史上最強のメジャーリーガーは現役引退後の第2の人生を異世界でひっそりと楽しみたい

葵彗星

プロローグ 史上最強のメジャーリーガーの現役引退

 メジャーリーグの公式戦が終わった翌日、俺は背広姿になって記者会見場に出た。


「わたくし森田剛一は今日を限りに、現役を引退させてもらいます。皆様、ありがとうございました」


 一応は形式ということもあり、立ってその場で深いお辞儀をした。案の定、おびただしい数のカメラのフラッシュが襲い掛かる。


「森田さん、一体どうして引退を決意されたんですか!?」


「今季もベストナイン、タイトルも総なめ! 球団のオーナーも大変ご満悦だったじゃないですか!」


「ファンからも悲しみの声が絶えません。考え直す気はありませんか?」


 一度に質問が多すぎる。頼むから一人ずつ話してくれ。

 会見を仕切るのは俺のマネージャーの川田、あまりの数の多さにテンパっていたけど気を取り直して、一人ひとり順番に指名した。

 これから多くの質問に答えないといけないのか、あぁ面倒だ。


「えぇと、まず……引退を決意したのは……」



 一時間後、会見を終えてやっとこさホテルの部屋まで戻ってこれた。

 今日は一日疲れた。シャワーを浴びてゆっくり休もう。


「あの……森田さん」


 マネージャーの川田が話しかけた。右手に持っていた箱に溢れんばかりの、大量の手紙やら封書が入っている。ネットの時代とは思えないな。

 すぐに目に入った手紙の文字には「やめないで!」の文言が書かれていた。今更気持ちは変わらないが、あまりこういうのは見ないことにしよう。


「あとでちゃんと整理してマスコミに送ってくれよ。それか実家にでも送ってくれ」


「わかりました。あと花束系は……」


 俺の部屋の片隅にいくつかの花束が置かれている。俺が引退を表明したのが、一週間前だけど意外と届いている数は少ない。

 俺のこれまでのプロでの実績からしたら、もっと多く届いていてもおかしくない。きっと引退が突然すぎたからだ。


「ここに置いていくのも困る。業者が来たら処分……いや、待て」


 ふと俺は大事なことを思いついて、花束に近づいた。花束、よく見たら女性に贈るプレゼントにふさわしい。そっと触れてみた。


「……ヘリクリサムだ」

「おや、森田さんはお花に詳しいんですね」

「ヘリクリサムの花言葉って知ってるか?」

「さぁ、花言葉なんて興味ありませんから……」

「『永遠の思い出』って言うんだ。これは……あいつが喜ぶな」

「……実家にでも送りますか?」

「いや、これだけは俺専用だ」


 俺はヘリクリサムの花束を持った。枯れないように、太陽の光が当たる窓際に置いた。


「それでは先日引退を表明されたメジャーリーガーの森田剛一さんの記者会見をもう一度ダイジェストでお送りします」


 テレビのアナウンサーの声が聞こえた。でも一つ訂正がある。


「“元”メジャーリーガーだよ」


「まぁまぁ、まだ引退を決めつけたくないんですよ」


「だから、ちゃんと説明しただろうが。俺は引退する、もう決心は変わらない」


 俺は今年で30歳、確かに引退するには早すぎる年齢だ。

 スポーツ評論家という引退したプロ野球選手達が次々と出てきて、俺の引退についてあーだこーだ意見を述べ合っている。

 俺のこれまでの実績と経歴も、やっぱり話題の中心だ。


 十八歳でプロ入りし、一年目で新人賞と投手部門のタイトルを独占するという前人未到の偉業を成し遂げ、僅か五年でアメリカに渡った。

 アメリカに渡り、一年目からメジャーリーガーとしてバリバリに活躍。やはり日本と同様、アメリカでも投手部門のタイトルを毎年のように獲得しまくった。

 それだけじゃない。基本投手として活躍していた俺だったけど、日本とアメリカ、ともに投手が打席に立つリーグで活躍していたので、俺はしょっちゅう打席に立っていた。


