57. 戌

 干支の一人、戌のフント。


 彼女はかつて祖父母と暮らしていた。


 田舎暮らしであったが、特に不満をいだいていなかった。


 しかし、そんなときピエロの格好をした男が現れた。


 当時のフントは幼かった。


 珍しいものがない田舎にあって、ピエロ男は興味を引かれるものだった。


 祖父母はピエロ男を信用していないようだったが、フントは日常に少しだけ退屈していた。


 だから彼女はピエロ男と仲良くなった。


 ピエロ男の話す内容はどれもこれも面白かった。


 ときどきおどろおどろしい話もあるが、それすらも面白いと感じていた。


 そんなある日、フントはピエロ男に誘拐されてしまった。


 よくある話だ。


 この世界で誘拐などありふれている。


 フントもその一人だったというだけだ。


 それからフントはハゲノー子爵に飼われ、犬と一体化させられてキメラとさせられた。


 フントの過去はありふれている。


 だが、ありふれた過去だからといって、忘れられるものではない。


 悲劇であるのには変わらないのだから。


 さらにその悲劇は加速する。


 あるときフントの心を折るかのように、フントにとあるものが届けられた。


 それはフントの祖父母の首だった。


「ああ……あああ……なんで、なんでこんなことに……」


 フントは慟哭した。


 唯一の血の繋がりを絶たれた。


 それもあまりにも残酷なやり方で。


 そうしてフントの心は折れた。


 そこからはハゲノー子爵に飼われながら、死んだように毎日を生きていた。


 そんなとき、フントはアークと出会った。


 アークによって助けられた。


 それからというもの、フントの生活はいい意味で変わった。


 いい主人のもとで何不自由なく暮らすことができた。


 だがどれだけ生活に満足しようと、暗い過去だけは忘れることができなかった。


 ピエロ男への復讐だけは忘れられなかった。


 忘れられるはずもなかった。


 しかし悲しいことに人間とは忘れる生き物でもある。


 人の血が半分入っている以上、年月とともに忘れていってしまうのは自然なことだ。


 少しずつ怒りが解けていくのが悲しかった。


 だから戒めが必要だった。


 怒りを、恨みを、そして祖父母の死を忘れないように、フントはあえてピエロのような仮面をつけるようにした。


 ピエロの思考を追うように、わざと言動を男のものにした。


 そして、


「ヴェニスには貴様の望むものがあるだろう」


 そうアークが言った。


 それはつまり、この街ヴェニスに復讐の相手ピエロがいるということだ。


 フントの直感も、ここにピエロ男がいると告げていた。


 直感だけではない。


 カミュラで調べた情報からも、ここにピエロ男がいる可能性が高いことがわかっている。


 もうすぐあの男にたどり着ける。


 そう考えると、フントは居ても立っても居られなかった。


「吐きましたか?」


 フントがエリザベートに問う。


「ええ。もうたっぷりと。笛吹のことも、闇の手のことも、色々と聞かせてくださいましたわ」


 エリザベートは嬉しそうに、顔を赤く染める。


 物理的にも赤く染まっているのだが。


 エリザベートの体にはおびただしい量の血が付着している。


 そして彼女らの前には、黒ローブを着た男――闇の手の者が椅子に繋がれている。


 闇の手の者の大半は下っ端だ。


 情報を吐かせようとしたところで無駄だ。


 なぜなら、そもそも情報すら持っていないからだ。


 しかし、今回の闇の手の者は違った。


 当たりだった。


 ピエロ男に繋がる手がかりを持っていた。


「ようやく望みが叶うぜ」


 フントは仮面の下で暗い笑みを浮かべたのだった。


◇ ◇ ◇


 夕方のヴェニスは綺麗だな!


 さすがは観光都市。


 昼の賑わいもいいが、夕方の町並みも美しい。


 時計塔から街を見下ろしたら、さぞ綺麗だろう。


 今度妹にも教えてやろう。


「アーク様」


 暗闇の中からフントが現れた。


「送ってくれるか?」


「もちろんです」


 犬がオレを導いてくれる。


 正直、宿までの道はあまり覚えていない。


 さっきオレが道に迷ったからなのか、やけに丁寧に道案内してくれる。


 だが、ちょっとまってほしい。


 宿までって、結構距離あったよな?


 普通に馬車呼んでくれたほうが嬉しいんだが。


 まあいいか。


 適当についていこう。


 夕方のヴェニスを歩くのも楽しいからな。


「フントよ。貴様の望みのものは見つけられたか?」


 土産屋で、たくさんの仮面が売っていた。


「はい。これで俺の望みは叶いそうです。ありがとうございます」


 そんなに仮面が欲しかったのか。


 やはりオレの読みどおりだったようだ。


 さすがはオレ!


「で、ここはどこだ?」


 適当にフントについていったら、変な場所に到着した。


 まさか……こいつも迷子か?


 まあオレも迷子になった身だ。


 人のことは言えんがな!


 自分のことは棚に上げるのが貴族の特権だ!


「ここです」


「あ、ああ。うん」


 いや、迷子のくせにそんなに堂々とされても困る。


 まあオレも迷子になっても堂々としているが……。


「闇の手の者の拠点です。さあ行きましょう」


 は?


 どういうこと?


「エリザベート様が聞き出してくださいました」


「あー、うん。そうなんだ」


 なるほどね。


 なにがなるほどか全くわからんが、とりあえず頷いておいた。


「行きましょう」


「あ、うん」


 よくわからんけど、行くか。

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