取鳥様の巫女と燭台

柴田 恭太朗

鳥取は美人の産地なのか?

 就職一年目にして、ボクはアウディR8を買った。5.2リッターV10エンジンを積んだ、真っ赤なスポーツカーだ。地を這うようようなスタイルから『スパイダー』という愛称をもっている。端的に言ってカッコいい。詳細に言ってもカッコいいの一言に尽きる。


 セールスマンの言う『アウディR8は女性人気ナンバーワンの車種。別名、女殺し』という魅力的なフレーズはボクのココロを揺り動かした。しかしそれだけじゃない。長い人生のどこかで何か大きなことをやらなければ、ボクは一生変わることができず、いつまでたっても人呼んで『ひ弱なボクちゃん』のままだと思ったからだ。仕掛けるなら社会人になった今がベストタイミング。人生を揺るがすような喝を入るなら今を逃してはならない。そんな強迫観念のもと、ボクはアウディを買った。


 組んだローンは『男の240回払い』。コツコツと二十年かけて払い終わる計算だ。おっと、ここは笑うところではないゾ、他人ヒトが思うほど後悔はしていないからね。


 ボクの社会人初の夏休みは、新車の慣らし運転をかねて西日本一周ドライブに決めた。生まれてこのかた彼女とかいう希少生物は、ボクのかたわらにいたことがないから、もちろん一人旅だ。


 買ったばかりの真っ赤な”女殺し”アウディR8スパイダーは快調だった。ドライブの途中で虫の雌一匹すら殺すことはなかったし、ましてや人間の女性をひっかける奇跡も起こらなかった。けれど大丈夫、ボクは高望みはしない。身のほどってヤツをわきまえているからね。


 ドライブの行程は順調に進み、今は鳥取砂丘に沿って走る道をゆっくりと流している。カーナビによると、左側に波打つ灰色の砂丘が見えてくるはずなんだけど、砂丘の方向は背の高い雑草でびっしりと覆われて、幻想的な光景は望めなかった。それだけが不満といえば不満かな。

 話し相手もいないしカーラジオから流れてくるアナウンサーのおしゃべりも退屈。それに加えて景色が単調とくれば、自然とまぶたが重くなってくる。


 ロングドライブでたまった疲れもあって、ハンドルを握ったままボクの意識がスゥーっと消失し、完全に目を閉じた瞬間があった。


――ゴン


 路面の段差を乗り越えたようなイヤな衝撃で、ハッと目を開いた。

 ボンネットのすぐ先に巨大な深緑色の軍用トラックの横腹がある。トラックは脇の草むらからこちらを確認することなく、いきなり国道に飛び出してきたのだ。


――!!


 とっさにパニックブレーキを踏んだ。ミシュランのタイヤがアスファルトに焼け付く甲高いスキール音。ダッシュボードのホルダーにあったペットボトルが飛び出してきて中身のミネラルウォーターがこぼれ、砂丘由来の砂塵が舞い上がり、アウディは軍用トラックに追突する寸前で停止した。双方の間隔はわずか5センチ、トラックがブレーキをかけていれば確実に衝突していただろう。だが、そうはならなかった。あちらはボクのクルマが存在しないかのように、そのまま走り続けたからだ。


 そのときボクは気が付いた。

 トラックを覆う深緑色の幌の隙間からこちらに向けて突き出した銃口に。銃器マニアのボクは一目でわかった、対物たいぶつライフルだ。それは戦車や装甲車を軽く撃ち抜く、強力で物騒なライフル銃。その銃口がまっすぐ運転席のボクを狙って照準を合わせている。


 現実とは思えない出来事にボクは心臓をバクバクさせ、すでに停止しているにもかかわらず右足は強くブレーキペダルを踏みつけていた。両手の甲でまぶたをゴシゴシとこする。

 幸いボクに向けられた対物ライフルは火を吹くこともなく、トラックから飛び降りてきた兵士に取り囲まれることもなく、何ごともなかったように軍用トラックは砂塵をあげて国道を去っていった。先ほどライフルが覗いていたように見えた幌は、几帳面な兵士がアイロンでもかけたかのようにピタリと密着して閉じられている。


――いまのは幻覚?


 ロングドライブの疲れがでてきたようだ。気持ちを落ち着かせた方がいい。

 そう判断したボクはゆっくりとクルマを走らせると、頃合いよく行く手に見えてきた喫茶店に向けステアリングを切った。真っ赤なアウディはアスファルト舗装の国道を離れ、駐車場に敷かれた砕石をジャリジャリと踏み鳴らしながら乗りこんでゆく。

 ボクの人生が変わるとも知らずに。


 ◇


 喫茶店は白塗りの木造でヨーロッパ風の華やかな装飾がふんだんにあしらわれていた。観光地によくある女性ウケしそうなデザインだ。男性が一人で入ってもいいものだろうかと、少々気おくれしながら白く塗装された木のドアをゆっくりと押していった。ボクの心配を吹き飛ばすように、中からハツラツとした女性の声が出迎える。


「いらっしゃいませ!」

 カウンターの前に立ったウエイトレスが、フリルのついた白いエプロンの胸に銀の丸いトレーを抱えて、ニッコニコしている。予想すらしていなかった美少女である。


 彼女を一目見たボクの瞳孔は大きく開いた。ヒトは好みの異性と出会ったとき、瞳孔が開いてしまうものなのだ。


――鳥取って美人の産地だったっけ?


 それが彼女と出会ったボクの最初の感想だった。

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