第53話


雪降る真夜中は、すぐ傍で眠る春奈の深い寝息を心地よく耳に届かせた。


 

見れば彼女の雪のように白い太もものが露わになり、その足にはまだ痛々しい痣が浮いている。久志は毛布を掛けてあげてから作業に戻った。

 

 

これまで撮り溜めてスマホに保存していた春奈であり早希の写真を、夜通しインスタグラムにアップロードしていった。もちろん、少し誤解を招く様な直前の投稿には釈明と謝罪をした。



「フォロワーの皆様。先ほどはあらぬ誤解や混乱を招く投稿をしてしまい、ご心配をおかけしました事をお詫び申し上げます。私の写真ギャラリーの中で一番の反響を生んだ写真は、唯一のポートレート写真である、先日運命的な邂逅で写真を撮らせてもらった女子高生のポートレート写真です。彼女の名前はサキと申します。この度、彼女に撮影会に誘われ、予定していたものの、一向に連絡が付かず、待ち合わせ場所に現れなかった事により、他に連絡手段を思いつかず、あのような手段を愚行した次第であります。どうやら彼女にはトラブルがあり、連絡が遅れたとの事でした。今後、このような事を繰り返さないように取り組んでまいりますので、引き続きご支援のほどよろしくお願いします」

 

 

SNSは所詮ご都合主義で、ものは言いように、適当な経緯を述べて誤魔化す。自分事などどうでもよく、ただ自慢の写真を不特定多数の誰かに見てもらいたかった。大事なのは釈明ではなく、梶原早希の見る人全ての心を奪う天使のような笑顔。それだけだ。



「さて、彼女と僕の関係ですが。僕は、紛れもない彼女のファンの一人であり、ただのおっさんです。そして彼女はどこにでもいる女子高生。しかし、彼女は、皆様が支持してくださったように類まれなる美人さんである事は見違いありません。彼女が笑った瞬間、世界中が晴れるような、美しい笑顔はきっと皆の心の隙間にも差し込むことでしょう。この度、幸いな事に彼女の写真を撮らせていただく機会をたくさん頂きました。無邪気で好奇心旺盛な彼女は、皆様が支持してくれるその声が、歓声が嬉しくて楽しくてしょうがないらしいです。先ほど申し上げた通り、クリスマスカラーの写真は残念ながらありません。しかし、今まで彼女を撮りためた写真を今からアップロードしていこうと思ってます。どうか、今後とも彼女を応援していただけると幸いです」



 

 

電車の中で彼女に出会った時、目の焦点は虚で、どこか憂いを帯びた無表情が魅力だと思っていた。彼女は正直どんな表情でも画になる。

 

 

けれど、彼女が笑えば久志の世界そのものがもっともっと華やぎ燦然と光り輝くのだと、彼女と過ごしたこの短い間で気づいた。

 

 

本当の梶原早希が笑顔を忘れているのならば、彼女には是非、最高なお手本を残した春奈の、この笑顔を見てほしい。

 

 

次々と写真をアップロードしていく。

どの写真にもすぐにいいねや、コメントがついていく。

 

 

青白い液晶画面にパタパタと雫が落ちてきた。少し、鼻を啜る音と、どうしようもなくあげてしまう嗚咽で、春奈が起きてしまわないか心配だった。

インスタグラムのギャラリーページに列挙される、一人の女子高生が、久志の世界で光のように笑う写真の数々が滲んでゆく。

 

 

眩しくて目を細め、目を瞑れば、かつて同じように笑っていた本当の春奈の笑顔が脳裏に浮かんでは、消えていった。

 

 

こんな風に、あの文化祭の日に彼女の笑顔を、彼女の魅力を知らない学校の皆に見せつけてやりたかったことを思い出した。もう戻れないあの日が、悲しみや苦痛を乗り越えた春奈のお陰で再現されているというこの奇跡に、久志は自分が情けなくて、みっともなくてしょうがなかった。

 

 

やっぱり彼女のそんな強さや直向きさが、まだ大好きで大好きでたまらい。

 

 

「可愛い、マジで尊い」「笑顔が素敵です。幸せそうに笑う子ですね」「カメラマンさんの視線から、彼女への愛情を感じる心温まる写真ですね」「彼女もまた、カメラマンさんが好きなのが笑顔で伝わってくるみたい」「儚い笑顔ですね。守ってあげたくなる」「この前のJKの別カット写真待ってました。最高です」「この子の写真、待ってました!こんな笑顔をいつまでも見守ってあげたくなる。超可愛い」「儚い笑顔、尊い…」

その他にも、ハートや拍手、キラキラといった絵文字のみのコメントも寄せられ、一夜にして早希の写真は英語や韓国語や中国語など、さまざまな言語によって世界中からも称賛の嵐をもらった。

 

 

一通り、写真をアップロードし終わると静かな夜の気配に集中力が攫われ、思い出したように寒さを感じた。その時だった、春奈が少し寝苦しそうに呻きながら寝返りを打った。

 

 

久志はベッドで寝ている春奈の側に寄った。

 

 

母が電話でしていたクラスメイトの訃報の話は、間違いなく春奈の事だったのだろう。すぐ隣で、こんなにも暖かく、鼓動すら感じるほど近くにいる彼女が既に死んでいるなんて、信じたくなかった。涙が今度はベッドにパタパタと落ちる。そして、春奈の頬にも。

 

 

久志は、自分なんかの、情けなくて卑怯な涙が、彼女の頬を汚してしまうと思って慌てた。

 

