【8】初騎乗

 

 

 

 龍は光の差さない完全な暗闇でも、物体の存在とその形状や材質を認識できる。

 これは視覚とは別種の感覚で、名付けるなら『存在認識覚』となるだろう。

 一方、目による視覚も極めて優れ、月の出ている夜ならば昼間と変わらず、モノを見ることができる。

 那古野城の北を流れる川のこちら岸を探せば、信長はすぐに見つかるはずである。

 

 ──見つけたとして、どうしよう……?

 

 勢いで城から飛び立ったヴァルデュギートだけど、信長に味方の城が攻められていることを伝えたあと、どうするのか考えていなかった。

 信長なら自分を勝幡まで乗せて飛べと言い出しそうだけど。

 そう言われたらヴァルデュギートは、かたちばかり迷った末に、きっと彼を乗せて飛んでしまうのだろうけど。

 

 ──きっと、そうしてもいいと思って、ボクはサブローへの伝令を引き受けちゃったんだろうな……

 

 龍が何者であるかを知らないまま、ヴァルデュギートを城に留め置いて歓待させた信長である。

 振る舞われた日ノ本のお酒は、美味しかった。

 でも、それを純粋な厚意によるもの、または龍という存在への好奇心からのものと考えるのは、単純にすぎる。

 自分を乗せて空を飛べるかという質問は、ヴァルデュギートの利用価値を値踏みしてのことではなかったか。

 まだ少年というべき年頃の信長だけど、すでに一城のあるじであり、数百人の部下を持つ軍事指揮官なのである。

 利用できるものは最大限に利用しようとする冷徹さは備えているだろう。

 ……それとも、単に空を飛ぶという経験をしてみたかっただけかもしれないけど。

 人間はたいてい、鳥のように空を飛ぶことに憧れるものだから。

 だけど、そうであったとして──

 

 ──うん、やっぱりボクは、深いことは何も考えてないね。

 

 そもそも彼ひとりを勝幡城へ運んだとして、何ができるわけでもないだろう。

 ならば、信長に味方して、勝幡城を攻める敵と戦うのか。

 いや。

 龍は人間とは戦わない。

 普通であれば。

 人間など龍から見れば小さな存在であり、あえて戦う理由がないからだ。

 とはいえ亜龍が人間から攻撃されたときには、龍は亜龍に味方して人間に反撃する。

 亜龍は龍族の同胞であり、これをまもることが龍の責務であるからだ。

 また、ヴァルデュギートに限っては、盗賊のような無法者が明らかに罪のない子供や一般市民を襲うのを見れば、お節介とは思いつつも子供たちを救うために盗賊を攻撃することもある。

 うん、お節介である。

 ほかの龍には間違いなく呆れられる。

 でも、ヴァルデュギートは人間が嫌いではないのだ。

 人間が亜龍を攻撃している場合も、それが狩猟のような浅ましい理由ではなく、亜龍の側から──知性の無さゆえに──人間を襲ったのであれば、できる限り両者を引き離して戦わずに済むように計らおうとする。

 ヴァルデュギートは、なるべく人間と敵対したくないし、罪のない人間が困っているのであれば助けてやりたいと思うのだ。

 だけど。

 勝幡城が襲撃されているというのは、人間同士の内輪の争いだ。

 どちらの側にも人間なりの戦う理由があるのだろうし、そこに龍が介入する余地はない。

 そうなんだけど……

 

 ──考えたって、仕方ないや。

 

 とにかく信長を見つけて、伝令の務めを果たそう。

 それは約束してしまったことだから。

 

 ──いた!

 

 日没前にヴァルデュギートが飛び越えて来た、東西に流れる川である。

 木曾川と呼ばれ、信長がいる尾張国と、敵である美濃国との国境であるという。

 そのこちら岸に百二、三十の兵が集まり、幔幕を巡らせた陣地を構え、盛んに篝火を焚いている。

 そのやや上流と下流の無人の川岸にも篝火が焚かれ、岸から少し離れた暗がりには軍旗や筵旗むしろばたを並べてある。

 少しでも味方の数を多く見せるためだろうけど、旗を篝火から離してあるのは、実際はその場に兵がいないことが炎で照らされてバレないようにだろう。

 兵士たちがヴァルデュギートに気づき、騒ぎ始めた。

 月明かりの下を飛来する金色の龍の姿は目立つのだ。

 構わずヴァルデュギートは幔幕の近くに降り立ち、呼びかけた。

 

『サブロー! イヌチヨからのしらせを伝えに来た!』

「…………」

 

