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「ねぇ、迷子だよね、お姉ちゃんと一緒にお母さん探そっか」


「いいの?」


「うん! もちろん!」


 栞の一声で男の子は泣き止む。凄いな。なんて感心しながらしれっと男の子の視界の中に入る。


「お兄ちゃんも?」


「あぁ、任せとけ」


「ありがとう……僕、そらって言うんだ!」


 赤くなった目を腕で擦りながら元気よく自己紹介をする。栞も空くんの目線に合わせて自己紹介を始めた。


「よろしく空くん。私は栞、お姉ちゃんでも栞でもいいよ」


「お姉ちゃんにする!お兄ちゃんは?」


 クリクリのぱっちりした目で俺を見る。まだ小学生ではない、幼い顔は可愛らしさと俺が苦手とする明るさを兼ね備えている。


「俺は蓮、なんて呼んでくれても良いぞ」


「じゃあお爺ちゃん!」


「なんでだよ」


 空くんの流してしまいそうなボケに空くんと栞がケラケラと笑う。


「それで空くん、お母さんとはどこで離れたの?」


「分かんない。気づいたら一人だった」


 お母さんの話になると途端に俯いて寂しそうにする。母性がくすぐられるというのはこういうことか。母性持ってないけど。


 駅前なだけあって人もそれなりに多い。ショッピングモールやレストラン、カフェにコンビニなど、母親がどこにいてもおかしくない。


 選択肢は絞れそうにないな。最も効率的に行くなら交番に届けるか、ショッピングモールの迷子センターに届けるか。


「栞、俺は交番に行くのが一番良いと思うけど」


「警察? やだ! やだ!」


 栞が返事する前に空くんが駄々をこねる。これだからガキンチョは得意じゃないんだ。警察が怖いってのはしょうがないとはいえ、謙虚さぐらい見せてほしい。


「氷室くん、そんな顔しない。警察怖いもんねー。じゃあお姉ちゃんと一緒にお母さん探そっか?」


「うん!お姉ちゃん好き!お兄ちゃん、頭硬そう」


「なんでそんな言葉知ってんだよ」


「頭硬いのはあってるんだからいいじゃん」


 栞に鼻で笑われながら、俺は110番を押す。別に無理矢理連れてこうってわけじゃない。そこまで鬼じゃないし。お兄鬼いちゃんにはなりたくない。もちろんお爺ちゃんにも。


 とは言え、電話だけはしておく方がいいだろう。俺たちは子供視点で探しているが、親だってきっと子供が行方不明で不安なはずだ。俺は頭が柔らかいので別の角度からも見れる。俺は頭が柔らかいので。


「すいません。迷子を見つけまして…………はい、空くんって言う五歳ぐらいの子です。交番怖いらしくて、親御さんが来たら折り返し連絡してもらってもいいでしょうか?……ありがとうございます」


 俺の電話の相手を、栞が空くんに説明していたらしい。電話が終わると手を繋いで進み出した。俺もその後をついて行く。


「お姉ちゃん、最初どこから探すの?」


「そうだねー、今日は何しにここに来たの?」


「ご飯食べて、僕の靴買うってお母さん言ってたよ」


「じゃあショッピングモールかな?」


 どうやら行き先が決まったらしい。側から見たら、栞と空くんは兄弟にしか見えない。空くんも顔立ちは綺麗で、ぱっちりとした目、長いまつ毛、面長でありながらもまだ子供の顔。


