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 十月三日、修学旅行初日。俺は父さんにお願いして修学旅行を休んだ。父さんも高校はあまり好きではないので二つ返事でオッケーおもらえた。


 そんな俺はこの前約束した栞とデートの日。しかしデートとは言ったものの遊園地や水族館に行くわけではなくただカフェで昼飯を食べ、残りは行き当たりばったりの散歩のようなものらしい。


「おはよ。氷室くん」


「ああ、もうおはようの時間じゃないけどな」


 太陽は俺たちの真上にあり、影は一番短い時間帯だ。いつもの休日コーデに、珍しい薄化粧。学校より赤みがかった栞の頬に、後ろまで編み込まれた三つ編み。正直に言うと少しドキリとした。


「化粧って久遠から貰ったやつか?」


「そうだよ。使ったのは初めてじゃないけど人に見せるのは今日が初めて……どうかな?」


 褒め言葉を待っているのかチラッとこちらの顔色をうかがってくる。こう言う時にど直球で言って良いのか分からないのが俺のいけないところなんだろう。まあ、見るからに可愛いので困らないんだけど。


「いいと思うぞ。学校のやつらみたいな厚化粧よりかはセンスある」


「なにそれっ」


 口下手でもそれなりにご満足されたようでスキップ気味に歩いて行った。今日のデートプランは栞に任せてある。カフェに行くことしか聞かされていないので、場所が分からない。


「で、どこのカフェなんだ?」


「えーっとね、駅前の小さいところ。普通のカフェだよ。隣にボーリングあるとこ」


「あそこか……」


 行ったことはないが見たことぐらいはある。学生のお供と言うべきところだ。お手頃な値段と落ち着いた空気。オシャレ過ぎずチープ過ぎずだったはず。


 話が途切れたことを察してか、栞が質問をしてきた。


「東雲さんは修学旅行、どこ選んだんだっけ?」


「久遠は外国だって。俺は行かないって答えたら、すげぇびっくりしてた。普通はそうなんだろうな」


「氷室くんはあんまり驚かなかったよね」


 俺は修学旅行を休むって考えがなかったから咄嗟に質問しただけで驚いたんだが。栞にはそう見えなかったらしい。


 感情が表情に出ない方なのは分かっていたがここまでとは、俺も驚きだ。


「割と驚いたぞ。授業だけじゃなく修学旅行まで休むとは思ってなかった」


「でも最近は結構行ってるよ」


「だな」


 栞が登校している日は決まってメールで『今日図書室行くよー』と同じ文が送られてくる。そして俺も『ん』と最短の返事をする。そんなメールのやり取りとして形に残っているからか、夏休み終わりからの登校頻度が増えたことは気づいていた。


 雑談をしていると到着していたようだ。栞の言っていたように小さい。中は大丈夫なんだろうかと思っていたら案外広く、カップルがポツポツと座っていた。


「何食べよっかなー?」


「コーヒーか、あんまり好きじゃないんだよな」


「あのさ、デートであんまりそう言うこと言わない方がいいよ?」


 栞に指摘され、傷心する。栞の言う通り今のはテンションを下げる一言だったか。


「じゃあ私、いちごパフェで」


「俺は……コーヒーで」


「種類は何になさいますか?」


 種類とかあんのかよ。父さんはブランドがどうとか言ってたな。コーヒーを淹れるのは得意だが飲む方はあまり知らない。


「コーヒーブランドで」


「ブッッ」


 栞が声を殺して笑う。漏れ出る笑いの理由がわからず店員に視線をやると、執事のような店員はゴホンと咳をした後、「ブレンドですね」と呟いて去って行った。


「ブランドって何!? あーっはっはっはっ……ダメだ、お腹痛い……しかもコーヒー嫌いって言ってたじゃん。くくっ、ブランドっ……」


 流れているジャズをかき消すかのように身をよじりながら笑う。微量の怒りと恥ずかしさで今の俺の顔は人様に見せられたものじゃない。

 

「いいだろ、もう……ブランドもブレンドもフレンドも変わんないって」


「確かに友達いない氷室くんには関係ないね」


「俺には久遠がいるから良いんだよ」


「ふーん」


 ひとしきり笑った栞が、なんとなく口から漏れた俺の一言に口を尖らせる。栞も俺と同じく感情が表に出やすいタイプでは無さそうだが、関わっていくうちになんとなく分かるようになってきた。


