第3話 十年前の約束

 シャニィがブラド商会の受付の女性に用向きを伝えると、すぐに奥の部屋に案内された。


「お待ち致しておりました、シャニィ・ティナ・リーリア様。ご注文いただいたお品の準備は、全て整っております」


 ユーシス・ヒュラと名乗った二十代後半くらいの亜麻色の髪をした青年は、穏やかな微笑を浮かべてシャニィを迎え入れてくれる。


「どうもありがとう。申し訳ありません、色々と無理を言ってしまって」


 直接要望を伝えたのは彼らの上役と懇意にしている次兄のマイジアだが、それらは全てシャニィの希望に沿うためのものだった。


「とんでもございません。確かになかなかないご要望ではありましたが、そのぶん腕が鳴りました」


 ユーシスはにっこりと笑うと、部屋の奥を示す。そこには深い赤色の豪華な宝箱が鎮座していた。ただし、ひと言で宝箱といっても明らかに大きさが尋常ではない。それは人が入れるほどに巨大な宝箱だった。具体的に言えば、シャニィが中に入るためにこしらえてもらったものなのである。


「旦那様に気に入っていただけるといいのですが……」

「海賊はお宝が大好きです。ましてやあなた様のようなお方が入っている宝箱なら、喜ばないはずがありませんよ」


 あまりに大袈裟おおげさすぎるだろうかと思いもしたが、これはまだ見ぬ夫への妻からのサプライズであり、同時に願掛けのようなものでもあった。


 シャニィがリーリア領を出て、はるばるガララタンまでやってきたのは嫁入りのためだ。そしてその嫁ぎ先は、海賊閣下と呼ばれる男のもとだった。幼い頃に両親を亡くしたシャニィと兄二人を育ててくれた叔父カルジオの、大恩人なのだそうだ。十年前に彼らの間で交わされた約束を果たすために、シャニィは今ここにいる。


 安直すぎるかもしれないが海賊と言えば宝箱だろうし、どうか喜ばれる宝になれますようにという、シャニィ自身の想いも込めていた。相手の気持ちはどこまでいっても相手のものだが、それでも自分にできることはしてみよう、というのが生きる上でのシャニィの指針である。


「では、この後の流れを確認させていただきます。まず、ご用意致しましたこの地域の婚姻衣装をシャニィ様にご着用いただき、宝箱にお入りいただきます。お着替えの手伝いやお化粧は、このノンノが務めさせていただきます」


 そばに控えていた癖のある赤毛の女性が、人懐こそうな笑みを浮かべてぺこっと頭を下げた。彼女の横には白い紗の生地に青い刺繍が施された、美しい服がかけられている。そばには頭につける飾りや細長い腰帯のようなものが何本か吊るされていて、珊瑚や海藻や色とりどりの魚を思わせる模様やビーズが目に鮮やかだった。


「その後、シャニィ様にお入りいただいた宝箱を、他の搬入物と共に海賊閣下がいらっしゃる砦へと運びます。その際には、わたくしが最後まで責任をもって宝箱をお届けしますのでご安心ください」


 そして夫婦の初の対面となる手筈てはずだった。果たしてこの蓋が開いた時、自分は何を見ることになるのだろう。そんなことを思いながら宝箱を眺めていると、不安がっているととらえたのかノンノがにこにこしながら口を開いた。


「職人さんにお願いして、しっかりと空気穴を開けてもらっていますからね。もしも不測のアクシデントでしばらく開けてもらえない事態になったとしても、ちゃんと息は続きます。私が中に3時間ほど入ってしっかり確認しましたので、ご心配はいりませんよ」

「ま、まぁ……そんなことまで気を配っていただいたのね」


 正直、シャニィは宝箱の中の空気のことまでは考えが至っていなかった。悪気はなかったとはいえ、彼女に危険な可能性があることをさせてしまったのかと思うと申し訳ない気持ちになる。それを察したのか、ノンノは何かを準備しているユーシスの方を一瞬うかがってから、シャニィにしか聞こえないように声を潜め、


「私としては、お給金をいただきながらたっぷり昼寝ができる大義名分ができて、とてもラッキーでした」


 と、悪戯いたずらっ子そのものの顔で笑った。


 その屈託のない笑顔につられ、シャニィも口元を手で隠し———もう大きく口を開けて笑っても、はしたないと注意されることもないのだとはたと気づいて手を下ろし———二人は顔を見合わせてくっくと笑い合った。


「あの、ユーシスさんは海賊閣下のことをよくご存じなのですか?」


 直接何かを運んで行ってもおかしくないからこそ、恐らく彼が担当になっているはずだ。二年前に叔父が持病で亡くなってしまったため、いくつかの武勇伝しか知らない旦那様の情報に、シャニィは正直飢えていた。


「……そうですね、私がこの商会に見習いとして入って以来ですから……もう十年近い付き合いになりますか」

「あの、どんなお方なのでしょう?」

「……シャニィ様はどのような方を想像しておられます?」


 聞き出そうと思ったのに、ついさっきどこかで見たような表情を浮かべたユーシスに、逆に聞き返された。


「そうですねぇ……なにせ兄から聞いたエクロズ様というお名前と、叔父が話してくれたいくつかのお話しか存じ上げないので……海賊閣下なんて呼ばれているのなら、なにかこうたくましくて、ひげもじゃの熊さんみたいなお方なのかしら、なんて思ったり……」

「髭もじゃの熊」


 一体何が琴線きんせんに触れたのか、ノンノは今度は身を折って笑い出した。彼女にたしなめるような視線を向けているユーシスも、唇に力を入れて笑いをこらえているように見える。これは大はずれかもしれない。もしかしたらひょろひょろの枯れ木のような感じの人なのだろうか。


「よし、やっぱりこれ以上お尋ねするのはやめておきましょう。お互いをわからない状態でお会いできるのはこの一度きりです。旦那様へのサプライズのつもりでしたが、私の方もサプライズとして楽しむことにします」


 シャニィはそう宣言して、ユーシスとまだ笑いの発作がおさまらないノンノを見る。


「ところで、お二人はご兄弟なんですか?」


 何の気なしの問いかけに、二人は目を丸くして固まった。ややあって、戸惑いを滲ませたユーシスが口を開く。


「……どうして、おわかりになったんですか?仰るとおりなのですが、私たちは異母兄弟で顔があまり似ていないもので……普段、気づかれることはまずないのです」

「え、そうなの?いえだって、その茶目っ気のある表情が、どう見てもそっくりだったんですもの。聞かれたくないことに触れてしまったのだったら、ごめんなさい」

「いえいえ、私どもはまったく隠しておりませんし、商会の人間は皆知っていることです」


 なにも問題ないと首を振った二人は、互いに顔を見合わせる。


「そっくりだったって、ユース兄さん」

「なぁ。自分の表情ってあんまり見たことがなかったから……」


 彼らは明らかに嬉しそうだったので、シャニィは内心ほっとする。この町で暮らしているうちに、彼女たちとも仲良くなれたら嬉しいな、などという希望をほのかに抱きながら、シャニィはノンノの手を借りてサプライズの準備へと取り掛かったのだった。

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