 どことなく誰かに似てる気がする。と言っても俺が知ってる子供なんて一人も居ないので気のせいだろうけど。


 空くんの歩くスピードに合わせ、ゆっくり進む。そもそも俺がいる必要あるのだろうか? 完全に役立たず状態になってる。


「空くん、お母さんってどんな感じの人なんだ? 服とか覚えてない?」


「えーっとね、美人なんだよ。それでね、お花が似合うの! それで、それで! いい匂いするの!」


 栞と繋いだ手を振り回しながら大袈裟にアピールする。可愛いんだけどあんまり絞れてないかな。


 美人とか花が似合うはアバウトが過ぎるし、匂いに関しちゃ犬じゃないと分からない。


「あとは、白い服着てた!歳は……アラター?」


「アラサーだね。ってことは三十歳ぐらいかな?」


「アラサーって幼稚園児が知ってる言葉なのかよ……」


 感心というか、恐れおののくというか。なんとも形容し難い感情に襲われていると目的地についた。中に入ればクーラーで冷やされた空気が外になだれ込んでくる。


「涼しいねねー、外じゃまだ暑いから油断できないよ」


「だな。空くん喉乾いてない?」


「ちょっとだけ、でも大丈夫だよ」


「そうか。お母さん見つけたらすぐ言うんだぞ」


 栞が俺を見て何か言いたそうにしている。


「なんだよ」


「喉乾いてるって言ってるんだから、ジュースぐらい買ってあげれば良いのに」


「自分で買えよ……」


 俺は呆れながら自販機に向かう。ただのパシリな気はするが、お願いされると断りきれない。


 さっさとジュースを買って二人のもとへ戻る。空くんはよほど嬉しいのかキラキラした目で俺の手元のジュースを見ている。


 確かにこの歳の子だと親って厳しくなりそうだもんな。ジュースが手に入る喜びが新鮮なのだろう。


「ほら、オレンジジュースかカルピスか選んで良いぞ」


「オレンジジュース!」


 俺が渡すとにっこりとした笑顔で感謝をもらう。


「ありがとう!」


「いいよ。はい、じゃあこっち栞な」


 余ったカルピスを山投げで栞に渡す。もらえるとは思っていなかったのか小さく驚いた。


「いいの?」


「俺はコーヒー買ったからな」


「それはブランドコーヒー?」


「カルピス返せ」


 栞は「ふふっ」と上品に笑いながら逃げるように母親を探し始めた。空くんは目を輝かせながら果汁100%のみかんジュースをごくごくと飲む。


「お兄ちゃん! 大好き!」


「おう、そうか」


 そう言って、空くんが栞と手を繋いでない方、つまり右手で俺の左手を握った。えへへっと俺を見上げながら笑っている。やばい、子供好きになるかもしれん。


 そんな思考から逃げるように歩き出す。とりあえず向かうは靴屋だ。子供が迷子になっても探さずに本来の目的を果たす親なんてそういないと思うがアテがそこぐらいしかない。


「氷室くん、こうやってると親子みたいだね」


「どう足掻いても兄弟だろ。それか俺が父さんで二人が子供」


「そんなに幼く見えるかな?!」


 空くんの頭の上で会話する。間に空くんを挟んではいるのだが栞と手を繋いでいるようでムズムズする。


「違うよ、お姉ちゃんがお母さんでお兄ちゃんがお父さん!」


「複雑な家庭だな」


「ちょっと、空くんの教育に悪いから」


 アラサーとか知ってる時点で大概だろ。なんて探してる親に大変失礼なことを考える。ちゃんとお礼を言えるあたりしっかりと教育した家庭なのだろう。どちらにせよ見つけない限り答え合わせは出来ないか。


