第8話 長会議

 メイヤ・ギーニィ号がガララタンを出港して、早くも六日が過ぎようとしていた。


 この船では必要に応じて数日に一度、船長、副船長、航海士長、甲板長、厨房長などの、船を取り仕切る面子めんつが集まって情報を共有する。


 船長室では今まさに長会議の真っ最中だった。

  

「そんなわけで、備蓄用の樽については無事に解決したわ。それからもうひとつ、三日前から厨房ギャレーに仮入りしてるシャニィ・リーだけど」


 厨房長のエーリーが、鋭い視線をヴァンジューに向けながら続ける。


「まず結論から言うと、足手まといどころか超優秀な即戦力だったわ」


 彼にしては珍しく棘のある言い方をしているのは、出港した日の夜の長会議で下された船長命令が気に入らなかったからだろう。


「船長から『強めに揉んでやれ』なんてご命令があったので、普段新人にさせる仕事量の三倍を行うように言いつけたところ」


 一瞬溜めてから、エーリーはにっと笑った。


「全部あっさり片付けたわ。野菜、肉、魚、食材の下処理も完璧。作業も的確迅速、まさに申し分なしよ」


 ヴァンジュー以外の人々から、おお、と感嘆の声が漏れる。


「今日の昼に出した魚のあえ物、美味しかったでしょ?」

「ああ。あれは旨かったな」

「あの子に教わったレシピよ。時短かつ旨くて高栄養、に執念を燃やしたそうよ」


 エーリーは顎を撫でながら呟く。


「最初にデュカスの報告を聞いた時から思ってたけど、本当になんなのあの子。こっちも途中から楽しくなってきちゃったわよ。本当はこんな馬鹿馬鹿しい船長命令なんか聞くもんか、って思ってたけど、泥臭い仕事をあんなにも華麗に楽しそうにこなしていくものだから、これはどう?じゃ、これは?ってなっちゃって」


 ソファに腰掛けている副船長のハロルが、綺麗に整えた灰色の口髭をいじりながら、不思議そうに首を捻った。


「しかし、彼女は一体どこで、そのような技術を身につけたのでしょうね?私の見た限り、良いお育ちであることは間違いないと思います。ただ、そのようなご家庭であれば、そういう類の技術が養われることはまずありません」


 彼の言い分に、エーリーは頷く。


「あたしも不思議に思ってそれとなく聞いたのよ。そしたら、『嫁ぎ先で、大人数に山盛りの食事を素早く提供することもあろうかと、地元で一番大きくて回転率が高い大衆食堂でしごいてもらったんです』ってめちゃくちゃいい笑顔で言われたわ。あの子、一体どこに嫁ぐ気なのよ。夫は海軍の人間なんじゃないの?」


 ヴァンジューは肩をすくめて、どこか投げやりに答える。


「さぁな。海軍軍人の妻になったら、自分も船に乗ることになるかもしれないと思ったんじゃないのか?」

「いや、奥さんになったからって軍艦には乗らないでしょ……あの子、なんであんなことになっているのかしら」


 見張り台の試しを突破して見習いとして認められたものの、シャニィは船に乗るのが初めてで、どの分野に適性があるのかわからなかった。そこで最初の三日は甲板仕事へ、次の三日は厨房仕事へ試しに入れてみることになったのだ。


 甲板長であるデュカスによって驚愕の報告がもたらされたのは、出港二日目の長会議だった。


 揺れる船上という不安定な高所での作業、力が必要な展帆てんぱん畳帆じょうはん作業、甲板磨きに始まる諸々の船の整備。総じて体力が必要である仕事に、なんと彼女は平然とついていっているという。


「実はあの後、私もなぜそのように手慣れた様子なのかシャニィに聞いたんです。そうしたらやはり花嫁修行の一貫で、天井の高い部屋に網や縄梯子なわばしごを張ってもらったり、家の屋根の上で怯えずに動けるように訓練したり、日々体力増強に励んでいたからそれでだと思う、と言われました」


