【5】異世界との遭遇

 

 

 

 空から見れば、人家の並ぶ集落と農耕地とが、間に小さな山や林を挟みながら南へ続いている。

 東の先には山並みが連なり、西には大きな川が幾筋か流れ、その向こうは、やはり山地である。

 つまり、この南北方向が人間の集住地というわけだ。

 南も前方に海が見えているから、そこまで行き着く前に地上へ降りて、誰か適当な人間と接触しなければ。

 ここがどこなのか知るために。

 自分のねぐらへ帰るには、どうすればいいのか考えるために。

 ヴァルデュギートは、たまたま目についた丘のふもとに降り立った。

 先ほどから『たまたま』が多いけど、ヴァルデュギートの行動は基本的に直感任せである。

 深く物事を考えることは、あまりしない。

 丘のいただきには砦のようなものが築かれていた。

 とはいっても周囲に巡らされた塀も、その内側の建造物も全て木造で、仮組みのように粗末である。

 堅牢な要害にしたいなら石造りでなければダメだろう。

 木では、火をかけられたら終わりである。

 炎気ドラゴンブレス雷気ライトニングブレスを操る龍族に火事の心配をされても大きなお世話だろうけど。

 ヴァルデュギートは、龍から人型へと変化へんげした。

 龍の姿のままでも人間と会話できないわけではないけど喋りにくいし、経験上、相手は身構えた態度になってコミュニケーションがとりづらい。

 ヴァルデュギートの人型は、褐色の肌に金色の髪の娘の姿である。

 瞳は龍の姿のときと同じ琥珀色だけど、瞳孔は蜥蜴とかげのような縦割れではなく、人間と変わらず丸くなる。

 母親も人型では肌や髪や瞳の色が同じだったから、雷天龍の人型は、こういうものなのだろう。

 鍛錬すれば人型の姿を自在に変えられるようになるとは母親から聞いたけど、母親自身はその必要性を感じていないとも言っていた。

 確かに母親の人型は、そのままで充分、人間ウケがよく、容易に相手の警戒心を解いていた。

 すらりと背が高く、腰は細く締まっている一方、胸と尻は豊かに張る。

 見る者の多くが思わず息を呑む美貌の上、ニコニコと愛嬌よく笑顔を振りまくから、老若男女を問わず人間たちから好かれていた。

 一方、ヴァルデュギートは人型でもチビっこい。

 顔立ちは母親と似ていないこともないのに、小柄なせいで年若く見られがちである。

 母親の人型の見た目の年齢が二十代から三十代として、ヴァルデュギートはそれより十歳は若い印象だ。

 胸の大きさだけは親譲りだけど。

 それでも母親ほどではないにしても、それなりに人間に受け入れられる姿だろうと自負していたけど──

 砦から槍を手にした兵士たちが駆け出して来た。

 全部で五人。

 植物の繊維で織り上げた簡素な前合わせの服の上に、胴回りを覆う粗末な防具を着けている。

 頭には皮革に樹脂を塗ったらしい大きな帽子をかぶっているけど、雨除けや日除けには使えても、兜の代わりにはならないだろう。

 彼らはヴァルデュギートを取り囲んで槍を突きつけて来た。

 

何奴なにやつか! 神妙にいたせ!」

 

