第11話


 ……ふぅ。

 奏太、やっと帰ったか。

 

 今日は、梨香もラジオの公開収録で来られない。

 留守録通信によれば、由奈は、銀髪嫌味野郎のレッスンで拉致されている。

 つまり、銀髪嫌味野郎も、由奈をねっとり視姦してる間は、離れられない。


 このタイミングしか、ない。

 

 あのオトコのアキレス腱を、握っておかなければならない。

 本編終盤の鍵イベント。俺にとっては、原作知識を使った最大の武器となる。

 あの銀髪嫌味吐き野郎から由奈を解放するためには、絶対に必要なものだ。


 原作通りなら、俺は、マスターの隠し部屋の開け方を知っている。

 自然に入り込んでしまったのテイにしなければならない。


 奏太から受け取った鍵束をテキトーに差し込んでいたら、

 偶然入ってしまったのテイでいこう。

 これはわりと簡単だ。普段から渡されてるんだから。


 パントリーに見せかけた部屋に、

 じゃらじゃらとした鍵束の中から、

 少しだけ特殊な形状の鍵を取り出し、おもむろに差し込む。

 

 すると。

 店の奥で、小さな音がする。

 

 ゲームの世界そのものだ。

 なにしろ、この世界はゲームだから。

 

 パントリーモドキから鍵を外し、

 CDプレイヤーを置いてある店の端に行き、

 、大振りの観葉植物をどかし、

 床に付いた扉を、上に開くと。


 階段が、現れる。

 まるで異世界もののようだが、これで原作通り。

 

 懐中電灯を持ち、コンクリートの匂いが立ち込める地下を歩く。

 ビル二階分くらい歩いた先に、空間の広がりを感じるスペースに出る。

 

 原作通りなら、ここに、電気が通っている。

 壁際を伝って、手触りだけで突起物を探す。

 これがスイッチ。これを、上に押すと。

 

 漆黒の闇に包まれていた部屋中に、淡い暖色の光が降り注ぐ。

 そして、その先には。

 

 ……やはり、か。

 

 赤絨毯に、緑色の壁、

 ハーマンミラーの堅牢なビジネスチェアー。

 

 緑の壁一面に、

 純白のワンピースを纏った金髪の少女が、

 翅を伸ばして、天へと羽ばたいていく絵が、大量に飾ってある。

 

 ……はぁ。

 

 妹の稼ぎを全部つぎ込んで、

 こんなことしてやがるんだよな。


 ある事件でやらかし、国内のすべての仕事を喪った銀髪嫌味野郎が、

 ロンドンでルンペンさんのように放浪していた時に見つけ、

 感激し、自己の創作意欲を再生させたという、作者不詳の絵。


 妹が成功してほどなく、

 自分がロンドンで見たはずの真作を手元に置くことを希求するようになり、

 カネに糸目をつけずに購入を繰り返し、画商のいいカモになっている。

 

 そして、ここまでして、

 、偽物だっていうね。

 

 これ、証拠写真に一枚、とっとこう。

 そのために、わざわざ写ルンですを持ち込んでるわけで。

 

 ……これが脱税対策だと思われたわけだよな。

 全然そんなことはなく、ただの歪んだ妄執に過ぎなかった。

 

 これさえ堰き止めてしまえば、事務所の財務は傾かない。

 なので、の意味はなくなり、

 梨香と由奈の亀裂は未然に塞がれる。


 でもって、これは、雛案件でもある。

 あのプレデターは当然知っていたわけだから。

 

 ぱしゃっと。

 

 どうせだから三枚くらい撮っとくか。

 違う角度からも撮っとこう。

 

 ……それにしても、妖気がすげぇな。

 そりゃそうか。妄執の館だから。

 絨毯が、まるっきり血の色だしな。

 

 さて、と。

 聖地巡礼も終わったし、帰るか。

 

 この手のやつって、発見したところは出すけど、

 そっから帰るっていうのは出ないわけだよな。

 当然だが。何のドラマ性もない。

 なんていうか、やってることはコソ泥とそう変わらない。

 

 静かに電気を消し、コンクリートの匂いを嗅ぎながら、

 一歩一歩、足取りを確かめつつ外を目指す。

 

 これはこれで、ロールプレイとしては面白い。

 まるで、地下に七百年封じ込められた

 妄執の亡霊からの脱出を演出されているようで。

 

 ふぅ。

 無事に、出られたか。

 

 「誰だ」とかはなんないわけだよな。

 誰もいないんだから。

 

 ……って。

 


 「……

  マスター。」


 

 そうは、いかなかったか。

 さすが強制力、しっかり仕事しやがるなぁ。

 

 「……

  藤原。

  

  お前、入ったのか。」


 マスター、喋れるの回。

 っていうか、登場、はじめてだよね?



*


 「その、本当に偶然でして。」


 一発で鍵穴が嵌ったことはな。

 もうちょっと、手間がかかると思ってたんだよ。

 

 「……。

  お前の姿は、監視カメラに写っていた。

  とても偶然には見えなかった。

  どうしてスイッチがあそこにあると分かってた。」

 

 あぁ、ガッツリバレてやがるな。

 このマスター、絶対に敵に廻せない。


 本名、汐屋隼士。

 奥でジャズを聴いてるだけの喫茶店のマスターは、世を忍ぶ仮の姿。

 裏の顔は、日本を代表する超大手コングロマリット、塩谷一族に連なる者。

 啓哉と梨香の学資を援助し、Kファクトリー啓哉の事務所に出資していた。

 

 具体的な事績のよくわからない人だが、

 おそらく、二人を巡る揉め事の処理に、関わっている。

 いざとなったら、俺の首くらい、簡単に切れる。

 それこそ物理的に。

 

