第38話

 

 で、と。

 

 「……由奈さんのセカンドシングルの件ですが、

  12月20日に決められそうです。」

 

 なん、ですよ。

 

 遂に、来た。

 発売日まで、原作通り。


 

 『Assorted Love』


 

 白川由奈のシグネチャーチューン、

 このゲームのタイトルソングであり、世界観そのもの。


 (せいぜい、君の期待に応えてやろうじゃないか、青年。)


 プロセスの悲惨さを無視できるならば、それだけの出来だった。

 さすがとしか言いようがなかった。

 

 原作と違って、この曲の存在が

 由奈と純一の別れの始まりというわけではまったくない。

 なので、単純に良い曲が手元にあるだけ。

 

 9割方完成していたが、編曲上、一押しが必要だった。

 その一押しは、本当に最小限しか手をつけさせなかった。


 この曲の世界観は、天才、沢埜啓哉のものだから。

 それを解釈するのは、俺たちの自由だとしても。


 それに、沢埜啓哉が、この曲調を作るのは、

 おそらく、最後になるだろう。


 「由奈さんのファーストコンサートですが、渋谷公会堂シブコー、手配できました。

  既にチケット会社に販売手配済です。」

 

 こちらも原作通りの12月24日。

 某チャート番組にもしっかりここから出す。


 原作を見た時はオリジナル曲1曲は暴挙だと思ったが、

 カバー曲で4曲まわし、5曲のミニコンサートだったようだ。

 これにオリジナル1曲加えて6曲、そしてゲストが2曲で8曲。

 わりとちゃんとしたコンサートだと思う。原作と違って。

 

 ハコはまぁ、ココにした。

 音響を考えると微妙なのだが、知名度と規模感から言えばこれでいい。

 別に原作通りのNKホール勘違いだって良いのだが、それだと、仕掛けられない。

 

 原作と違って、梨香と由奈は、すれ違ってはいない。

 正面衝突している気もしないではないが、

 この状態なら、イベントとしては、組める手がある。


 ……。

 

 それで、と。

 

 「……時間は、取ってあります。」

 

 そう。

 これは、立派なだから。


*


 「……純一君。」

 

 一か月、逢えなかった人が、目の前にいる。

 俺の彼女、白川由奈。

 

 役員刷新後は業務の振り分けや体制整備でバタバタしていたし、

 あのオトコが組んだ日程がまだ残っていた。


 中に入ってしまえばいい。

 ルールセッターになってしまえば、

 ラジオ番組のゲスト出演一つ潰して、こういう時間を作れてしまう。

 

 それを、雛が容認するくらいには。

 

 「……純一、君っ……。」

 

 由奈は、弱り切っていたから。

 身体も、心も、すべて。


 縋りつくように泣く由奈を、あやすように撫でる。

 由奈の体温を感じながら、優しく抱き寄せると、

 

 ……っ!?

 

 「……えへへっ。」

 

 涙を顔に貼りつけながら、照れるように笑う。

 し、舌入れるたぁ思わなかった。

 清純派で売ってるのに。


 やばい。

 はじめちまいそうになる。

 この時間、そんなに長くないのに。


 「……ちょっと、フェアじゃないかも。」


 由奈は、唇を閉じて、身を委ねるように寄り掛かってくる。

 由奈の温もりを身体中に落とした時。



 「……梨香ちゃんに、言われちゃったの。

  純一君のこと、愛しちゃったって。」


 

 う。

 わ……。

 

 隼人さんに言ってるとは聞いてたけど。

 

 あぁ。

 なんか、梨香っぽい。

 

 純粋で、正直で、真っすぐで。

 何に取り組むにも、手を抜かずに、全力で。

 

 で、でも。

 ま、まさか、

 お、往復ビンタですかっ。

 

 「……一生、言うつもり、ないって。

  そう、言ってた。」

 

 あ、あぁ……。

 あれはヤっちゃった後のやつだっけ。

 びくっ。

 

 「だから、スタジオの時、びっくりしちゃった。

  おかしいな、って。」

 

 ……それで、か。

 

 もし、スタジオのがはじめてなら、

 由奈の性格からして、凄まじい病み方をしたはずだ。

 そうならなかったのは、本人からの事前告知があったから、か。

 