 打者としても俺は超一流だった。打席に立てばホームランバッター顔負けのバッティングで、多くの投手を怖がらせ、普通の4番バッターより敬遠もされるほどだ。

 ほかの打者が一向に打てない中、俺だけがホームランを打って勝利を決定づけた試合もいくつかある。


 俺は凄すぎた。あまりに凄すぎて、いつの間にか“史上最強のメジャーリーガー”と呼ばれるようになった。各局のテレビのアナウンサーもこぞってそう呼んだ。

 でもその史上最強のメジャーリーガーも今年で三十歳、そろそろスポーツ選手として衰えが見え始める年齢だ。というのは、建前に過ぎないけど。


「三十歳になったら現役を引退する、俺はそう決めていた。その心は変わらないし、今後は衰えが出始める。引退してちょうどいい年齢だ」


「だからって、球団が提案した五年で3億ドルの契約を断ち切っていい理由にはなりませんよ」


「あのな、金なんか関係ないんだ。そんなもので俺の心は満たされない……」


「となると……」


 川田も俺が何を言いたいのか察したようだ。そしてそれ以上は突っ込まなかった。


「……もう決心はついたんですね」


「こっちの世界にはもう戻らない。俺は……あいつと一緒の世界じゃないと駄目だ」


「わかりました。でもあなたは仮にも超有名人、失踪したとなると大騒ぎになります」


「それは心配ない。これを使え」


 俺は川田に30センチほどの大きさの人形を渡した。


「複製人形ですか、いつの間に……」


「昨日、女神が俺にくれたよ。親切な女性さ」


「もう女神も知っていたんですね、引退することを」


「引退したら、またあの世界に行く。約束したからな、二十年も前に」


「二十年ぶり……彼女は覚えているんでしょうか?」


「覚えているさ。それに向こうの世界は、まだ十年くらいしか経っていないはずさ」


「出発はいつですか?」


「とにかくまず日本の実家に帰る。家族に顔を見せてそれからさ。変装グッズはあるな?」


 川田はすぐにテーブルの上に茶髪のカツラとサングラスを置いてくれた。俺がお忍びで外出するとき用の定番道具だ。

 あとは念には念を入れて、偽装されたパスポートもある。金の力でこんなこともできるとは凄いな。


「じゃあ、明日日本に発つよ」


「……森田さん」


 川田が俺の顔を見つめた。俺と同い年の女性、メガネはかけているけど、よく見たら凄く美人なんだ。


「あの、その……言いにくいんですが……」


「言えって。これが最後なんだから、何だよ?」


「……あなたのことが……好きでした」


 彼女はそれだけ言い残して、部屋を出て行った。目には涙が溢れていた。

 なんとなく予想はしていた。彼女の俺への恋心は前々から噂されていたからな。

 マスコミやネットでもたびたび話題になっていた。熱愛報道までされていたっけ、たかが夕食を一緒にとっただけなのに。

 川田には申し訳ない思いをさせた。俺の秘密を知ったのが三年前ほど、俺もその時から川田の想いは知っていた。


 でもそれからも、川田の俺への態度は変わらなかった。もしかしたら俺が心変わりするのを、期待していたのかもしれない。

 結局それは叶わなかった、川田はまだ俺を愛しているのか。いや、俺なんかを愛するより、川田にはもっとふさわしい相手がいる。

 俺が蓄えた貯蓄は日本円で500億円くらいか。たった十二年の現役生活だけど、よく稼いだものだ。


 川田の指定口座に俺の貯蓄の半分の金額を振り込んでおいた。これからの俺の生活には金なんて必要ないから。

 金でも川田の心は満たされない。気休めにしかならないが、俺にできるのはこれだけだ。


 俺には待っている女性がいる。二十年も前に別れた幼馴染の女性、絶対に戻ってくると誓った。

 俺の第二の人生はその女性と生活する、異世界で。

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