 幔幕の内から信長が、勝三郎と、ほかに三人の兵士を従えて現れた。

 兵士たちは槍を手にしており護衛であろう。

 うち一人は──ヴァルデュギートは知らないことだけど──『井ノ口の戦い』の敗報を信長にしらせた物見であり、名を恒川つねかわ久蔵といった。

 小柄で細身だけど、よく日に焼けた俊敏そうな男である。

 あとの二人は揃って髭面ひげづらで、にやけた顔つきが互いによく似ていた。

 服部小平太、小藤太の兄弟だ。

 金色の龍の姿のヴァルデュギートを間近にして、勝三郎と久蔵は、ぽかんと口を開け、小平太と小藤太は何が面白いのか、げらげら笑い出した。

 

「夕方、空を飛んでる姿を見たときは金色の鳳凰かと思ったけど、こりゃあ鳳凰じゃなくてぬえじゃねえのか」

「だけど声はオンナだぜ。どうせなら姿も美女に化けてくれりゃあよかったのになあ」

 

 信長もまた驚きを隠しきれず、目を見開きながら言った。

 

「ヴァル……であるか。あらためて見れば、猛々たけだけしき姿よ。いかなる報せか」

『勝幡の城が、敵に攻められてるって!』

「…………」

 

 信長は、すっと表情を消した。

 ヴァルデュギートは、ぞくりとした。

 恐怖したわけではない。龍は人間など恐れない。

 ただ、なんだか背中が、ざわついた。

 目の前の少年の、凄絶な美貌に。

 勝三郎と久蔵、小平太と小藤太も、さすがに神妙に口をつぐんでいる。

 しばらく無言でいてから、信長は口を開いた。

 

「……であるか」

「殿! すみやかに陣を引き払い、勝幡へ向かいましょう!」

 

 勝三郎が進言したが、信長はそれに答えず、ヴァルデュギートに問うた。

 

「……あらためてドラゴンとしての姿を見て、ヴァルは神獣しんじゅうが如きものと見たが、いかがであるか」

『ヒト並みに知性があって魔法を操り普通のケモノと違うという意味では、そんなようなものだと思う』

 

 ヴァルデュギートの答えに、信長は眉をひそめ、

 

「マホウとは何か。神仙の術の類か」

『うん、だいたい合ってる』

「さればヴァルは、ヒトが放つ矢玉には当たらぬのか。槍や剣でその身を貫くことはあたわぬか」

『よほど強力な魔法を使わなければ、人間がドラゴンを攻撃するのは無理だよ』

「……であるか」

 

 信長は、うなずいた。

 

「神獣たるドラゴンがヒトと戦うことがあるのかは、知らぬ。されどヴァルのドラゴンとしての姿を見れば、敵はおそおののき、戦わずして逃げ失せることもあろうが、いかがであるか」

『……そうだね、そうなるかも』

 

 肯定しながらヴァルデュギートは、信長の発想に感心していた。

 ドラゴンが日ノ本で神獣と呼ばれる存在に相当すると理解したこと。

 神獣であれば人間を直接攻撃することは望まないであろうと推測したこと。

 それを踏まえた上でなお、ヴァルデュギートを自分の味方として利用する方法を考えたこと。

 信長は出陣の前、ヴァルデュギートにまだ質問したいことがあると言っていた。

 ヴァルデュギートもまた、この聡明な少年と、もっと話をしてみたいと思った。

 

「……ヴァルよ」

 

 信長は、まっすぐにヴァルデュギートを見つめた。

 龍の姿でいるヴァルデュギートを、信長は畏れる様子がない。

 ドラゴンが神獣であるなら自分を害することはないと、信長は確信しているのだろう。

 

「勝幡を落とされるわけには参らぬ。勝幡が落ちれば、ともに津島も喪うことになる。さすれば儂は、遠からずおのが命も含めた全てを奪われることになろう。いま、このときに敵が勝幡に攻め寄せたのは、それをねろうてのことであろう」

『いいよ』

 

 ヴァルデュギートは、言った。

 

『勝幡まで乗せて行けって言うんでしょ。ついでに敵を追い払うのにも手を貸せって。いいよ、わかった。乗って』

 

 あっさりと承知したヴァルデュギートに、信長は眉をひそめた。

 

「……そなたは、ヒトの姿では女子おなごであった。いまのドラゴンの姿であっても、おそらく心根は女子であろう。それが初対面ではヒトを乗せぬと申した意味は、儂も考えてみぬではない。されば、いま一度問う。ヴァルは、儂を乗せるのか」

『だから、いいよってば。乗って』

 

 ヴァルデュギートは信長が乗りやすいように、後ろ脚を曲げて、その場に尻をついた。

 勝三郎が慌てて信長に申し出た。

 

「お待ちください! たとえヴァル殿が神獣であろうと、殿が自ら騎乗して勝幡へ駆けつけるなど、あまりに危うく……ここは、それがしが参ります!」

「いや、ここは拙者が!」

 

