132. 腹痛

 腹の痛みが少しだけ和らいだ。


 こういうのって波があるよな。


 この収まったときの感覚は感動ものだ。


 はあ、なんて気持ちいいんだろう。


 オレは空を仰ぎ、「ふっ」と笑う。


 これで少しは耐えられる。


 ん?


 なんだ?


 なんかいるぞ?


 あれは……竜か?


 どういうことだ?


 なんで竜がいるんだ?


 なんか竜と目があったんだけど。


「――――」


 竜が火炎を吐いてきた。


 ウオッホイ。


 まじか。


 こいつやる気だな?


 そっちがその気なら、オレだって容赦はせんぞ?


 竜とはいえ、ただのでかいトカゲだろう。


 人間様、いや伯爵様であるこのオレに勝てるわけがなかろう?


 ふははははっ。


「氷塊!」


 でっかい氷塊を放ってやったぜ!


 氷と炎がぶつかる!


 ドォーンと爆音とともに地上に砂吹雪が舞う。


 やるではないか、竜よ。


 だが、


「空を統べるのは竜ではない。オレだ」


 オレはガルム領、伯爵――アーク・ノーヤダーマだ。


 オレの上を行くとは傲慢だな。


「バレット。あいつを引き下ろせ」


「了解です」


 バレットが魔銃を構える。


 そして、


――ドンッ


 竜に向かって一直線に向かっていく魔弾。


「グルアアァァァァァ!?」


 竜の目に見事被弾。


 やるな。


「よくやった、バレット」


「ありがとうございます」


 この距離を当てるとは、さすがバレットだな。


 そのバレットも今やオレの下だ。


 つまり、バレットの力はオレの力。


 ふはははっ。


 これが悪徳貴族理論だぜ!


「スルト。あれ、落とせるか?」


「ああ。任せとけ」


 スルトが剣を上段に構える。


「ムスペルヘイム」


 スルトの持つ剣、レーヴァテインから炎が放たれた。


 空で醜く暴れまわる竜をレーヴァテインの炎が包み込む。


 ぐるあぁぁぁぁと泣きわめく竜。


 みっともないな。


 これが空の覇者とは聞いて呆れる。


 ふははははっ!


 竜が落ちてくる。


 このままではオレたちにも火の粉が回ってくるな。


 それは面倒だ。


「よし、ルイン。消化しろ」


 直後にルインが魔法を放った。


「――ニライカナイ」


 ルインの放つ魔法――ニライカナイが竜を包みこんだ。


 竜は水の中で泡のように溶けていく。


 そしてあっという間に消えていった。


 ふはははははははっ!


 余裕だったぜ!


 これがオレの権力!


 力、イズ、パワー!


 竜よ。


 地に落ちることも叶わぬ、愚かな竜よ。


 貴様には天は似合わない。


「アーク様」


「なんでしょう? マギサ様」


 マギサが遠い空を指さした。


「まだ来ます。もっと多くの――竜の群れが」


 竜の大群がやってきていた。


 ふははははっ。


 これは面白いことになったな。


 竜どもめ、うじゃうじゃと湧いてきやがる。


 良いだろう。


「ふっ」


 ぜんぶ蹴散らしてやろう!


「人間の恐ろしさを奴らに思い知らせてやろう。

竜などでかいトカゲに過ぎん。

そもこの空は統べるのは竜でも人間もない。

このアーク・ノーヤダーマだ!

