第13話 濡れ衣

 一体いつの間に眠ったのか、シャニィが目を覚ますといつものハンモックではなく船長の寝台で、本来の持ち主はソファで眠っていた。


 昨夜は皆で祝宴を楽しんだはずだが、どういうわけか途中から記憶がひどく曖昧あいまいだ。橙苺だいだいいちごの酒の美味しさに感動したことは覚えている。しかし頭痛に邪魔されて、どうにもその後がはっきりしない。確か札遊びをしたはずだが、胃の辺りのもやりとした気持ち悪さに意識が引っ張られて、勝敗さえ思い出せない。


 ———ああ、これが二日酔い……それにしても私、まさか酔いに任せて船長の寝台を強奪したんじゃないでしょうね……


 海賊よりも海賊らしい己の所業の可能性に不安になったが、眠っている相手を起こして聞くのも忍びなく、シャニィは先に砦に帰還の挨拶に向かうことにした。まだ戻ったわけではない、という伝言代わりに荷物は残したままにしておく。


 久しぶりのガララタンの町を抜け、門番に歓迎されて砦に入ったシャニィを待ち構えていたのは、思いもよらない青天の霹靂へきれきだった。


「おかえり、シャニィ。心配したよ」


 そう優しく迎え入れてくれたエクロズに、その柔らかな口調のままだから、船にはもう戻らないようにと告げられたのだ。


「捕縛!?ど、どうしてですか……!?」


 二日酔いで幻聴が聞こえたと思いたかった。


「勝手に迷い込んだのは私の方ですし、彼らはとても良くしてくれて無事に返してくれました……ああ、未登録なのが問題ならオルトリスで登録をすればそれで……」


 混乱しながら言い立てるシャニィに、エクロズは静かに首を振って口を開く。


「シャニィは知らないだろうが、少し前にこの近海で商船が積み荷を奪われる事件が起こった。積み荷だけでなく、多くの乗組員の命もな。この領域を監督する身としては心苦しいことだが、犯人はまだ捕まっていない。奴らにはその嫌疑がかかっている」

「あの人たちはそんなこと絶対にしません!」


 彼はどこかひやりとする眼差まなざしで、シャニィを見据えた。


「そもそも後ろ暗いところがなければ、普通に船籍登録をするものだ。得体の知れない連中を、そう簡単に信用するものではないよ」


 エクロズはため息をつくと、困ったような顔でシャニィを見つめる。


「一歩間違えば、君も先の船員たちの二の舞になったかもしれないんだ。もう少し危機感を持ってくれ。今回はたまたま無事で済んだが、売り払うつもりだった可能性も考えられる。私の縁者だと知って、やめたかのかもしれないが」

「……引き返して送り返してあげたらという声を、あげてくれた人もいました。でも、急ぎの用があると……台風が多くて後ろにずれてしまったから、もうこれ以上は猶予がなくて同行することになったんです」


 ざわざわする気持ちをなだめながら、シャニィはなんとか声を押さえて嵐の中にある島へ向かった話をした。


「確かに今年は台風が多かったが……そうだとしても、一日たりとも猶予がないとは考えにくいな。そうだシャニィ、金や金品を要求されたりはしなかったかい?」

「あの人たちは私から一ペカだって取り上げていません!それどころか食事も寝る場所もくれました。懐は潤っていると言っていましたし……」


 シャニィがハッとすると、エクロズはどこか勝ち誇ったような表情をしている。


「君も気づいたようだが……海賊の懐が潤うということがどういった所業と繋がっているかは、なんとなくわかるだろう?しかしなるほど、我々に発見されることを恐れて、その島とやらに奪い取った品を隠しに行った可能性もあるな」

「そんなの……そんなのただのイメージからの決めつけじゃない!一緒にいればわかります!あの人たちは、誰かを殺して略奪するような人たちじゃありません!それにこの砦から伝書鳥まで預かっていました!潤っていたのは何かの仕事を引き受けた、その報酬なんじゃないんですか!?」


 とうとうこらえきれなくなって、シャニィは声を荒げる。


「嵐越えは本当に命懸けです!たかだか盗品を隠すためにそんな危険を犯すとは思えません!命がなくなったら意味がないですから!替えの帆を持って甲板をたった一往復するのさえ大変だったのに、あの人たちはそこで何時間も命を張らなければいけないんですよ!?」


 必死の反論に、エクロズはその形の良い眉を寄せて顔をしかめた。


「あいつら、君を働かせたのか?嵐の中でまで?つくづく許しがたいな」

「嵐越えの最中は、私は行きも帰りも船内に入るようにきつく言われていました。危険だからと。どうしても必要なものを届けに、たった一度出ただけです。それに働くのだって、自分からやると言ったんです」

「殺されないためにやむなく、だろう?ああ、こんなに手が荒れて、切り傷までできているじゃないか。本当にふざけた連中だ」


 シャニィは思わず、握られた手を引く。


「ロズ、私は荒れようが傷がつこうが、自分の手を動かしたり、自分の足で動き回ることが大好きなんです。そういう人間なんです」

「しばらく共にいた人間への君の優しさはわかるが……どちらにせよ奴らは海賊なんだ、シャニィ。遅かれ早かれ、こうなった」


 ———ああ、やっぱりこれは……私が何を言ってもだめなやつだわ……


 もう彼の中で全ての裁定は下されている。シャニィの言葉は決して届かない。


「……」


 このひと月を共にした船を思う。迷い込んだ時、リーリアという名前に反応した彼。その彼が長く持っていたという、シャニィのものと似たデザインのペンダント。妹が海賊閣下に嫁ぐことを、始終反対していた兄ラジアン。思い返せば、ひと言だって相手を海軍の軍人だとは言っていなかった叔父カルジオ。


 錯綜さくそうする不完全な情報の中、シャニィは帰路の間中ずっとその可能性を考えていた。叔父と共に嵐を越えたという海賊閣下は、エクロズとは全く別の人間なのではないか。酒の席のことで忘れられてしまったのではなく、本当に彼らの間に約束はなかったとしたら。もしもガララタンに来る以前から、相手を勘違いするように仕向けられていたとしたら。


「シャニィ、海賊のことはもう忘れるんだ。そんなものに執着しなくても、君の望みはなんだってこの私が叶えよう」


 エクロズが距離を詰め、まるで退路を断とうとするように迫ってきた。


「……なんだって、ですか」


 シャニィの呟きに、彼は極上の笑みを浮かべる。


「そうとも。望むものを望むだけ、いや望む以上に、だ。約束しよう」

「……。それならロズ……ひとつ、教えてください」


 シャニィは真っ直ぐにエクロズを見上げた。


「なんだい?」

「あなたが持っている、あのペンダント……もしかして、誰かから渡されました?」


 彼は表情を固くすると、その美しい顔を歪めて歯を食いしばるように言う。


「……だとしたら、なんだと言うんだ?」


 その怒りとも悲しみともつかない表情に返す言葉が見つからず、「私……少し町に出てきます」とだけ呟いて、シャニィは身を翻して部屋から駆け出した。

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