第15話
10月18日。
白川由奈のデビューシングル、『ordinary』の発売日。
(本命は12月に出るセカンドシングルで、
知名度を上げる前哨戦の位置づけです。)
との読みの筈なのに、
いきなりテレビの名門音楽番組で初披露が決まる、というのだから、
この世界における、あの銀髪嫌味吐きオトコのプレゼンスの高さが窺える。
アイドル系のスタジオではなく、かっちりした音楽番組のセット。
テレビカメラの前に、緊張した姿の由奈が映る。
あぁ。
これは、くる。
事情が、分かっていたとしても。
自分だけが知っていた彼女が、ブラウン管の向こうで、
派手な衣装を着て、自分以外に向かって、カメラ目線で歌を歌う。
応援なんて、できるわけ、ない。
生半可な覚悟では。
藤原純一の置かれた環境は、ベリーハードモードだった。
同業者の嘲笑と、女性ファンの無理解を抑えて、
不興覚悟で擁護した中の人は、正しかった。
その人が不倫騒動で失脚したのは、見なかったことにするとしても。
『Assorted Love』と違い、
『ordinary』は振付は少ない。
無内容で、どちらかといえばコミカルな歌詞なのだが、
清純そのものの由奈がフラジリティに満ちた深みのある倍音で歌いあげると、
なにか、日々の営みが神聖で、限りなく尊く感じられてしまう。
好きな人と、ただ、共に過ごすだけの時間。
たったそれだけのことが、儚く、切なく、奇跡に溢れているように。
あの銀髪嫌味吐き公開マスターベーション野郎の眼力は正しく、
その編曲センスは本物だった。
1986年10月18日。
白川由奈は、天空へ向けて、飛翔した。
*
一方。
10月20日に発売された柏木彩音の新曲、
『Remorse』は、アーティストを自称しているのに、
新人アイドル番組で初披露された。
事務所や関係者の、彩音への扱いが窺い知れるブッキング。
誰もが、そう考えただろう。
違った。
御前崎社長は、計算づくで、
彩音に、このチープなステージを踏ませた。
同業者の、演者の、そして、視聴者の度肝を抜くために。
ロングトーンに載せるほうではなく、
メロディラインにドスの効いた重低音のビブラートが掛かっている。
俺の世界の洋楽でいえば、エイデルのようなものだろう。
これは、インパクトがある。
この世界、この歌唱法はない。
どんだけ変な引出持ってるんだ、コイツは。
しかも、御崎さんがデザインしたのは、
この時代から見れば、かなり斬新な衣装。
黒を基調としつつ、レースとフリルをあしらい、
袖に金色のタペストリーを織り込んでいる。
俺の世界でいえば、黎明期ゴシックロリータに当たるのだが、
御崎さんがデザインしているだけあって、どこか品が良い。
まさに少女貴族スタイル。
これを、端正なビジュアルと豊満な胸を持っている
柏木彩音が着込むと、インパクトが半端ない。
この衣装で、自らの身体を削り込むようにピアノを叩き込みながら、
王道ポップスとして成り立っている切なさ溢れるメロディに載せて、
決して叶うことがなかった恋への後悔の日々を、
重低音を効かせながら、張り裂けんばかりに朗々と歌う。
俺の世界で言えば、一番近いのは、
大手町ペシミスティックだが、こんなに情念を込めてはいない。
どちらかといえば少女演歌に近い技法だが、
メロディもグルーブもしっかりポップスしてる。
化け、た。
化けて、しまった。
出演者、スタッフ、カメラマン、司会者、
広告代理店、スポンサー、そしてなにより視聴者が、
一様に固唾を呑んでいる音が、画面から聞こえてくるようで。
市場が、拓けてしまった。
同世代女性と、原宿系の市場が。
御前崎社長の深謀は、当たったというべきだろう。
*
白川由奈のマーケットは、
史実通りに、まったく逆方向に開けていく。
この時代、意外なことに、ど真ん中の清純派枠は、
歌に関しては実に覚束ない水準に過ぎない、
雨後のタケノコのような連中が入れ替わるだけだった。
逆に、歌に覚えがあるアイドルは、
だいたいビジュアルが不安定か、曲がスタイルにあっていないかで、
ヒットの要素を備えるには至っていなかった。
そこへ、磨き抜かれた清楚なビジュアルと、
安定感こそ乏しいものの、それだけにフラジリティの強い、
遡求力をふんだんに持つボーカルを備え、