 

だが、気持ちよさそうな深い寝息に合わせて上下に動く胸の規則正しい律動に愛しさが込み上げ、思わずその寝顔に手を伸ばす。痛々しい痣の浮かぶ頬を指先でなぞってみる。

 

 

そして、春奈の唇に気配を殺して顔を近づけた。

 

 

ぎゅうううっ!!と、頬をつねられた。

 

 

「す、すみまん!」

 

 

「寝込み襲うなんてやっぱ最低ね。盗撮魔は、次はどんな余罪を重ねるつもりだったのかしら」

 愛らしい眠り姫は、頬をひねり上げる指先の力加減を懇願する久志に、相変わらず容赦なかった。

 

 

 

 久志は、赤く腫れ上がった頬を撫でながらインスタグラムにアップロードしたギャラリーページを春奈に見せた。

 

 

「この子、本当にいい笑顔で笑うよね」

春奈は、どこか遠い目をして微笑んで言った。

 

 

「これなら、本人も自分の魅力に気づいてくれるかな?」

 

 

 インスタの写真には膨大なコメントやいいねの数が付与され、果たしてフォロワーの数も刻む秒針のように増え続けていた。そのどれもが梶原早希と言うモデルに対する賞賛で溢れている。けれど、春奈はどこか浮かない顔をしていた。

 

 

「これは私の勝手なわがままだし、余計なお世話だったかな」

 

 

「そんな事ない。俺も昔、同じような事をしようとした」

 

 

「ああ、あれね。結局あんたに裏切られて水の泡になったっていうより、私の青春はあんたに泥水をぶっかけられたんだっけ。酷かったなぁあの時も」

 

 

「ううう…耳と心と頭、いや全身が焼けるように痛えぇ…」

久志は春奈の辛辣な青春トークに頭を抱えるが、それもこれも自分が火を起こし、春奈にまで延焼した思い出したくもない黒歴史だ。

 

 

「そういえば、広瀬さんっていう当時の写真部の部長さんから聞いたよ」

 

 

「え!広瀬って、今や広告業界のカリスマカメラマンにまで上り詰めた、当時の俺の先輩の?」

春奈は久志の反応に、僅かに驚きの表情を浮かべる。そしてどこか微笑ましそうに頬を緩めて言った。

 

 

「うん。彼、私がもう先も短いって時に、私のところまで訪ねてくれたの。君にはずっとお礼がしたかったんだって」

 

 

「お礼?…って何の?」

久志は彼の行動の理由がまるでわからなかった。数年前、度々カメラを仕事にする気はないかと連絡が来ていたが、当時はまだカメラを持つ度、春奈との苦い思い出が蘇ってくるのを恐れて、彼からの連絡を無視し続けていた。

 

 

「僕がポートレート写真を撮るきっかけは君達だったんだよって。だから君の事情を聞いて、せめてお礼を伝えたかったんだって。そしてその後に、彼が初めて撮ったというポートレート写真を見せてくれたわ」

 

 

「君達って、春奈と誰だろう?どういうことだ?」

久志はまるで見当が掴めない、というように首を捻った。

 

 

「夕日色に染まる部室で、久志が私の写真を、文化祭で披露するはずだった自分のギャラリースペース一面に貼って、その真ん中でポツンと膝を抱えて座っている写真。その写真を撮った瞬間、どんな絶景が撮れた瞬間よりも心が震えたんだってさ。あ、そういえば、あの時の久志の話聞いた時は笑ったなあ」

もう二度と掘り起こしたくない記憶の底に、その最低最悪な日の一ページがあるのを思い出した。

春奈を手放す覚悟をし、咽び泣きながら、泣き顔は映さないでくれ。なんて、言ったような気がする。

 

 

「ねえ久志?」

久志は、まだ頬を赤く腫らしたまま、苦虫を噛み潰したような不細工な顔になっていると、春奈は痣があっても可愛らしい、黒目がちな瞳をどこか楽しそうに輝かせて顔を覗き込んでくる。

 

 

「ん?どうした?」

 

 

「私が猫に戻ったら、その後、よかったらウチの実家に来て」

梶原早希の姿をした春奈は確かに目の前で、彼女にどことなく面影のある微笑みをたたえて存在している。しかし、本当の彼女はもうこの世にいない。その事実をあらためて突きつけられると、胸が締め付けらてた。

 

 

「うん。すごく悲しいけれど、ちゃんと向き合うつもり」

視界がまた涙で滲む。けれど、努めて頬を持ち上げて笑った。

 

 

「まあ、猫の私が引っ掻き回しても。連れていくつもりだったけれど」

 

 

「じゃあ、一緒に行こうか」

この奇跡のような巡り合わせが、果たしてどこまで春奈が聞いたという神様の声?の通りになるか分からない。けれど、ここまで来たら、彼女との僅かな時間をなるべく楽しいまま、希望的観測に酔いながらでも、春奈と笑って過ごしたいと思った。

 

 

「うん。それもいいわね。ふひひ、猫に戻るのも楽しみになってきた」

春奈は、こてん、と頭を久志の肩に弱々しく預けてきた。肩に感じる淡くて儚い重みとその温かさに胸が詰まった。また泣きそうになるのを我慢するために、久志は春奈の喉をくすぐるように彼女の顎に手を寄せる。まるで猫にそうするように。

 

 

「まだ人間ですけど!」

春奈は楽しそうに笑いながら、久志の手を跳ね除けた。

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