 「言い逃れがあるなら、聞くぞ。」

 

 めっちゃくちゃ疑ってる。

 そりゃまぁ、そうか。

 疑われるに、十分な理由がある状況だから。

 

 ただ。

 

 「由奈のため、です。

 

  由奈の彼氏として、

  由奈の貢献に対する正当な報酬を確保する必要があります。

  

  それ以外には、なにも。」

 

 想定問答は、きっちり済んでいる。

 

 「……

  続けろ。」

 

 「疑ったのは、契約条件です。

  アーティストに不利な契約が当たり前の業界でも、

  1対9は法外な部類に入ります。はっきりいえば、搾取型です。


  一方で、お会いした限りの印象では、

  沢埜啓哉氏は、少なくとも金銭に汚い部類の人間には見えません。

  

  彼には、財産管理団体にあたるものはありません。

  資金運用団体にあたるものはなおさらです。

  

  つまり、入って来た資金を、

  アーティストらしく、有用性のないものに費消している。

  例えば、芸術品とか。」

 

 「……。」

 

 「一流のアーティストというのは、世俗のことに欠落しています。

  ですが、それにしても極端だと思いました。」

 

 マスターは、修羅場を潜ってきた底知れぬ瞳を湛えながら、

 この茶番を、黙って聞いている。

 

 ここから、だ。

  

 「ところで。

  

  僕が調べた限りでは、沢埜啓哉氏は非常な秘密主義者です。

  Kファクトリーの事務所職員は10人を超えることはなく、

  社長秘書の三日月雛さん以外は、頻繁に入れ替わっています。

  唯一の所属アーティストである沢埜梨香さんの峻烈な人柄にもよるでしょうが、

  それだけでは説明がつかない。

  

  つまり、自らの秘密を共有する人を、

  極限まで絞り込んでいる。

  

  その彼が、マスターのことを、公然と「知り合いだ」と言った。

  これは、彼にしては珍しいことでは、と思いました。

  

  それなら、この店に、

  この建物にこそ、何かがあるのではないかと。

  

  そして。」

 

 「……。」

  

 これは、

 原作を見ていた時に、俺が密かに思っていたこと。


 「マスター。

  誤解を恐れずに申し上げます。

  

  貴方は、奏太に、気づいて欲しかったのではありませんか。

  探偵小説が好きな、自分の血縁者に。」

 

 「……。」

 

 「だからあえて奏太に鍵束を渡しておいた。

  ヒントも出しておいた。」

 

 あのCDプレイヤーの中に、

 ヒントとなる単語が、ある。

 

 イジェクトボタンの横に、

 「entrance」と書かれている。

 この不自然さに気づけばいいだけのこと。

 

 ごくわずかな一般客が訝しむかもしれないが、

 普段は、CDプレイヤーも地下への入り口も、観葉植物がいい感じに隠している。

 それに、この鍵束とセットでないと開かない。


 鍵束を取り扱って、店内に関心を持って細部を見回るものだけが、

 異変を察知することができる。そういう仕掛け。

 

 「しかし、現実社会への関心が乏しい奏太が、

  反応することはなかった。」

 

 ほんと、鈍いもんな。

 瞬間的に妙に鋭かったりするんだが。

 

 「それで、使のではありませんか。」

 

 でなきゃ、

 奏太が勝手に鍵を渡すのを放置するわけがないから。



 

 自分が育くんでしまったを。


 

 「……ふん。

  

  お前が気づくとは思ってなかったぞ。

  女にうつつをぬかし続けるような奴に。」

 

 「……。」

 

 「お前を変えたのはなんだろうな。

  ……まぁ、それはいい。

  

  お前は、俺に、何を望む。」

 

 「真実を。

 

  と、言いたいところですが、

  さしあたり、絵画購入の差し止めと繰り延べを。」

 

 「……。」

 

 「言ってはなんですが、啓哉さんは由奈にご執心です。

  その間は、絵を集めることへの関心が薄れるかと思います。

  誤魔化しようがあろうかと。」

 

 おそらく、マスターは惰性で買い集め続けていたはずだ。

 崩壊をはじめているあの嫌味オトコの心を少しでも慰められるなら、と。

 

 今は、その必要がない。

 そして、俺の原作知識が正しければ、

 この後、少なくともキャッシュという意味では、

 事務所には、空前の大金が転がり込んでくるはずだ。

 

 「……お前は、それでいいのか。」

 

 「はい。

  由奈の精神と貞操が護られる限りは、ですが。」


 「……

  藤原純一。

  

  お前は、誰だ?」

 

 「……はは。

  男子、三日会わざれば刮目して見よ、と言うじゃないですか。

  

  ……僕は、変わらざるを得ないんです。

  いろいろ。」

 

 鋭く、穴があくほど見つめられた。

 雛の、数千倍の密度で。

 

 やはり、この人には、何かがあるんだ。

 

 「……

  信用できんな。

  ただ、有用ではある。」

 

 ホント、鋭いわ。

 どうしてこの血が奏太に受け継がれなかったんだろうな。

 

 「十分です。

  ありがとうございます。」

 

 これで、Kファクトリーの破産、脱税疑惑は免れる。

 雛達が露頭に迷うこともなくなる、かもしれない。


 と同時に、俺の手に、核弾頭が握られたに等しい。

 最終決戦で大いに役立つだろう。

 

 「お前の狙いはなんだ。」

 

 「皆の命を護ること。

  それだけです。」

 

 本当に、それだけだから。

 


 「……愛のない奴だ。

  啓哉に似てるな。」


  

 げっ。

 一緒にすんなよ、あんな奴と。


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