第7話 隠されたその下に
ヴイイイイイイイイイイン……
それでも希望として捨てられず、こんなものを握りしめて近寄る男子はどれだけキモいだろうか。
「聞いて、音無くん。武器を受け取ったわたしたちは、みんな物語が好きな人だったの。だからっ、きっとわたしよりもずっと本を読んでる音無くんが最後の砦なんだって、そう思ったの」
物語が好き。それは、でもあいつらにそんな共通項なんて。
「彼らは自分が主人公の物語を走り続けていたのよ。だから得意武器で──」
「じゃあっ、南野さんだって!」
「わたしは……フルートはそんなに得意じゃないもの。彼らと同じならベースが出てきたはず。あのサウンドがたまらなく好きなのに、フルートが出てきたのは……昔に読んだ本の女の子がそうして人々を幸せにする物語が好きだったから。ベースよりも、ずっと」
「……っ!」
もう、喉元まで──! これ以上進めば命に関わるっ!
「だから、きっと音無くんのそれは……その、それは……」
時間がないのにそこで言い淀まないで南野さん──っ!
「きっとあの人を倒せる、そんな特効武器……なんだ、よ……」
「南野さんっ!」
最後までどうにか話せたのに、どうして、どうして顔を赤らめたまま氷漬けに……。
『お別れの挨拶は済んだかえ? ならそろそろ──』
「お前は絶対に、許さないからなっ!」
『ふんっ、許さないとは面白いことを言うものだが……実際のところどうしてくれると言うのかえ?』
僕らのやり取りを、観劇するように静かに楽しんでいたらしい美魔女だけれど、そんな余裕はすぐに消してくれる。
僕は無言のまま左手を高々と掲げる。
美魔女には残念だろうけど、僕の好きな物語は昨日たまたま読んだひたすらに長い射精音の出てくる物語ばかりじゃない。
エロもハーレムも必要ない、コッテコテのファンタジー。どんな苦境だって剣と魔法で乗り切ってみせる、そんな物語。あとは狂おしいほどの愛があれば尚よし!
右手の武器とは別に、僕の左手がその力を放つ。
いつだって、間違った選択を、結末を塗り替えたいとさえ思う後悔と懇願が僕にこのスキルを与えてくれたんだ。
『おぬし一体何をしたっ⁉︎』
「見て分からないか? お前の好きな──」
僕たちの他には氷漬けになったクラスメイトと担任教師ばかりの元教室を。
「──モザイクだよ!」
解像度の低い、荒いモザイクで僕たち以外を埋め尽くす。
そこに見えるのは、氷かクラスメイトか。
「それを選択出来るのは、僕だけだ!」
バラバラと、モザイクのひとつひとつが並べたプリントを散らかすかのように崩れ消え去ったあとには、氷漬けになんてなってない、無事なクラスメイトたちが震えて抱き合っているだけだ。
『そんな馬鹿なっ! モザイクってそういうものじゃ──っ』
「誰だって、モザイクの向こうには自分の想像する物があって欲しいって願うだろ?」
『おぬし本当に中学生か⁉︎』
「そっちは海苔弁世代か?」
美魔女の狼狽ぶりは正直笑えるけど、ここは楽しむべきじゃない。みんなの生命も視界も聴力もじきに戻っていく世界でモザイクを武器に美女を追い詰めて悦に浸っていたら、いざ終わった時にいらぬ誤解を受けてしまう。
ヴイイイイイイイイイイン……
僕は手にしていた振動棒のモザイクを長く引き伸ばし地面に突き刺す。
「お前に想像出来るか? 地面に突き立って抜けない武器ってのは昔から決まってるんだ。お前にそれが何なのか、想像出来るか?」
『ま、まさか……妾にはどんな武器も魔法も通じぬっ! 通じぬ、が……それだけはあってはならんのじゃっ!』
どうやらこいつ、本当に無敵のボスだったらしい。ひとをすり抜けたし、一瞬で大勢を凍らせたり、凍らせずに楽しんだり。
だからこそ、モザイクの向こう側に見てしまうんだろう。
想像してしまうんだろう。
ヴイイイイイイイイイイン……
『聖剣エクスカリバーだけは──っ!』
「ふっ──サヨナラだ、美魔女っ!」
美魔女がその全身を震わせよがりながら恐れの声を大にして叫んだところで僕のスキルは発動する。
この強大すぎる敵を葬るための聖剣が、そのモザイクを剥がされて解き放たれる。
一閃。避けるそぶりも見せず、僕が振るう聖剣を全身で受け止めて、美魔女は堕ちた。
「ん、うう〜ん……」
「南野さんっ!」
「音無……くん?」
「良かった、無事で本当に……良かった……」
「音無くん……」