 ああ、そっか……と、ヴァルデュギートは思い出した。

 この土地の人間は、先ほどもヴァルデュギートが龍の姿で空を飛んでいるのを見て大騒ぎしていた。

 よほど龍が珍しいか、そもそも龍を見たことがない辺境の住人なのだろう。

 言語も初めて耳にするものだけど、それを理解するのはヴァルデュギートにとって難しいことではない。

 人間が言葉を口に出すときには思考が心の表面に浮き上がるから、それを読み解けばいい。

 相手の言葉を何度か聞けば言語体系も理解できるから、こちらから彼らの言語で話しかけることも可能になるのだ。

 それはそれとして、コミュニケーションの第一段階は失敗した。

 龍を知らない人間に、龍から人型に変化するところを見せつけて、余計に警戒心をあおってしまった。

 術で姿を消して、人型に変化する様子は隠すべきだった。

 それと、服である。

 ヴァルデュギートは人型をとりながらも全裸であった。

 オンナであれオトコであれ全裸で野外をウロウロしていたら、人間の習俗では不審者と思われるのだ。

 人型に変化するのは久しぶりだったので、そんなことも忘れていた。

 人間というヤツは実に面倒くさい。

 目の前にいる人間は男ばかりだけど、防具の下の前合わせの衣服はエウドロジア大陸南東の島嶼部とうしょぶに暮らす種族のものと似ている。

 南東海洋種族の男たちは高温多湿な気候に合わせ、植物繊維を織り上げた薄手の生地で、前を合わせて羽織る形式の通気性のよい服を仕立てて身に着ける。

 素潜り漁を生業なりわいとする者が多く、脱ぎ着しやすい前合わせの服は、なおさら便利なのだろう。

 一方、同じ種族の女たちが着る服は、前合わせではなく貫頭衣だ。

 女の仕事は主に海藻や貝類の採集で、裾を濡らさないよう衣服の丈は短く、太ももの半ばまでが基本である。

 つまりはミニ丈ワンピースの形状である。

 女たちの服は色とりどりに染色した糸を巧みに織り上げ、草花や鳥獣を描き出した華やかなもので、前合わせではなく貫頭衣であることが図柄の配置に都合がいいのだろう。

 ヴァルデュギートは、その南東海洋種族の女物の貫頭衣を身に着けた姿に変化した。

 図柄は南洋の赤い大輪の花で、以前に実際に目にした貫頭衣を参考にした。

 人型をとったときの服装は、変化の術で自由に変えられる。

 相手の習俗と似た服装をしていれば、受け入れられやすいだろうと思ったのだけど──

 すでに裸でいたのを見られたあとで姿を変えたのでは、なおさら怪しまれただけだった。

 

「むうっ!? なんじゃ、こやつハダカでおったはずが、いつの間にか服を着おったぞ!」

「まやかしじゃ! 妖怪変化のたぐいに違いあるまい!」

 

 兵士たちは騒ぎ立てる。

 心底面倒くさいヤツらである。

 

「……あーっ、ボクはドラゴンなんだけど、わかんないかな?」

 

 ヴァルデュギートは彼らの言語で言ってみた。

 すると兵士たちは目を見交わし、

 

「喋りおった」

「いよいよ怪しい」

「翼の生えた馬からハダカの女に化け、急に服を着たと思ったら、ワケのわからんことを喋りおる」

 

 馬呼ばわりされて、ヴァルデュギートは口をとがらせた。

 

「いや、馬じゃなくてドラゴンだってばさ。サイズ的には同じくらいだけど。ドラゴンの割にチビっこいのは自分でも結構気にしてるんだけど」

 

 そのとき、砦の中から人間がもう二人、出て来た。

 色とりどりの糸と皮革と薄い鉄板を組み合わせて作った、見た目は華やかだけど防御力の低そうな鎧を二人とも身に着けていて、兜はかぶっていない。

 いずれもまだ十二、三歳の少年で、一人は色白でオンナノコみたいに綺麗な顔をしており──それでもオトコであることは龍には直感的にわかるのだけど──、もう一人も将来イケメンになりそうな整った目鼻立ちで、髪は赤みを帯びている。

 

「……何事か」

 

 色白の少年が、兵士たちに問うた。

 

「は……されば、馬から女子おなごに化けた怪しきモノが現れてございます!」

「初めは翼の生えた馬の姿で空を飛んで参りました!」

「それからハダカの女に化けたと思ったら、いつの間にか服を着ておりました!」

 

 少年は兵士たちの答えを聞いて、かたちのいい眉をひそめた。

 

「……であるか」

「さてはあやかしにございましょうや」

 

 赤い髪の少年が言って、色白の少年は眉間のしわをさらに深くする。

 

おのれに理解できぬものを、容易たやすく怪異と呼ぶことは好まぬ。だが、翼の生えた金色こんじきの馬の如きモノが空から降りて参るのは、儂も目にした。……そこの女子おなごよ」

 

 ヴァルデュギートに呼びかけて来た。

 

「そなたは馬からヒトに姿を変じたのか。左様な術を用いるのか」

「だから馬じゃなくてドラゴンなんだけどなあ」

 

 ヴァルデュギートが口をとがらせると、少年は「ふむ……」と、うなずいた。

 

「されば、真実まことの姿はヒトであるのか、それともドラゴンとやらか」

「ドラゴンだけど? ニンゲンの姿は、術でそう変化しているだけだよ」

 

 ヴァルデュギートの答えに、少年は、またうなずく。

 

「……であるか。空を飛ぶのはドラゴンの姿のときだけか。ヒトの姿で空は飛ばぬのか」

「翼がないと空は飛べないよ。ヒトの姿で翼を生やすように変化するのは、試したことがないなあ」

 

 ヴァルデュギートは言ってから、小首をかしげ、

 