「「「……花嫁修行で?」」」


 今日一番、場の空気が困惑した。


 しばらくの沈黙のあと、航海士長のフリートがぼそりと呟く。


「……俺は根っからの庶民ですから、お嬢様の生活ってやつはよくわからんのですが、花嫁修行ってそういうもんなんですか?料理とかなら、まだわかる気がするんですが……」

「あたしの知ってる花嫁修行とはえらく違うわね。異次元的に別物だわ」


 それからエーリーは眉根を寄せて付け加えた。


「そういえば、ドムが樽を肩に担いでいるのを見て『いつかは私も……』ってぼそっと言ってたわね、あの子」

「いや、一体どこを目指してるんだ、あの小猿は」


 なんとも形容し難い空気が流れ、エーリーは小首をかしげる。


「あの子が変なのか、実家が変なのか、嫁入り先が変なのか……」

「……全部だろ」

  

 ヴァンジューは苦笑してそう答えた。


「あんたはあんまり驚いてないみたいね、トルック」


 大机に腰掛けてクッキーをかじっていた青年は、小さく肩をすくめる。

  

「そりゃ多少はびっくりしましたけど、でも今さらっスよ。シャニィさん、なんか最初から変わってたし」

「そうなの?」


 トルックは頷いて船長の方を見た。


「だって、ヴァン船長が意地悪して『乗船代は身体で払え』なんて言うから、泣いちゃうかなって思ったのに、蓋を開けてみたら『喜んでー!!』って感じで色々ぶっ飛んでて。もちろん働くって意味で、でしたけど……十八メートル近くある見張り台に括られて颯爽さっそうと降りてきたり、見た目に反して異様にたくましいっスよね、あの人」

「身体で払えって、あんたそんなこと言ったの!?なんかあの子に風当たり強くない?」


 エーリーは憤慨したようにヴァンジューに詰め寄る。二人ともガタイが良いため、睨み合うとなかなかに迫力があった。


「……別に。現実を知らないと、色々まずいんじゃないかと思ったんだよ。船を間違えるわ、海賊相手に警戒心は薄いわで、この先が思いやられるだろうが」


 ヴァンジューはそう言ってから、微かに苦笑して付け加える。


「ま、これから嵐に突っ込もうっていう酔狂な船には、ある意味ぴったりなのかもしれんがな」


 そのひと言で、場の空気がすっと変わった。


「デュカス、突入準備の進行状況は?」

「まだ四割強ほどです。ディマーが腰をやって乗れなかったのは痛いですね。作業を急いではいますが、やはりいつもより進みが遅れています」

「というか、よく留守番を納得させたわね。あの性格だから、ってでもくるかと思ったわよ」


 エーリーがそう苦笑を滲ませる。


「なに言ってんスか。思い切りそのつもりでしたよ、ご本人は。船長が休めって言ってんのに、あの人行くって聞かねぇんで、仕方がないから俺が嘘の出航日を教えたんです。置いてかれたって気づいた時は、波止場で哀愁漂ってたかもしれないスけど……でも医者に動くなって言われてんだから」


 そう口を尖らせたトルックに、デュカスが笑い出す。


「ありがとうな、トルック。助かったよ。どう考えてもその方が互いのためだ。無理したら治るものも治らなくなるし、こっちも突入の最中に怪我人を気遣う余裕はないからな」


 哀愁漂うディマーを想像したのか、ふふっと笑いながら、デュカスはエーリーを見た。


「そういう訳だから、悪いが行きの残りの日数はシャニィをこちらにもらえないか。彼女は作業が的確で早いからな。乗り間違えた本人にすればとんだ災難だったかもしれないが、正直助かっていたんだ」

「たぶん災難どころかチャンスだと思ってるわよ、あのお嬢サマ。いいわ。代わりに帰路はうちでもらうわね」

「ああ、それで頼む」


 甲板長と厨房長の間で話がつくと、ヴァンジューは頷いて口を開いた。


「なにせ風次第だから一概には言えんが、順調にいけばあと六日前後で到達する。各自体力を温存しつつ、できる限り備えろ。嵐がくれば、総力戦だからな」


 船長の言葉にそれぞれ頷くと、会議はひとまずお開きとなった。

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