 ただ、普通の人が当たり前に出来てることが出来るようになっただけかも知れないが。今の栞は少しむすっとしている。


「東雲さんとの出会いってどんな感じだったの?」


「どうだったかな? 小学校の頃からだし、あんまり覚えてないんだよなー」


「本当に?」


「うろ覚えだけど聞くか?」


 栞が頷くと共にパフェとブレンドコーヒーが机に運ばれてきた。ほんのりとかおるイチゴの匂いと生クリームの匂い、一際強いコーヒーが鼻を刺す。


「確か久遠と初めて会ったのは小二だったかな? 俺はその頃から一人で本読んでたんだ。久遠から話しかけてきた気がする」


「私と同じだ」


「最初は断ったんだけど無理やり腕を引っ張られて外に連れてかれて、数人と鬼ごっこだったか、かくれんぼだったかをしたんだよ」


 栞は熱心に聞きながら生クリームたっぷりのいちごパフェを頬張る。スプーンに乗った溢れんばかりのクリームを小さく可愛い口が一口で飲み込む。視点が引っ張られてるのを感じながら話を続ける。


「もちろん俺は颯爽と教室に帰るんだけど、またまた久遠に見つかってさ」


「ちょっと待って、そこで帰れる氷室くんアレだね、なんか……」


「俺も空気読めない奴だと思ってるよ」


 実際あの頃の俺は今よりもおかしかった。まだ小学生だから漢字の多い小説は読めない。なのに四字熟語辞典を暗記してた記憶があるんだから恐怖ものだ。


 覚えたての言葉を使いたい中学生みたいなノリが早く来ただけだと思おう。


「久遠に見つかって怒られたんだったかな?俺もちょっと躍起やっきになって言い返した気がする」


 逆ギレもいいとこだと思うが小学生なんてそんなもんだろ。普段静かな俺が声を上げたことに驚いたのか怯える久遠の顔は記憶に残っている。


「その後、久遠が反省してたまに一緒に本とか読んだりしたんだ」


「反省してる人、間違えてますけど」


「久遠は今でも活字が無理なので本は読めず……結局外で遊ぶってのが馴れ初めだ」


 栞はまだ半分以上残ってるパフェを見つめている。俺はコーヒーをスーッと喉に通した。豆の匂いが鼻を刺し、風味が口の中に溶ける。後味がしっとりと奥深く、ふぅーと一息つきたくなる。これがブランドか。フレンドだったっけ?


「十年か……」


 俺の一息を代わりに吐いてくれたのかと思うぐらいピンポイントに栞は息をつく。かすかに甘い匂いがするけど流石に脳の錯覚だろう。


「何の話だよ」


 俺の質問に答える予備動作なのか、栞はスプーンをカチャリと置く。


「東雲さんと氷室くんの付き合い。ってことは私の知らない氷室くんを東雲さんは知ってるってことでしょ?」


「まぁ、そりゃそうだろうけど、思ってるよりだぞ。久遠はさ、小学校の時は水泳やってたから放課後遊ぶってこともほとんどしなかったし。中学からはバスケ初めてもっと忙しくなったからな。たまに一緒に帰ったぐらいだ」


 注釈と言うべきか保険と言うべきか、はたまた矮小わいしょうと言うべきか。そんな正しい言葉が見つからない俺は栞の言葉を待つしかなかった。


 否定したくなった理由も見当たらず、答えにならない言い訳を探しながら栞に目を向ける。


「それでもだよ。ねえ、氷室くんの昔の話聞きたい。どんなのだったの?」


「変わらんだろ、今と。本が好きで友達が少なくて、大人ぶってて、カッコいい」


「最後のはよく分かんないけどそうかもね。本が好きで、友達が居なくて、イキってて、ちょっとイタい」


 言い過ぎ言い過ぎ言い過ぎ。


「痛いのは俺のダメージだよ」


「ここまで来ると遺体だね」


 俺がボケながら言うと栞はツッコミつつも再びスプーンを持ち食べ始める。俺もそれに釣られチビチビとコーヒーを飲む。


「でも中学の時は陸上やってたんでしょ? 聞きたいな。氷室くんのこともっと知りたい」


 意味もなく人と距離を取っていた俺は親密な関係に至ったことがない。だから知りたいと言われるとどこか嬉しいことに間違いはない。


 でも俺は栞の全てを知りたいかと言われると答えはいなで、ノートの一件なんかについては知りたいとも思うし、聞きたくないとも思う。


「面白くないけど聞くか?」


 栞の秘密を見たことを思い出しているとつい口調が暗くなってしまった。


「面白くないんだ……まあいいよ。パフェが不味くなるほどではないだろうし」


 小さく悪態をつきながら栞は俺の目を見た。でも俺の中学の話は面白くないのだ。何か苦しい物語があったわけではない。何もない。だから面白くない。


「俺は陸上を初めてから割とすぐに好成績だったかな。運動神経とかセンスは元々あったし長距離なんてほとんどが中学から、一年生の時には入賞したこともあったし」


「そんな感じするね。やっぱり運動できるんだ」


「好きじゃないし上手いってほどでもないけどな。そっから三年に上がった時には県大会で優勝して、地方の大会で決勝まで残った。まあ、その最後の大会でボコボコに負けて心折れたから自慢にはならないんだけどな」