時代の寵児、当代きっての天才である沢埜啓哉の緻密なプロデュース、
天下人、沢埜梨香の妹分の話題性を持った、
純白と茜色のコスチュームを携えた天使スタイルの白川由奈。
史実は、決してご都合主義などではなかった。
電波に乗った白川由奈の歌声は、
燎原の火の如く、全国に広がっていった。
*
かくして。
1986年11月5日。
白川由奈と柏木彩音は、
生放送チャート番組での共演を果たすこととなった。
もちろん、こんなシーン、原作には存在しない。
白川由奈のデビュー曲は史実より二か月も早いし、
柏木彩音は、原作ではしょぼいソロアイドル活動で
フェードアウトするだけの有象無象の一人だった。
線の少し入ったブラウン管の先に写り込む
由奈と彩音は、あまりにも対照的だった。
赤と黒。
まるっきりスタンダールの世界だ。
俺は、気づくべきだった。
この組み合わせが、死を暗示していたことを。
「まぁまぁお可愛らしいこと。
お二人とも、同い年なんですって?」
俺の世界の名物司会者よりは大人しいが、
ちょっと口調が似ている。
「初登場、今週第10位にランクインの柏木彩音さん。
少女倶楽部を卒業されて三カ月、
作詞作曲を自ら手掛けられたソロとしてのデビュー曲となるわけですが、
卒業前と後で、一番変わったことはなんでしょうか。」
この時代、フリートークでのアイドルの台詞は、
事前にきっちり統制されていない。
だから。
「そうですね。
……恋愛が、できるようになったことですね。」
端正な顔を崩さず、冷静な口調のまま、
とんでもないものを投げ入れて来た。
「これは大胆なご発言。
やはりアイドル時代は難しかったと。」
地味な顔立ちの男性アナウンサーが軽く仰け反りながら、
ゴスロリ衣装に身を包んだ彩音にマイクを向ける。
「そうですね。
アイドルは夢を見て頂くわけじゃないですか。
ソロのアーティストになったので、
思うことを言えるようになったのは良かったなと。」
クリムゾンとストロベリーとホワイトを組み合わせた
原作通りの派手な衣装を身にまとった由奈の表情が、ほんの少し、曇っている。
この様子は、数十年先の動画サイトでも擦られそうだ。
「まぁまぁ。
お相手の方のどんなところがお好きなんでしょう。」
短い時間に直球をぶっこむ司会者に、
「そうですね。
冷静で、しっかりしていて、
自分の意見をはっきり言えるところでしょうか。」
無難な模範回答で躱す彩音。
「準備が出来ました。」
俺は、
この、瞬間まで。
「では彩音さん、ステージのほうにどうぞ。」
ゴシックロリータを身にまとった柏木彩音は
ステージ袖のカメラに向かって、
フリルを揺らしながら、
由奈の、目の前で、
じゅん
はっきりと。
全国に、向けて。
いち
遊んで、いた。
その、意味を。
この、帰結を。
想像できるわけが、なかった。
一番小さな、一番見向きもしていなかったはずの些石が、
こんな極大の波紋を巻き起こすなんて。
微かに勝ち誇った彩音の端正な容姿がカメラに抜かれる。
ほんの一瞬、動揺した由奈の顔が、カメラの端をすり抜けた。
ブラウン管の前で呆然とした俺の脳裏に、
テレショップの広告のような受話音が鳴り響く。
居留守を使うことも忘れ、
夢遊病者のように、俺は、
「もしもし、
梨香だけど」
どうして、梨香が、この番号を
「純一君」
冷静さを装おうとした梨香の声は、
「あれ、
どういうことっ!」
最後に強く撥ねあがり、
俺の耳を、したたかに打った。
ブラウン管の先では、
ゴスロリ姿の柏木彩音が、鬼気迫る声量で、
フックのある重低音を効かせながらAメロを謳っている。
カメラが、彩音に近づく。
彩音は、目力を持つようになった黒曜石の瞳で、
カメラを真っすぐに、射貫くように見つめている。
ライトに照らされて輝きを放つ瞳が、
その情念が、俺に、迫ってくるようで。
数百キロ離れた電話の向こう側からも聴こえる、
決して叶わぬ恋への後悔を熱唱するパフォーマンスが、
テレビと、電話を介して、俺の部屋内をサラウンドしていく。
どちらからも、彩音が出て来そうで。
伸びた腕を絡ませて、掴み取られしまいそうで。
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