「ずいぶん、根掘り葉掘り聞いて来るんだね。この地方のヒトたちはドラゴンを知らないみたいだから、仕方ないけど」

「知らぬゆえこうして、たずねておる」

 

 少年は言った。

 

「ドラゴンの姿での大きさは馬のごときであったが、さらに大きく変じることはできるのか」

「ドラゴンの姿で大きさを変化させるのも試したことはないけど、たぶん人間は誤魔化せても、ドラゴン同士ではすぐにバレるからカッコ悪いだけだよ」

 

 ヴァルデュギートが答えると、少年は、また「ふむ……」とうなずく。

 

「さればドラゴンの姿になり、わしを乗せて空を飛べるか」

「……えーっ?」

 

 ヴァルデュギートは呆れた顔をした。

 

「初対面でそれを言っちゃうの? ボクが馬なんかじゃなくてドラゴンだってこと、わかってる?」

「初対面でなければ、ドラゴンはヒトを乗せるのか」

「そりゃ、乗せなくもないけど……。絶対、意味わかって言ってないよね、それ」

 

 ヴァルデュギートは、ぽりぽりと頭を掻いた。

 変化したヒトの姿で、本当に頭がかゆくなったわけではない。

 困惑しているのである。

 でも、この人間の少年に、自分を乗せて空を飛んでみろと言われたことは、不思議と悪い気はしなかった。

 まず間違いなく少年自身は、ドラゴンがヒトを乗せることの意味を理解していないけど。

 ヴァルデュギートが答えかねていると、少年のほうが先に見切りをつけた。

 

「いまは乗せる気がないなら、それでよい。そなたは、この日ノ本ひのもとの者ではないのであろう。何処いずこの国から参ったか」

を聞いてるならエウドロジア大陸の南西部の山奥だよ。近くに人間は住んでないから、どこの国の土地でもないと思う」

「えうどろ……聞かぬ名であるな。だが南蛮人も名も知れぬ異国を船で巡って参ると申すゆえ、そのようなこともあろう」

 

 少年は納得したように、うなずいて、

 

「されば、いかなる用向きで日ノ本へ参ったか」

「来るつもりで来たわけじゃないんだよね。巻きこまれたというか……言ってみれば事故?」

 

 首をかしげるヴァルデュギートに、少年は「……であるか」と、またうなずいた。

 

「されば遠からず日ノ本を離れるのであろうな。あらためて真実まことの行き先へ向かうにしろ、『えうどろじあ』とやらへ帰るにしろ」

「まあ、そうなるね。帰り道がわかればだけど。でも、キミたちはエウドロジア大陸を知らないんだよね?」

「儂は知らぬが、さかいへ出入りする南蛮人なら存じておる者もあるやもしれぬ」

「サカイって、ここから近いの?」

「ヒトの足では駆け通しに駆けても三日はかかろう。だが、そなたが空を飛べるなら川や山を越えるに難儀いたさぬであろうから、それより早いであろう」

「そっか。だったら、とりあえずそのサカイまで行ってみようかな」

「されど、もう間もなく日が暮れよう。儂はこれより出陣いたすが、そなたにはなお、たずねたきことがある。明日みょうにちには戻るゆえ、それまでこの城に留まるのは如何いかがであるか。ドラゴンをヒトと呼んでよいかわからぬが、客人として遇するよう皆に指図しておこう」

「うん、ありがとう。ねぐらへ帰るにしても急ぐ理由はないから、ご厚意に甘えちゃおうかな」

 

 ヴァルデュギートは、にっこりとした。

 龍も笑う。

 龍の姿のままでは、ほかの者には伝わりにくいけど。

 龍同士でも種族が違えば笑顔の判別ができず、声音で理解する場合がほとんどだけど。

 でも、人間は違う。

 心で感じている楽しさ、嬉しさ、歓びが、わかりやすく表情に出る。

 人間の笑顔は──それがよこしまな心根に起因するものでなければ──悪いものではないと、ヴァルデュギートは思っている。

 だから彼女も人型に変化しているときは、よく笑うようにしている。

 そのほうが、人間ウケがいい。

 母親もそうだったように。

 あと、自分もさらに楽しくなってくる。

 どうやら表情に引っぱられて。

 少年はヴァルデュギートの笑顔を見て、少しばかり驚いたように目を見開いた。

 それに自分で気づいたか、そそくさと視線をらし、赤い髪のもう一人の少年に呼びかけた。

 

「……勝三郎しょうざぶろう!」

「は……さっそく手配りいたします」

 