「喧嘩しちゃダメだよ! 離婚ダメ!」


「離婚とか言うなよ、付き合ってないし」


「えっ?お兄ちゃん達付き合ってないの?」


 空くんの一言に俺と栞は目を合わせる。顔がカッと熱くなった気がした。鏡のように栞も綺麗な肌を真っ赤に染めている。


「そっ、そう見えるか?」


「うん! ラブラブだよ」


「そうだね、そうだよね。それより空くんは好きな女の子いるのかなー? お姉ちゃんに教えて欲しいな」


 栞は顔を薔薇色に染めながらあからさまに話を逸らす。


「空くん、モテそうだしな。ここだけの話どうなんだ?」


 すかさず俺も加勢に入る。大人たちの腹黒い企みに気付かないまま空くんは話の流れにのまれる。


「えっとねえ、美代みよちゃんがぁ……好きぃ……」


 三人して顔を真っ赤にしながら昼間に恋バナをする。奇怪な光景と言わざるおえない。照れてる空くんを見ながらそんなことを考える。


 そんな俺の視線に気付いたのか空くんが身震いしてドヤる。


「モテる男は辛いんだよ」


「モテない男の方が辛いぞ」


「確かにい」


 自信満々に決め台詞を言い放った空くんにモテない男代表の俺が言わせてもらう。縮こまりながらも納得しているようだ。


「流石、モテない男は背負ってるものが違うね」


 いつも通りの顔色に戻った栞が挑発気味にニコリと笑う。しかし、モテない男は背負っているというのは間違っている。


「モテないから何も背負ってないぞ」


「その通りかも! って言うか氷室くんはモテるでしょ」


「どこ情報だよ。別に大したことないぞ。恋愛は疎いんだ」


「お兄ちゃん、モテたことあるって顔してるー! 嘘はいけないんだよ! ねっ!?」


 空くんが同情と共感を得るように栞の顔を覗き込む。子供って謎の第六感が優れてるよな。


 この場においては要らない能力なんだけど。空くんの曇りまなこに見つめられ、栞がうんうんと頷く。


「そうだよ。氷室くん、嘘はダメだよ。吐く時はしっかり吐かないと。終わらないよ?」


「事情聴取か? 別に何もないって。それより早く母さん探せよ。今のところ駄弁りながら歩いてるだけだぞ」


「露骨に話逸らすじゃん。まあ、それは後で聞くとして、お母さんは見つけないとねー。そうじゃないと私がお母さんになっちゃう」


 よく分からない栞のつぶやきを二人で無視しながら辺りを見回す。白い服を着ている人は見かけるが母さんには見えなかったり、子供を探している様子はなかったりと一苦労だ。


 結局、靴屋にも服屋にもおらず、挙げ句の果てには迷子センターにまで来てしまった。初めから来るべきはここなのだが。


 迷子センターに着くと若いお姉さんが空くんの対応をしてくれた。これで一件落着か。迷子のアナウンスも入り、親と会えるのももう少しだ。


「じゃ、いい子でいるんだぞ」


「えっ? お兄ちゃん達、もうお別れなの?」


「そうだよ、氷室くん。最後まで見届けないと」


 そうは言うがもう五時前だ。急がないと行きのバスが無くなってしまう。空くんにバレないように、栞にアイコンタクトを送るが全く分かっていない様子だ。


 空くんのくるりとした視線に俺も折れて、親が来るまでは待つ方針になった。


「お兄ちゃん達って、高校生?」


「そうだよ。それがどうかしたの?」


「もう大人だなって思ったんだ。将来の夢とかあるの?」


 二人の会話を小耳に挟みながら時計の針をじっと眺める。俺としては栞が提案してくれた夕日に行きたいと思う。しかし、そんな願望も届く筈もなく秒針は進み続ける。


「将来か……お姉ちゃんはないかな。今が一番大切なんだから」


「将来の方が大切だろ……」


 二人の会話に割って入ると栞がむすっと頬を膨らませる。


「でもその将来でも将来が大切だーとか言うんでしょ? じゃあ一向に大切な時間が来ないじゃん」


 栞に言い負かされ口を閉ざす。正論すぎて何も言い返せない。実際、今を大切に生きるってのは素晴らしいことだと思うし。


「でもでも将来を見据えるのは大事だよ」


 ここで空くんのカウンターが炸裂する。輝く未来を見据える子供達の純粋な言葉は心に沁みる。


 俺もヒーローに憧れていた時期はなかったが、夢や希望を抱いたことぐらい……なかった。


「そう言う空くんは将来何になりたいの?」


「お花屋さんになりたいんだ! 笑顔で帰っていくお客さん見てると嬉しくなるの!」


「心が綺麗すぎて直視出来ないよ」


「奇遇だな。俺もサングラス買おうか迷ってたところだ」


 空くんの言葉に浄化される。人を笑顔にする仕事か。まだ空くんのことを全く知らないけど、なんとなく似合う気がする。癒されてるなと感じている間に質問が飛んできた。


「因みに氷室くんの将来の夢は?」


「将来かー、進路も決まってないんだよな。来年は受験生だから早く決めなきゃとは思ってるんだが。高校はとりあえず偏差値高いとこ行けば後悔しないから良かったけど、大学はそうもいかないしなー」


