんが井戸水を汲み上げて水浴びをしていました。今まで早朝訓練をしていたのでしょうか、褐色の体に汗が浮いています。

 お祭りの余韻よいんか、私は少し寝坊をしてしまったかもしれません。皆さんの朝食の準備をしなければと窓を離れたとき、突然外から甲高かんだかい金属音が響きました。


「何者!?」


「へえ、人族ヒューメルのくせにやるじゃん?」


 アイナさんと女性の声、それも聞き覚えのある声です。さらに二度、三度と撃剣の音が上がり、次第に激しくなってきました。窓に駆け戻ると、やはり見覚えのある魔族の子がアイナさんと剣戟を繰り広げています。

 これはいけません、私は外に向けて大きな声を出しました。


「イブ、やめてください! その人はお友達です!」


「はあ!? 人族ヒューメルとお友達? バッカじゃないの? 頭ウジ湧いてる系?」


「アイナさんごめんなさい。この子とは、イブとは知り合いなんです」


「がーん! しょっくー! コイツお友達で、あーし知り合い? しょっくなんですけどー!」




 緩やかに波打つ金色の髪、そこから突き出た二本の角。浅黒い肌のところどころに黒っぽい鱗が浮き、背中には蝙蝠こうもりのそれに似た大きな羽。応接室の椅子に青龍刀を立て掛け、長い脚を組むこの子はイブリリス。魔龍公アウラケスの娘です。


 私のお父さん、魔血伯ロサーリオは魔龍公アウラケスとともに魔貴族の一員だったので、イブも何度かこの城に来たことがあるのです。なかなか子供ができない魔族にとって年齢の近いお友達は貴重で、二十歳ほど年上のこの子も私にとっては幼馴染と言って良いかもしれません。


「なんかずいぶん明るい部屋じゃん? 吸血鬼の城って感じじゃないわー。引くわー」


「お久しぶりです、イブ。今日はどのような用事でいらしたのですか?」


「用事がないと来ちゃいけないワケ?」


「遊びに来てくれるのは嬉しいですが、いきなりお友達に斬りかかってはいけません」


 私の隣の椅子にはシャルナートさん、アイナさんはというと後ろで腕を組んで仁王立ち。どうやら警戒する相手に対してはこのように対応することに決まっているようですが、イブは圧力を感じた様子も無く、足を組んだままアイナさんを見上げました。


夢魔インキュバスの心臓を喰ったのはアンタ?」


「倒したのはあたしだけど、そんなもん食べないよ」


「えー?つまんなーい。心臓喰って魔貴族になれば良かったのに」


 イブは手足をばたばたと動かしました。このあたりは私よりも子供だと思います。

 ところで、人族ヒューメルが魔貴族の心臓を食べればその力を得ることができるというのは真偽不明の噂だと思っていたのですが、そのあたりはどうなのでしょう。ですが私が口を開く前にシャルナートさんがその点を聞いてくれました。


「おい、魔貴族の心臓を喰ったらその力を得られるってのは本当なのか?」


「知らなーい。試しにあーしとやってみる? 負けた方が心臓喰われるってことで」


「いらん」


「つまんなーい。ロナちん、こいつらつまんなーい」


 またしてもイブはつまらなさそうに手足をばたばたと動かしました。どうやら彼女の用件は、私達が夢魔インキュバスさんを倒したことを知って問いただしに来たもののようです。そういえばあの時、夢魔インキュバスさんも「僕を倒せば魔龍公が黙っていないぞ」と言っていたような気がします。


夢魔インキュバスさんを倒したのは確かに私達です。ですがそれは森の外の人族ヒューメルさん達に迷惑をかけていたからで、心臓も食べていませんし魔龍公に逆らうつもりはありません」


 ふーんと気の無い返事をしたイブですが、頭の後ろで手を組んで背もたれに体を預けました。古い客椅子がぎしりと音を立てます。


「てかさ、パパさん殺したの人族ヒューメルだよね? リアンって奴。なんで人族ヒューメルと仲良くしてるわけ?」


「えっ……リアンさん?」


「知らなかった系? てか黙ってた系? サイテー。やっぱ人族ヒューメルってサイテー」


「……お母さんが人族ヒューメルでしたし、人族ヒューメルにもいろいろな人がいると聞いています。私はそれを確かめたいと思います」


「へー。ま、好きにしたら? あーし、もう行くわ。夢魔インキュバスの心臓喰った奴を連れて来いって言われてたけど、いないんじゃしゃーないし」


 イブはあきれたような、馬鹿にしたような表情で立ち上がり、窓を開け放って外に身を乗り出すと。


「じゃーね。また遊ぼうね、ロナちん」


 朝の陽に翼をはためかせ、その姿はあっという間に小さくなってしまいました。




「お二人は……お父さんとリアンさんのこと、ご存じでしたか?」


「ああ」


 アイナさんは知らないようでしたが、シャルナートさんはご存じでした。


 三十年近く前、エルトリア王国に属するオピテル侯国と魔貴族の間で激しい戦いがあったそうです。当時の魔血伯ロサーリオ、私のお父さんは人族ヒューメルとの争いに否定的であったものの、人族ヒューメルの妻を得て子を成したことで人族ヒューメルに味方するのではないかと他の魔貴族から疑いの目を向けられていました。それを否定するため仕方なく参戦したものの、人族ヒューメルの若き英雄リアンの手により戦死。その心臓はオピテル侯爵に献上された、との事でした。

 その証拠にオピテル侯は人族の寿命をはるかに超えた百十七歳。侯爵は魔血伯の心臓を食らい、その力と寿命を得たのではないかと言われているそうです。




「……ちょっと頭を冷やしてきます」


 お父さんが人族ヒューメルとの戦争で亡くなったことは聞いていましたが、その相手が『黄金の騎士』リアンさんであったこと、心臓を食べた人がいるとは知りませんでした。




 私は自分の部屋に戻り、お父さんとお母さん、それから小さな私が描かれた肖像画に話しかけました。


「だいじょうぶです。私、人族ヒューメルの皆さんを恨んだりしません。アイナさんも、シャルナートさんも、フリエちゃんも、みんな大切なお友達ですから」


 お母さんがこれらの事情をあまり教えてくれなかったのは、たぶん私が人族ヒューメルを恨まないようにするためだと思います。人族ヒューメルだけではありません、誰かのことを恨んだりねたんだり憎んだりしないように育ててくれました。おかげで私の心は暗い闇に捕らわれずに済んだのです。




 でも……お父さんを手に掛けたというリアンさん、心臓を食べたというオピテル侯爵さん、お二人にもし出会うことがあったら、私はどんな気持ちになるのでしょうか。そう考えると……ちょっとだけ怖いです。

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