第57話
1986年12月30日。
隼士さんが雇ったものものしい警備が、
Kファクトリー事務所外をガッチリガードしている。
なにしろ、沢埜梨香と白川由奈が事務所内にいるのだ。
二人ともヒットの渦中にいるので、野次馬を含めて周囲が騒がしい。
注目度の半端なさを思い知らされる。
そこまでしても、設定しておく必要があった。
あえて、騒がしい方法を使って。
「誠に申し訳ありません、藤原常務。」
どうしても、
藤原純一である俺は、
例のチャラいルームナンバースーツを着て、部屋の中なのにグラサンを着けてる。
恥ずかしいが、年齢が分かりにくくなるので、舐められないメリットはある。
まぁ、向こうも会社員だから、上から突っつかれてるし、
しょうがないと言えばしょうがないんだけど。
撥ねつけるのは簡単だが、それもそれでいろいろめんどくさい。
なにしろ、あと一か月半以内に、このレコード会社に、
スリーピースギターバンドのCDをプレスさせることに
同意させにゃならんのだから。
たぶん、あの音楽バカは、そういうこと全然考えてない筈だし。
といって、低姿勢に出る理由は、ない。
「わかりました。
特例として、オブザーバー参加を認めましょう。」
「特例」「オブザーバー」「認め」の部分を、
ほんの少しだけ強く発する。
ここまでは、全員と打ち合わせ済。
それが当然、という態度を、この場にいる全員にさせる。
レコード会社の30代くらいの社員は、
めちゃくちゃ戸惑ってるだろう。
なにしろ、
一斉に冷厳な視線を注がれているのだから。
女子高に一人だけ転校してきた男でも、ここまで冷たくは扱われまいよ。
「社長からは、
ガンマレコードからでも良いと承っておりますが。」
「そこまではしなくて良いでしょう。
いまのところは。」
あはは。顔、青ざめてる。
アドリブでそこまでやるか、雛。
あの社員、奈緒さんからめっちゃ睨まれてるな。
あぁ、これ、雛の遣り口ってわけか。
一見、要求を呑んだフリをして、
このオトコの立場を、思い知らせるために、
この瞬間まで、この爆弾、とっといたんだ。
ほんと、敵に廻したくないな、三日月雛。
「ではまず、日程のほうから。
ご承知の通り、3月3日にレコードフェスティバルが開催されます。」
これは、俺の世界にない、やや特異なゲーム的な仕組み。
殆どのプレイヤーは、レコードフェスティバルのルールが
全く分かってなかったと思う。
まぁ、だいたい往復ビンタにしか興味がなかったと思うが。
ひとことで言えば、俺の世界で言う年末の某著名音楽賞を、
年度末である三月(ただし初旬)に倒したようなイメージ。
でもって、かなりややこしい方式になっている。
詳細は端折るが、要するに、
「1月~2月末までに出た曲でないと、
レコードフェスティバルで審査員相手に歌唱できない」
というルール。
なので、春フェスを獲ろうとするなら、
それに向けた新曲を作らないといけない。
実は、原作でこのルールを忠実に守っていたのは彩音だけ。
なにしろ原作の個別ルートでは、由奈も梨香も、
レコードフェスティバルに一緒には出なかったのだから。
アニメ版でエンディングテーマを二人仲良く歌唱したのは、曲解である。
で。
「由奈さんには、こちらで用意してある曲があります。」
『え?』
「啓哉さんとも相談済です。」
ただ名前を利用されてるだけだがな。
実は、
由奈の曲は、ある。
なんのこともなく、原作の由奈ルートの到達テーマであり、
アニメ版でエンディングに使われた挙句、
春フェス用に曲解されてユニットで歌唱された、あれだ。
『Snowflakes』
単純に、いまの由奈の清純派イメージに、ぴったりはまる。
ただ、これは解釈次第では悲恋を予想する歌詞でもある。
それを、由奈が歌えるかどうか、というのが焦点になる。
歌詞を少しだけ変えないといけないかもしれない。
問題は、梨香のほう。
原作の梨香ルートは、往復ビンタを連発した後、電撃的に引退している。
アニメ版の梨香は、移籍騒動の真っただ中で、そもそも曲が存在しない。
アニメ版における梨香の根源的矛盾は、