 色白の少年の言わんとするところを察し、赤い髪の少年は砦──いや城の中に駆け戻って行った。

 ヴァルデュギートを客として迎える準備を整えるためだろう。

 どうやら色白の少年は、この地方でそれなりに高い身分にあるようだし、龍については何も知らなかったけど、それを理解しようと質問を重ねて来た様子からして、なかなか聡明でもあるようだ。

 ならば、もうしばらく相手をしてやってもいいだろうとヴァルデュギートは思った。

 龍の偉大さを、この地方の人間に教え広めるために。

 少年が龍について理解すれば、家臣や領民にもそれが伝わるだろう。

 ともあれ、この城で世話になるつもりなら自己紹介は必要だろう。

 ヴァルデュギートは色白の少年に向けて、名乗った。

 

「えっと、ボクは雷天龍ライトニングドラゴンのヴァルデュギート。ヴァルって呼んでくれたらいいよ」

「ヴァルであるか」

 

 少年は、うなずいて、

 

「儂は織田三郎、信長である。三郎と呼ぶがよい」

「わかった。よろしくね、サブロー」

 

 また、にっこりとするヴァルデュギートに、三郎──信長は、またそそくさと背を向けて配下の者らに呼びかけた。

 

「ヴァル殿は、いまより儂の客人である! そのほうどもは持ち場に戻れ!」

「はっ……!」

 

 兵士たちは一礼し、城内に駆け戻った。

 入れ替わるように、赤い髪の少年──勝三郎が、自身よりもいくらか幼い少年を連れて戻って来た。

 よく日に焼けており、くりくりと丸く大きな目をして、口の端から白い八重歯を覗かせ、見るからにやんちゃそうな子供である。

 若草色に染めた上等な生地の前合わせのシャツと、裾の広いズボンを着用して、防具は着けていないけど、腰に短い剣を差している。

 幼くても、いざとなれば自ら戦うこともあるのだろう。

 勝三郎が信長に告げた。

 

「客人の御接待は犬千代いぬちよに任せまする」

「はっ……抜かりなく勤めまする」

 

 頭を下げる幼い少年──犬千代に、信長は「うむ」とうなずいて、

 

「ヴァル殿は異国から参られたそうである。日ノ本の習俗にまだ馴染まぬ様子ゆえ、問われたことには何なりと答えて進ぜよ」

「承知いたしました」

「ヴァルは、日ノ本の食事は口に合うのか。望みのものがあれば出来得る限り用意させようぞ」

 

 信長はヴァルデュギートに、たずねた。

 食べ物の好みの心配までしてくれるとは気配りが行き届いている。

 ヴァルデュギートはまた、にっこりとして、

 

「人型のときは普通に人間のゴハンで大丈夫だし、好き嫌いはないから何でもいただくよ」

「……であるか」

 

 信長は今度も、さりげなく視線を外して、

 

「では、儂は参るゆえ、戻ったらまた話を聞かせよ」

 

 そう言い残して勝三郎を従え、城内へ戻って行った。

 犬千代は頭を下げてそれを見送ってから、ヴァルデュギートに告げた。

 

「これより殿が大手門より御出陣なされます。ご足労ではございますがヴァル殿は、オイラ……いや、わたくしのあとについて搦手口からめてぐちまでお回りください」

「え? ここから入っちゃダメなの?」

 

 小首をかしげるヴァルデュギートに、犬千代は眉をひそめて、

 

「ええ……ちょうどヴァル殿が来られたとき、殿は出陣するところだったんです。普通は軍勢の行く手を遮ったりしたら血祭りに上げられても仕方のないところです。ヴァル殿が普通の人間じゃないとわかったんで、殿も鷹揚おうようでしたけど」

「いつもはサブロー、もっと怒りっぽいの?」

「間違いなく気は短いです。問答無用でバッサリいきます。主に比喩的な意味ですけど、たまに物理的にも」

「へええ……」

 

 ふむふむと、ヴァルデュギートはうなずく。

 どうやら信長、なかなか気難しいようである。

 でも、ヴァルデュギートは彼に悪い印象はなかった。

 人間の少年ごときを龍が恐れる理由はないから、客観的に見ることができたのかもしれない。

 おそらく信長は、自分の納得がいかないことは許せないけど、理にかなったことであれば素直に受け入れるのではないか。

 せっかちではあっても、理不尽な言動をとる者ではないだろう。

 龍について質問を重ね、理解を深めようとした様子を見て、そうヴァルデュギートには感じられたのだった。

 

 

 

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