 久蔵も声を上げると、小平太と小藤太が、まぜっ返す。

 

「いやいや、ここは小藤太のヤツめにお任せあれ」

「いやここは小平太アニキに、ぜひ」

「ならぬ」

 

 信長は、きっぱりと言った。

 

「ヴァルは、儂であればこそ乗せると申したのよ。そうであろう、ヴァル」

『うん。それについては、あとでお互い、もっと話さなきゃいけないことがあると思うけど、ボクとしてはもう心を決めたから』

「……であるか」

 

 信長はうなずき、配下の者たちに告げた。

 

「これよりのちも、落ちて参る味方があるやもしれぬ。いくらか兵と舟を残し、ほかの者は舟で木曾川を下るべし。夜とは申せ、これだけ月が明るい。津島の者なれば舟を操るに難儀いたさぬであろう」

 

 すると小平太と小藤太が、にやりと笑って胸を張った。

 

「それはもう、オレらにお任せあれ」

「どーんと大船に乗った気でいてくださいよ。乗せるのは小舟ですけどね」

 

 服部兄弟や恒川久蔵は、津島衆の次男、三男以下であり親の跡を継げる見込みのない者たちだ。

 彼らは家の後継ぎとなる長兄の下で働くのでなければ、生家を離れて別に身を立てる道を探らなければならない。

 そうした者たちを信長は、津島に限らず領内各地から集めて配下としていた。

 那古野城の南には、海に面して熱田あつた湊がある。

 勝幡城が津島湊の押さえであるなら、熱田湊に対するそれが那古野城であった。

 そこから得られる豊かな富は、大部分は信秀が収公するが、一部は那古野城の軍資金となる。

 それをもとに信長は常備軍の編成に着手し始めていたのである。

 信長は、服部兄弟に言い添えた。

 

「ヴァルと我とで、美濃勢を追い散らそう。彼奴きゃつらが木曾川を逃げ戻るのに行き逢えば、遠慮なく攻め立てよ。川の流れに乗った我らに利があろうぞ」

「そいつは面白おもしれえ」

 

 小平太と小藤太は、にやにやと不敵に笑い、

 

「勝幡を夜攻めした美濃方は、おそらく蜂須賀党、前野党らを味方に引き入れていましょうが、ここは腕比べといきますぜ」

「いまは殿の下で槍足軽を務めてるオレらですが、ガキの頃から木曾川で生きて来たんです。水夫としての勘は錆びつくもんじゃありませんや」

 

 津島衆の一部が織田家に背いて光秀に味方したことを、津島を離れて信長の配下となっている服部兄弟たちは知らない。

 しかし光秀側についた津島衆がヴァルデュギートを畏れて逃げるとすれば、下流の津島を目指してである。

 服部兄弟らと身内同士で戦うことにならないのは、互いにそうと知らない間の幸運であった。

 

「……うむ、存分に働くがよい」

 

 信長は小平太と小藤太に呼びかけると、ヴァルデュギートに向き直り、問うた。

 

「されば、ヴァルよ。その背に登ればよいか」

『うん、脚とか遠慮なく足場にして踏んでいいよ。馬と違ってくらや手綱はないから、首のつけ根にまたがって、膝にしっかり力を入れてね。魔法でガードするんで振り落としちゃうことはないけど』

「があど、とは何か」

『保護するってこと。馬より全然速く飛ぶから、目を回さないでね』

「暴れ馬を乗りこなすのは得意ぞ。勘所かんどころさえつかめば容易たやすいことよ」

 

 そう言いながら信長は、ヴァルデュギートの背によじ登った。

 ヴァルデュギートは呆れた声で、

 

『暴れ馬って、なんだかなあ……何度も言うけどボクは馬じゃないし、暴れたりもしないし……まあいいけどさ』

 

 信長が指示通りに首のつけ根に跨ると、ヴァルデュギートは彼に告げた。

 

『じゃあ、飛ぶよ』

「うむ。参ろうぞ」

 

 信長は、うなずく。

 ヴァルデュギートは二対の翼で羽ばたきを始め、ふわりと宙に浮き上がった。

 小平太と小藤太が、またげらげらと笑い出す。

 

「すげえ、殿を乗せて飛んでるぜ」

「こんなの見ただけで敵はチビるでしょうなあ」

 

 久蔵と勝三郎が信長に呼びかけた。

 

「殿、ご武運を!」

「後詰めは我らにお任せあれ!」

「……うむ」

 

 信長は、うなずき返す。

 そして、一気に高度と速度を上げて、ヴァルデュギートとともに夜空へ飛び去った。

 

 

 

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