ふははははははははっ!」


◇ ◇ ◇


 空を覆い隠すように現れた竜の群れ。


 それはまさに竜の覇者を名乗るにふさわしい堂々たる姿だ。


 恐怖の光景が広がっていた。


 最強の種族、竜。


 一体を倒すのにもやっとなのに、それが群れとなって攻めてくる。


 そこに恐れをなし、足がすくむのは致し方のないことだろう。


 事実、シャーフはビビっていた。


 シャーフは他の面々とは違い、臆病な性格をしている。


 魔法も彼女の性格に似て、存在を消す魔法だ。


 臆病が長所であることを正しく認識しているものの、時折、自分の臆病さに嫌気が差す。


 そして今がまさにその瞬間だ。


 竜を見た瞬間、内心、震え上がってしまっていた。


 正直に怖いという思いがあった。


 干支の中で、唯一の凡人だと自覚しているシャーフ。


 空の覇者である竜を前にして、成すすべもなく立ちすくむ。


 竜はその巨大な目玉をギョロリと動かし、シャーフたちを見下ろした。


 悪寒が背筋を走る。


「だめ……」


――逃げちゃ、ダメだ。


 シャーフの、羊の本能が逃げろと警鐘を鳴らす。


 それに従おうとしてしまう自分がいる。


 そして竜は口を大きく開き、息を吐いた。


 ただの息ではない。


 火炎だ。


 それはもはや天災だ。


 大地を焼き焦がすほどの強烈な炎。


 目に焼き付けるばかりか全身を焼き焦がす。


 そんな炎を目前にし、しかし――


「――氷塊」


 アークが対抗するように魔法を放った。


 アークの放った魔法は至極単純なもの。


 魔力を練り込み、巨大な氷の塊を作り上げ、それを竜に向けて放っただけだ。


 竜の火炎とアークの氷塊がぶつかり合い、轟音とともに大地を揺らす。


「――――」


 鼓膜を突き破るような音。


 それに重ねるように竜の絶叫が響き渡った。


 音というのは、それだけで人間を攻撃するもの――そう思わせるほどの轟音であり、絶叫だ。


「……ッ」


 だがしかし、シャーフはその絶叫によって覚悟を決めることができた。


 この場所でシャーフのできることは少ない。


 他の面々と違い、シャーフの戦闘力は低く、なおかつ竜のような規格外の相手ではシャーフの魔法は通じない。


 せいぜい、仲間を敵から見えにくくすることくらいだ。


 しかし、すでに敵から認知されているこの状況でシャーフの魔法の効き目はほとんどない。


 役に立たない――のではない。


 ここが彼女の戦場ではないだけだ。


 そもそも、シャーフはここまでの道中もずっと魔法を使い続けてきた。


 敵から身を隠すための重要な役割だ。


 今回のような遭遇でない限り、シャーフたちが察知される可能性は極めて低かった。


 改めていうが、シャーフの主な役割は戦闘ではない。


「私の戦場はここではない」


 シャーフは冷静になり、首を振って周囲を見た。


 すでに他の面々は戦闘に入っていた。


 あの王女であるマギサすらも竜に恐れをなさず立ち向かっていた。


 そして――


「――――」


 シャーフは驚く。


 戦いが一方的だった。


 竜の群れに対し一歩も引かないどころか、アークたちは竜を圧倒していた。


 その姿はまさに圧巻。


 あっという間に竜の群れは数を減らし、残り片手でも数えるほどとなった。


 そのとき、ちょうどアークがこの場を離脱しようとしているのを見た。


 戦いに参加していなかったシャーフだからこそ、アークが動きがわかった。


 いや、もう一人アークの離脱を察知していた者がいる。


 同じく戦いに参加していない干支の一人――申のアッフェだ。


 シャーフとアッフェは目があった。


 そして頷き合う。


 二人はこっそりとアークをつける。


 だが、


「ひッ……」


 アークから鋭い眼差しで睨まれ、シャーフはビビってしまった。


 だが同時に理解する。


 アークがここまで険しい表情をするということは、今から起こるだろう戦いはそれだけきびしいものになるということだ。


 竜との戦いなど序章に過ぎないということだろう。


「ちょうど良かった。シャーフ。オレに魔法をかけてくれ。

誰にも見つからないような魔法をな」


 アークが真剣な目つきで言ってきた。


 その指示の背景を考えたとき、アークが今から単独の隠密行動に出るだろうことは容易に想像できた。


 なぜアークが隠密行動を取るのか、他のメンバーではダメなのか。


 シャーフは疑問を覚える。


 だが、


――考えても仕方がないことだよね。


 アークの考えが何であれ、それに従うのが干支である。


 アークに言われた通り、シャーフは魔法をかけた。


 シャーフが扱える中で最高級の魔法、存在を消す魔法を。


 完全に存在を消すことはできないものの、注意しなければ気づかないほどに気配を薄くすることはできる。


 続いてアークはアッフェを見た。


「オレは少し離れる。オレの代わりとしてしばらく動いてくれ」


「私は何をやれば良いのでしょう?」


「オレらしく振る舞え」


「かしこまりました」


「それと王女とルインだが、オレが戻るまでは城でゆっくりさせといてくれ。

あいつらにはあとでしっかり戦ってもらわなければならんしな」


「はい」


 その短い会話とともにアークが茂みに消えていった。


 シャーフとアッフェはアークの後ろ姿を見送った。


 そして、アークがいなくなると同時に申がモノマネ魔法を使い、アークの姿に変わった。


 申の姿形を変える魔法は完璧だ。


 シャーフも知らなければ気づかないほどだ。


「さあ、行くぞ」


 アークになり切った申がそうシャーフに言う。


 シャーフは黙って頷き、最後にちらっとアークが消えていった方を見た。


 アークが何をなそうとしているのか、シャーフにはわからない。


 しかし、シャーフでは考えもつかないような高度な策をめぐらしているのだけはわかった。

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