「あの場で歌う曲はなかったはずなのに、なんで
なのだが、びっくりするくらい何の説明もされていない。
由奈の曲に乗っかって歌唱しただけなのだ。
だからこそ、
ここに、突破口がある。
さりげなく。
ほんとうに、さりげなく。
「梨香さんの新曲候補の一つは、
柏木彩音さんに作って頂いてあります。」
レコード会社の社員から、驚愕の溜息が漏れる。
BWプロとKファクトリー、元・少女倶楽部と沢埜兄妹は敵対関係のはずで、
テレビやラジオ、雑誌のアングルもそう組まれている。
さすがに彩音をこの場にいさせられはしなかったが。
「まだ仮歌にもなっていません。
どうでしょう。この場で歌って頂くというのは。」
楽譜を読める梨香だから振れる話。
『Couldn't say it 'til now』
洋楽知識が旺盛な彩音らしい、
アップテンポだが、緻密に構成されたAOR。
彩音からは製作期間1日と聞いているが、たぶん嘘。
密かに書き溜めておいた曲のひとつを、改良して提供したというあたりだろう。
まぁ、雑誌的には「1日」のほうがインパクトありそうだけど。
俺の世界で言うと、
目のついたミートボールのような顔に天使の声を載せた
あのアーティストのあれだ。
でもって。
沢埜梨香は、本当になんでも歌える。
なにしろ、アカペラ一本で著名歌手の新曲を完璧に歌ったのだから。
ああ。
こっちはこっちでいいな。
アルバムに入れるバージョンとしては考えといてもいいんじゃないか。
っていうか、マジで巧いなぁ。
アイドルのコンサートじゃなくて、ブルーノートにでもいる気分になる。
声がこう、伸びるんだよね。
無理して張ってる感じがしない。聴いてて、ただただ、心地いいだけで。
仮歌でこれなら、本気で歌ったら、そりゃもう喝采の嵐だろう。
「こ、これ。」
「オブザーバーは発言が許可されません。
お控え頂けますか。」
「構いませんよ。
Twilight Soundsっぽいでしょう。」
「は、はい。」
「こういうの歌わせたかったって思ってる人、結構いると思うんですよね。
梨香さんも、もうすぐハタチですから。」
この時代、女性の年齢を口にしても、特にバッシングされることはなかった。
俺の時代ならもう即死間違いなし。
「さて、これはあくまで素案ですが、
この方向で行くこと自体にご異議はありませんか?」
全員が、頷く。
「では、今日の新曲コンセプト会議はこれで終了です。
皆さん、大変お忙しいところ、お疲れさまでした。」
満足げに帰り支度をするレコード会社の社員は、絶対、気づきはしないだろう。
これが、二枚仕立てになっていることを。
あぁ。
雛、コイツを、板挟みにさせるつもりか。
ほんと、残酷だなぁ。敵にまわしたくねぇ…。
ハーフツィンテールのかまってちゃんが
不安げに俺を見てくるので、軽く目くばせをする。
こっちは早くても年明けの案件だから。
*
さて、と。
「皆さまにお帰り頂きました。」
あのレコード会社の社員、名刺ひとつ貰わなかったな。
ま、その必要もなかったか。
「ありがとうございます。
雛さんは、由奈についていて下さい。」
一応、大きな仕事だからな。
罰ゲーム扱いなんだが。
「承知いたしました。
何かありましたら、白鷺に。
私に御用の際は、ポケットベルで。」
「はい。
ありがとうございます。」
「それでは。」
「いってらっしゃい、雛さん。」
「……はい。」
あ。
いまのなんか、見返り美人って感じだった。
ふぅ。
それで、と。
「梨香さん、ラジオの収録一本、潰したんでしょ。」
「ふふ。
ちゃんと録音はしてあるから。」
この当時のラジオは生放送縛りがあったが、
電話のやりとりのフリをして録音を流すのはわりとよくあった。
「由奈、悔しがってた。」
由奈は、関西の大きな年末音楽祭に呼ばれている。
まさか、じゃんけんで負けたほうがキャスティングされたとは、
先方は思いもしないだろう。
ただ、ここからの時間、
梨香のほうが、重要度は高い。
「で、本物のデモテープは?」
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