すでに元教室がかつての姿を取り戻していることから、機械が止まったことを告げている。つまりはミッションコンプリートだ。
出来レースとはいえ、最後は正直生きた心地がしなかった。肉体的にももちろんだけど、この歳で社会的な死を間近に恐ることになるとは思わなかった。
戦いの勝者はしかし無様に泣きながら好きになった子の手を握って名前を呼び続けていたし、いざ名前を呼ばれたら感涙で声にならなくなって。
触れたその手が暖かくてほっとしてる。氷漬けになっていたままならきっと初夏にもなってないこの時期に用具室からありったけのストーブを持ち出してでも溶かしたことだろう。
「音無くん、その……色んなことがあったけど、わたしと友だちになってくれませんか?」
「ぐすっ……もちろん、喜んで……」
僕は静かに驚いていた。こんなに人前で泣いているのもそうだけど、今もすっと声が出てきたことに。
微笑む彼女となら、僕はきっと輪の中にだって入っていけるんだろう。
彼女の手を握りなおし、祈るように額を押し当てて温もりを感じる。
この時が永遠に続けばどんなに幸せか。
けど幸せってのは僕の人生の中で長く続いたことはない。
ヴイイイイイイイイイイン……
「この音……え?」
「おい、何だあれは」
「ちょっとどうなってんの⁉︎」
「先生もこれは擁護出来んなあ……」
次々と意識を取り戻し平常心に返ったクラスメイトと手のひら返しなくそ担任教師が困ったように、或いはたまらないと言った風に見るのは教室の中心。
そこでは耳障りに響く例の音の元凶があった。
ヴイイイイイイイイイイン……
『おっほおおぉ、たまらんのう、たまらんのうっ』
学校の教室の床で、六尺ほどはありそうなピンク色の振動棒にしがみつき、身体のいいところを押し当てては嬌声をあげる金髪金眼の美少女がそこにはいた。
「音無くん、これは──」
「南野さん、落ち着いて聞いて欲しい。僕を信じて聞いて欲しい」
「予防線は張らなくていいから、これはどういうことなの?」
言葉に抑揚がない。なのに突き放すような、それこそ心を氷漬けにしそうな言葉はもしかしたら南野さんは魔女になってしまったのかもしれない。
「いらないこと考えてないで、早く」
「うっ……その、僕のスキル“モザイク”は“見た者の想像通りのもの”をその下に隠しているってスキルで、僕の意志ではがしたときにその結果が現れるわけで……」
僕は悪くない。そう思えば思うほどにだらだらと汗が噴き出るのを止められない。この結末を招いたのが僕のスキルであることも理解しているからだろう。
「みんなにモザイクをかけたときも僕のスキルで“みんな元通りになっている”と思わせたから助けられたわけで……」
このスキルで助けられたんだよって言い訳を入れておくのも忘れない。いや、実際みんなを助けたわけだし。
「で、あいつを倒せる妙案も他に思い浮かばなくって、モザイクの下にあいつに対する特効武器を想像させたんだけどさ」
「それがあれ、だったわけ」
しかも美魔女は楽しむために自分の肉体年齢を変えたりして遊んでいる。今はちょうど僕たちと同じくらいの年恰好で……女子たちがみんなどうにか立ち上がっているのに、担任教師以外の男子が誰も立ち上がれないどころか、前屈みになって動けず教室の真ん中にいる美少女を凝視しているのだからなんとも言えない。
「そう、そうしてわたしたちを助けてくれたんだね」
「う、うん。だからさ、その──」
「じゃあ立とうか。教室の片付けもしないと、だし」
試されている。僕はこの状況で、みんなを救ったヒーローであるにも関わらず。
「そう、だね。うん、片付け……しよう」
もちろん僕は問題なく直立出来るさ。猿が人類に進化するほどの時間をかけるつもりもない。担任教師だって無傷に平静でいられるのに、自分が倒した相手にここでやられる僕じゃあない。
もうかつての僕じゃあない。
「そんなに自信満々で誇らしげに胸を張って立ち上がるくらいなら──その腰の大きなモザイクも外してみようか」
「ぐぬっ……これは今は……」
「大丈夫大丈夫。わたしたちみんな、音無くんを信じてるから」
「南野さん──」
かくして、そんな南野さんの言葉を信じてモザイクをはがした僕の腰は──。
みなまで言うこともない。僕は人生で一番赤面したとだけ言っておこう。
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