第57話 お家へ帰ろう
ギルドの扉を押すと冷たい金属音が鳴った。
いつもの喧噪が戻りつつある。
冒険者たちは武器を肩に担ぎ、警戒解除の余韻に笑っている。
ロジャーたちはまっすぐカウンターへ向かい、マリーナの前に立った。
彼女は小さく息を整え、穏やかに微笑む。
「お帰りなさい。それで、どうでしたか?」
ロジャーが手短に話した。
旅だったあとのこと、防衛戦でのこと、竜との邂逅、そしてセレスティアが契約を結んだこと。
アマンダとアンナが補足し、アルディアスがその隣で腕を組んでいる。
報告を聞き終えたマリーナはしばらく沈黙したあと、ふっと表情を和らげた。
「……本当にドラゴンをテイムしたんですね。おめでとうございます、セレスティア様」
セレスティアは小さく息を飲み、そして丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。あなたのおかげです」
「私はただの仲介役をしただけですので」
「いえ、あなたがロジャー殿を紹介してくれたおかげで私はアルディアスと契約できたんだ。本当にありがとう」
「大袈裟ですよ……。でも、そう言ってもらえると紹介した甲斐があります」
そう言って微笑むマリーナにセレスティアも笑みを浮かべた。
「このあと実家に帰って父や母と今後のことを話し合うつもりです」
その言葉にマリーナは安心したように微笑んだ。
「……それが一番いいと思います。いろいろな思惑が動くでしょうし」
ロジャーとアマンダが横で静かに聞いていた。
マリーナは手元の書類をめくり、ペン先を走らせる。
「それと――」
彼女は顔を上げ、二人に向けて言った。
「ロジャーさん、アマンダさん。今回の指名依頼の清算です」
差し出された紙には半年以上に及ぶ独占契約の総額が記されていた。
マリーナの指先が軽く震える。
「……改めて見ても、すごい数字ですね」
アマンダは苦笑し、ロジャーは「へえ」と他人事のように呟いた。
マリーナは続ける。
「お二人ともBランクですが、アマンダさんはこのギルドでも屈指の実力者ですし、人格も申し分ない。ロジャーさんに至っては……もうSランクと変わりません。この金額も納得です」
アマンダが肩をすくめた。
「ギルドに負担をかけてしまいましたね」
「いえ、これだけの功績を残されたんです。正当な報酬ですよ」
マリーナの声はどこまでも穏やかで少しだけ寂しげだった。
ロジャーたちが再び旅立つことを彼女はすでに悟っていたのだろう。
静かな時間が流れる。
外では鐘の音が消え、午後の日差しが斜めに差し込んでいた。
マリーナは帳簿を閉じ、別の書類を取り出した。
視線を上げ、静かに言った。
「さて次は、セレスティア様のご依頼分ですね」
セレスティアは瞬きをした。
「……え?」
「ロジャーさんとアマンダさんを半年以上にわたって独占されていましたから。契約金と手数料を含めた精算書をお渡しします」
マリーナは笑顔のまま一枚の封筒を差し出した。
白い紙の端がかすかに重たく揺れた。
セレスティアは両手で受け取り、慎重に開いた。
数字を見た瞬間、息を呑む。
「ひっ……!」
小さな悲鳴が漏れた。
アンナが心配そうに身を寄せる。
「ど、どうされたのですか、お嬢様?」
セレスティアは青ざめた顔で明細を差し出した。
アンナが受け取り、目を走らせて次の瞬間、固まった。
「…………これ、桁、間違ってませんか?」
マリーナは柔らかく微笑んだ。
「いいえ。ギルドの規定に基づいた正確な計算です」
「せ、正確に……?」
「はい。ロジャーさんはSランク相当、アマンダさんはBランク上位。それに半年以上の独占契約ですから」
セレスティアは小さく首を振り、笑うしかなかった。
「ぶ、分割払いでどうにかならないだろうか……?」