「難しいんだね」


 空くんはうへーっと嫌な顔をしながら見つめてくる。いずれ来る未来の不安に早くも直面してしまったみたいだ。


「空くんはまだまだ先の話だからね、今は自分の好きを見つける時間なんだよ」


 やけにかっこいいこと言うな。自分の好きを見つける時間……五歳にはちと早くないか?いや、俺も5歳の時には本読んでたしそんなことないか。


「お姉ちゃんは何を見つけたの?」


「私は見つからなかったんだ……だからね、空くんは見つけてね、お姉ちゃんとの約束!」


「うん!」


 元気よく返事したところで迷子センターの扉が勢いよく開いた。おそらく親が来たのだろう。振り返るとそこには白いコートを手に持った二十代中頃の女性がいた。


「空っ! 大丈夫!?」


「お母さん!」


 肩で息をするお母さんと涙目になった空くん。感動の再会だ。でも俺はそんな映画的シーンよりも母の顔に目が引きつけられた。


「本当にありがとうございます。あっ、この前お店に来てくれた人ですよね」


 空くんの母は深々とお礼をしてこちらを見た。そう、空くんの母は以前久遠と栞の誕生日プレゼントを買いに行った時に寄った花屋の店員さんだったのだ。


「お久しぶりです。あの日はありがとうございました」


「えっ!? 知り合い? あの氷室くんが!?」


 馬鹿にしてるだろ。知り合いが少ないから否定はしないけど。名前を知り合っている大人なんで片手で数えられるかどうかだし。


 なんなら同級生を入れても両手が埋まるかどうかくらいだ。


「ああ、花屋の店員さんだ」


「氷室くん、花屋行くんだ。似合わないって言葉はこのために作られたんだね」


「罵倒のバリエーションだけはあるよな」


「あの、月下美人の子ですか?」


 空くんの母が澄んだ薄茶色の瞳で俺に尋ねる。月下美人の子とは横の栞について聞いてるんだろう。買ってあげたい花を決める時の有力候補だった。


「はい、そうです」


「美人? そんなぁ、照れる」


 自惚れに近い顔を浮かべながら頭を掻いている。こういう姿を見ていると栞はつくづく丸くなったなと感じる。初めの頃は硬さと緊張が抜けてなかっただけかも知れないが。


「お母さん、お兄ちゃんにジュース貰ったんだ!」


「そう、良かったわね。本当にありがとうございます。こちら、少ないかもですが……」


 スッと一枚の樋口一葉が差し出された。俺は空くんを助けようと言い出した栞に視線をやるがまだ自惚れ中だ。


 俺は社交辞令になぞらえ断りを入れておく。何もしていないとは言わないが礼を貰いたかった訳でもない。


「いえいえ、当然のことをしただけですし、俺も楽しかったので……」


「当然と言うならお礼をするのも当然です。受け取ってください」


 お母さんに言い負かされ、渋々五千円を受け取る。お母さんはもう一度深くお辞儀をした後、空くんと手を繋いで帰って行った。


 俺たちもそれに続きショッピングモールをあとにする。時刻は五時時二十四分。もうバスは無くなっている。


「良かったね」


「だな」


 まだ青い空を見ながら相槌を打つ。


「夕日も見たかったけど、人助けも出来たしこれで良かったかな」


 もの惜しそうに西の空を見つめる栞が酷く脳に焼きついた。


「もし、まだ夕陽が見れるって言ったらどうする?」


 俺は空くんの母からお金を貰った時から考えていた。バスが無くなっても夕日を見にいく方法がなくなった訳じゃない。


「どういうこと?」


 栞は頭をかしげながらこちらを向く。俺が柔らかい頭で捻り出した答え。柔らかい頭で。俺は五千円札を人差し指と中指で挟みこう言った。


「タクシー代、貰ったしな」

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