壊れたレコードプレイヤー

カラス博士

壊れたレコードプレイヤー

 創造的な人間の能力の本質とはどの部分にあるのだろうか。

 

 間違いなく、それは人間でなくては存在し得ない能力でなければいけない。


 つまり、形骸化され得ない能力である。


 私はよく、評価する知識人やそれに準ずるものに対して、本質を見ることの重要性を語る。この行為自体は形骸化されうる、レコードプレイヤーにでも出来る事だ。


 だが残念な事にレコードプレイヤーは人間ではない。レコードプレイヤーは想像できない、誰に語るのか、何のために語るのか、語ったら何が起きるのか。


 しかし、人は多くの場合、能力の高い人間が想像力を駆使し熱弁する音声と、レコードプレイヤーが流す全く同じ内容の音声の差異を認識できない。


 なぜなら人は想像力に富んでいるからだ。例え音声の元がレコードプレイヤーであったとしても、その論の様々な性質を深く鑑み、勝手に理解し、勝手に評価する。


 私がその音声がレコードプレイヤーによるものだと気付くのは、それが壊れた時である。


 壊れたレコードプレイヤーは人間の介入がなくとも独りでに同じ音声を流し続ける。まるで自分が機械だと忘れたかのように。だが目の前で話す様子を見なければ気付く事はない。私はよく気付いて失望し、その気持ち悪さに閉口する。


 であるが大半の人間はレコードプレイヤーが壊れていることにも気付かない。本質など存在しない論理を、表面だけ体よく整え、多くの人間は訳もわからないままにその音声の美しさに酔いしれる。


 酔いが醒めた頃には、大抵何も残っていない。酔っていた理由も説明できない。そして何より、それらが人類にとって有益であったためしがない。酔うのは楽しいし心地よい、そして何も考えなくていい。酒に酔っている間は二日酔いの苦しさなど忘れるように、人々は酔い始めた途端に想像力を失う。


 これを繰り返した先にあるのは破滅であろう。人類の肝臓はいずれこの酒の毒を分解する術を失ってしまうのだ。


 どちらにとっても、大事なのは想像力である。町中で聞こえてくる音がレコードプレイヤーによるものか、はたまた肉声によるものかなど判別する必要はない。

 

 しかし、それが壊れたレコードプレイヤーであるとわかったのなら、それは適切に処分されるべきである。

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壊れたレコードプレイヤー カラス博士 @seinarukana

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