ロジャーは横で、いつものように気の抜けた笑みを浮かべていた。
「安心しろ。俺が代わりに払っておいてやるよ。弟子の門出祝いだ」
マリーナが目を瞬かせる。
セレスティアもアンナも信じられないというようにロジャーを見つめた。
「そ、そんな……! この額を一括で!?」
「別にいいだろ。俺、貯めるだけ貯めて使い道なかったしな」
ロジャーは肩をすくめ、封筒を指先でつまんだ。
そして、何のためらいもなくギルドのカウンターに差し出した。
マリーナが受け取りを確認し、記帳する。
セレスティアはまだ信じられず、口を開いた。
「師匠。こんな、貴族でも尻込みするような額……! 何年かかっても、必ずお返しします!」
その言葉にロジャーはあっけらかんと笑った。
「いらん。俺の弟子がドラゴンをテイムした。それだけで充分だ」
彼はひと息つき、背を軽く叩いた。
「これは師匠からの最後の贈り物だ。だから遠慮すんな」
セレスティアは唇を噛み、目に涙を浮かべた。
ロジャーの笑い声が広いギルドの空気をやわらかく震わせる。
アマンダはその背中を見ながら、少しだけ目を細めた。
アンナはそんな二人を見て、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
静かな午後の光が差し込み、カウンターに金の輝きが滲む。
それはまるで、師弟の区切りを照らす光のようだった。
泣き止んだセレスティアの頭が少しだけ上がる。
目にはまだ涙の跡が光っている、顔には決意が戻っていた。
「……ありがとうございます、師匠。この御恩は決して忘れません」
ロジャーはにやりと笑い、肩に掛けた鞄をがしっと掴む。
使い魔たちが周りでちょろちょろと動き回り、フェルリオットは鼻をひくつかせて興奮を見せる。
アルディアスは人の姿のまま、すっと後ろへ一歩下がる。
金色の瞳がほんの少しだけ柔らぐ。
「泣くのは全部終わってからだ。目的を果たしてから、好きなだけ泣け」
ロジャーの声はいつも通り軽い。だが、響きには揺るがぬ重みがある。
セレスティアは苦笑を含めた笑みを返し、ぎゅっと拳を握った。
アンナが小さく頷き、アマンダは肩越しに短く「行け」と言う。
ギルドの受付嬢マリーナが手を振る。
町の人々が拍手を送る。
声が少し弾む。
「アルディアス、行こう」
セレスティアの声は震えていない。
低く、確かな音だった。
アルディアスは首を傾げ、空気をふくんだように息を吐く。
そして、ゆっくりと体を縮め、人の姿から背の高い、青い鱗の竜へと戻っていく。
広場に立つ者たちの視線を一つずつ受け止めながら、アルディアスは背を丸める。
大きな翼がゆっくりと広がり、影が町を一瞬覆う。
ロジャーは片手を上げて合図をする。
「驚かせてやれ。世界をよ!」
アルディアスの背に三人が並ぶ。
フェルリオットがぽんと息を吐き、使い魔たちが空へ跳ねる。
足元がふっと軽くなり、空気がざわめき、四人はゆっくりと浮かび上がった。
城壁の屋根を越え、屋根の隙間を抜け、町の石畳に溶けていた光が流れていく。
風が頬を冷たく撫でて、遠くに見える実家の屋根が徐々に大きくなる。
セレスティアはアルディアスの首筋に手を当て、小さく息をついた。
振り返るとロジャーが指で小さく合図を送る。
その表情は冗談めかしているが、目だけは真剣だった。
「さあ、家族を驚かせて婚約の話を吹っ飛ばしに行こうぜ!」
ロジャーの声が風に混ざる。
言葉は短く、行動は大きい。
アルディアスの翼が一度、大きく羽ばたいた。
街のざわめきが小さくなり、風だけが追ってきた。
テイマーだけどうちの可愛い使い魔達を戦わせたくない! だから、俺が戦う!!! 名無しの権兵衛 @kakuyou2520
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