在り方

朱珠

第1話

 ぼくはむかし人間だった。

 今は違うのって? もちろん人間だろうけど、ちょっと違うと思う。


 小さいころのぼくはきっと人間だった。ぼくの母さんも、それから父さんも普通の人間だ。だって他人はぼく等を人間じゃないなんて言わなかったから。


 小さいころのぼくはきっと人間だった。だってみんなぼくと対等であったから。

 だって小さなころのぼくは人間だった。なにもかもが普通だった。


 仲の良い友達がいた。優しい家族がいた。あたたかい愛を受けた。

 父と母の血を継いだ。なにもかもが苦じゃなかった。


 思い返せば、驕っていたんだと思う。仕方ないじゃないか、なにもかももちあわせた人間だと錯覚していたんだから。

 そうさぼくは、食物連鎖の頂点に立つ人間の一人だった。そのはずだったのに。


 みんなは成長して大人になった。ぼくも大人になりかけた。結果的に、なれはしなかった。いや、あれはなれていたんだろうか。ぼくは大人なんだろうか。髭と背丈だけが伸びる。


 ぼくはあのとき初めて苦痛を自覚した。これが苦しみ、これが痛み。そのときに至る迄知らなかったのだ。

 それなのに何故だろうか、耐え難い激痛に跪いたのはぼく一人だった。


 ぼく以外の人間は変わりなく人間であり続けた。痛みを知らない無垢なる彼等。痛みを知ったぼくは羽根をもがれて空でもがきながら落っこちた。


 むかし見た特集を思いだす。くらい気持ちに押し潰されて、苦しむ人々。ぼくは彼等を思いだす。

 可哀想だと思った。でもぼくとは関係のないことのように思えて、どうも実感が湧かなかった。事件や事故となんら変わらない悲劇に思えて、ぼくの身に降り掛かる可能性を考慮しなかった。


 ぼくは人間じゃなくなった日から自分の存在がとても不安定で恐ろしかった。

 ぼくの姿は以前と変わらない。それなのにぼくの瞳を通して映る人間の姿がぼくと違って見えるのだ。


 ぼくは少しでも痛みが安らぐようにと痛みから目を背けた。それなのに何故かおかしい。この世界の異常さに気付いたのはぼくだけだったのかもしれない。


 同時によーいどんで駆けだしたはずの彼等が、ぼくが目を覚ます度に見えないほど遠くへ遠ざかっていくのだ。

 こんな苦痛をぼくは知りたくなかった。


 この痛みをほかの人間にも知って欲しかった。知らないで欲しかった。

 人と違うのはもう慣れた。ぼくは人間の亜種だ。それは構わない。


 許せないのは違う道を歩もうと決めたその在り方を否定する人間だ。

 だってお前らがいく道をぼくは歩めなかったから。何度しがみつこうとしても振り落とされてしまうから。


 だから追いつけるように頑張っているだけなのに何の文句が言えようか。


 怒りはある。だけど仕方ないと納得することもできる。かつてのぼくが驕っていたように、彼等は驕っているだけなのだから。


 でもいつかきっとぼくと同じ様に、羽根をもがれていく人達がいる。

 耐え難い激痛に跪いて、この世界の異常さに気付いたとき、彼等が思うのは後悔か、羨望か。ぼくにはわからない。

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在り方 朱珠 @syushu

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