奥の極細道

@kokataNaru

悩みごと

 世の中には寂しい時はとりあえず人と繋がっていたいと思う人が沢山いると思う。学生時代もそうだった。なんとなく一緒につるんでいる人たちはそこそこ楽しそうに見えた。私の目には彼らが孤独と無縁のように見えた。卒業から30年経った現在、彼らのほとんどが適齢期に結婚をし家庭を築き、安定した生活を送っているのを見聞きすると、やはり孤独とは無縁の人たちだったのだと実感する。

 お金も幸せも寂しがり屋で、もっている人にどんどん吸い寄せられるのだ。

 その一方で、その欠片ももっていない私にはお金も幸せもなかなか寄ってこない。嬉しそうに寄ってくるのは虫と老いだけのようだ。

 思い返せば小さい頃から拘りが強く、変わった子だと言われていた気がする。周りに合わせることが苦手で、後先考えずに何かをやらかすこともしばしばだった。幼稚園の運動会か何かの練習の時に楽器演奏があり、勝手に音を出してはいけないと先生に注意されたにも関わらず、なんとなく笛を吹いて、先生に怒られた記憶がある。その時の先生は素早かった。音を出すなりすっ飛んで来て、私を並んでいた列から摘み出して、しばらく立っていなさいとかなりの剣幕で怒ったのだ。と、思う。なんでそう思うかと言うと、立たされて見せしめにされたのは事実だが、私は全く落ち込んでなかったのだ。小さな子供がみんなの前で立たされたら、恥ずかしいと思い反省するのかもしれないが、私はその時反省した記憶がない。どちらかと言えば、外からみんなを眺めて、こんな練習をしているのかと興味津々だった。糠に釘状態では先生も呆れてしまったのだろう。今であれば体罰問題になるであろう立ちんぼの罰はすぐに終わった。

 こんな変わり者で反省しない偏屈でも、歳を重ねて人生経験を積むと人並みに思慮深くなるときがある。これが今一番の悩みごとなのだ。自分の孤独に気づいてしまった。こんな厄介なことはない。どうせなら、死ぬまで反省しない孤独に気がつかない人生が良かったと思う。

 人となんとなく一緒にいることも、結構大事なことだったのかもしれないと今は思う。若いときは100%の繋がりがなければ繋がっていても不全感を感じるから、それならひとりの方がいいと単独行動を好む傾向があった。頭の中で人は一人で生きていけないとわかっていても、若い頃は全く実感が伴っていなかった。今は痛いほどわかる。同じ時に同じ空間にいるだけでも尊い。死んだ後を考えても、一人じゃどうにもできない。死んだら関係ないと言う人もいるが、そう言うわけにはいかない。死んでまで虫と仲良くなりたくない。しかし、今となっては無条件にただ一緒にいてくれる家族は誰もいない。

 と、言いつつ、一緒にいると一人になりたくなるんだろうと予想がつく。私はやはり結婚不適合者なのだろう。諦めて孤独と虫と仲良くするしかなさそうだ。

 

 

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