 あの時の表情は、ある意味、梨香本人と、同じ。

 秘密だとされているものが、表へ出てしまった驚き。

 それ以上でも、それ以下でもなかったわけか。

 

 「……。」

 

 由奈も、俺も。

 互いに、避けている。

 

 を。


 そうではない。絶対にそうではない。

 でも、そのことに触れてしまった時点で、

 すべてが終わりそうで。

 

 ……あぁ。そうだ。

 この世界は、鬱ゲーの金字塔、

 『Assorted Love』の世界だ。

 

 ゲームの世界のに行こうとするならばなおさらに、

 

 少なくとも、いま、この瞬間は。


 「由奈。」

 「純一君っ。」

 

 あ。

 

 ……はは。


 由奈が、笑った。

 高校の頃のファンディスクのように、無邪気に。


 「……

  引っ込み思案を直そう思ったのは、

  純一君のせいなんだよ。」


 ん?

 

 「純一君、いろんな人に声かけて、言い寄られちゃうから。」

 

 んん??

 

 「だから、わたしがちゃんとしてないと、

  わたしの、って言えなくなるなって。」


 ……えぇぇ。

 まさか、そういう理由。

 

 「梨香ちゃんまで、そうなるなんて、

  わたしも思わなかったけど、


  でもね。」

 

 由奈は、笑顔のまま、

 純粋そのもののの瞳に、力を込めて。

 

 

 「わたし、梨香ちゃんに勝って、

  春のグランプリ、獲るから。」

 

 

 え。

 

 「そしたら、授賞式の時に、みんなの前で言うの。

  わたしは、純一君と、結ばれるって。」

 

 無謀。

 意味、不明。

 

 敵が、大きすぎる。

 

 そんな言葉を浮かべたのは、で。

 そんなこと、藤原純一が、言うわけなくて。


 白川由奈は、病みやすく、繊細で、なのに鈍感で、

 自分の想いだけで勝手に飛び去ってしまうのに、

 芯は、俺たちが思っているよりも、ずっとずっと強く、

 なによりも、

 

 「……えへへ。」

 

 清純そのものの見た目を完璧に裏切る、桁外れに大きな発想スケール。

 それは、天稟の才を持つものの、宿命ですらある。


 だったら。

 それを、やらせてやるのが、俺の役割だ。


 「凄いね、由奈は。」

 

 そう、思う。

 それは、本当にそう思う。

 由奈の想いの底知れぬ大きさに、圧倒される。

 

 「……えへへ。

  ほんとは、怖い。

  すごく、怖いよ。

  


  でも。

  待ってるだけじゃ、駄目だから。」


 

 息を、呑んだ。


 心の土台を揺さぶるような透明感に。

 凄まじいまでのまばゆい輝きに。


 白川由奈。


 圧倒的な覇権を握っていた沢埜梨香の牙城を崩してしまうだけの

 透明感溢れる容姿と天賦の資質に溢れ、

 ひた向きな努力を積み上げられてしまう、

 真の、天才少女。


 内側から溢れんばかりのオーラを放ちながら、

 心を許しきった満開の笑顔を向ける由奈を、

 俺は、思わず、

 

 「……ぁ。」

 

 掌に、収めてしまった。

 

 踏み越えて、しまった。

 が、

 例え、断頭台へ堕ちていく運命になるとしても。

 

 「ひとつ、約束して。

  ちゃんと食べて、ちゃんと寝る。

  いい?」

 

 「……。」

 

 「肌はね、あっという間にボロボロになる。

  すぐ分かるんだよ。」


 ……はは、慄いてる。

 実際、若いうちなんてあっという間だから。


 「高校の時を、思い出して。

  大事なのは、段取りと順番。

  焦ってもいいことはないんだから。」


 これは、高校編のファンディスクで純一が由奈に言った台詞。

 純一が棚上げにしてることベスト3に入るが。


 「……うん。」


 「ふふ、焦ってるね。」

 

 ……あはは。

 顔中で困ってる。

 こんなの、どうしたって。

 

 俺は、指先で、鼻の頭をこつんと撫でた後、

 柔らかい由奈の身体を、もう一度抱き止めた。

 小刻みに揺れていた由奈の身体が止まり、

 ふわりと、全体重を、俺に、預けてくる。

 

 この重みと鼓動の意味を、どう考えるべきか。

 一瞬、浮かんでしまった考えを、必死に打ち消す。

 なのだから。

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