 そう、ボコボコに負けたのだ。トップとは二十秒差。前のやつとは十秒開けられて最下位。三千メートルだと別におかしな差じゃない。それでもその頃の俺じゃキツかった。やる気が無くなるくらいには。


 でも過去と割り切れば、笑うのは簡単だ。気にしているわけでも引きずっているわけでもない。俺はつくろって笑った。


「しんどいこと続けられるほど俺は大人じゃなかったし、高校に上がったら勉強も難しくなる。部活に全力注いでたわけじゃないから思ったよりすんなり辞めれた」


 しんどいことを続ける強さなんてものは俺は持ち合わせてないくせに、逃げることと見ないふりに関してはプロ級だ。結果陸上を辞める以外の道があるはずもなかった。


 一通り話し合えるとパフェの下の部分をかき混ぜながら栞も話す。


「へー、でも陸上から離れてくれてて私は良かったかも。だってそうじゃないと会ってないし。私たち」


「だな。ボロ負けして正解だった」


 俺は笑いながらコーヒーを飲む。負けて今があるのだと思えばもうけものだと思っても良いかも知れない。


 栞と知り合っていたにせよ、陸上を続けていたら、一緒にデートするような仲になることはないだろう。


「私の過去も喋った方が良いのかな?」


 俺の無駄口の後に間を置いて言う。率直に俺の口から疑問が漏れる。


「なんで?」


「氷室くんも喋ってくれたし」


 栞のスプーンを持つ手が止まる。栞の沈んだ表情は何度か見た。俺と栞の関係は半年もない。それでも一番近くで見てきたのだからそれとなく表情からみ取れる。


 多分話したいと言う気持ちと、自分の過去の重さに悩んでいるのだろう。栞の話がなんであろうと、それを受け入れるつもりだし、それは栞も分かっているはず、でも俺がすべきは栞の意志の尊重。


「別に無理して喋らなくても良いよ。俺は今の栞を知ってるし、それだけでいいだろ?」


「そうなのかな……? でもそれじゃあ氷室くんは今の私しか知らないじゃん」


 話の腰を折るなと言いたげに俯く。一理あるが昔の話を聞いたからと言ってその人を知った気になるのは傲慢だ。なら一緒に暮らした時間のほうが大切だろう。


「確かに俺は今の栞しか知らない。でも一緒にいればって増えてくだろ?今日の栞を明日の俺は知ってる。少なからず今の俺は四ヶ月前までの栞を覚えてる。そうやって増やしていけば良いんだよ」


「そっか……氷室くんのくせにカッコいい」


 栞は俺から目を逸らす。カッコいいと言われるのは嬉しいが手前に変なの付いてますね。大事なところで素直になれない俺たちは似ている気がする。どうであろうと言われたからには掘り返すけど。


「今、氷室くんのくせにって言っただろ」


「まさか、言うに決まってるじゃん」


「決まってんのかよ」


 目を合わせて笑う。多分、いや絶対に修学旅行なんかよりこっちの方が楽しい。


「もうそろそろ行くか」


 気づけば1時間が経っていた。コーヒー一杯でこれ以上居座るのは迷惑客だ。マナーは知らないけどそんな気がする。


「ちょっと待って、まだパフェ食べきってない。って言うかお腹いっぱい」


「まだ残ってんのかよ」


「氷室くん……」


 栞が俺を呼び止める。食えってか、その食いかけでパフェの底のグチャグチャのコレを食えってか。と思ったが違うらしい。栞の耳が真っ赤になっている。


「あーん、して」


「やだ。帰る」


「ねぇ、ちょっと?!」


 想像とは似ても似つかないお願いに帰巣本能が出てしまった。栞は大きめの声をあげて俺に訴えかける。まだ栞の耳は赤いままだ。


「悪かった、帰る気はないんだ。てか腹いっぱいなんじゃないのかよ」


 返事がしないので栞の方を見るとこいみたいに口を開けて待ちの体制に入っていた。目を閉じているおかげで照れた俺の顔は見られずに済んだ。


 もう栞は議論する気はないらしい。このパフェを餌付えづけするまで終わらなそうだ。


 残ったクリームをすくう。まだほんのりとイチゴの香りがする。俺は震える手で栞の口までゆっくりと運ぶ。


 自然と俺も前傾姿勢になった。さっきより近づいたからか栞の表情がよく見える。鼻まで赤くし、恥ずかしさからかプルプル震える指が視界に入るともうダメだった。


「くくっ、栞、震えすぎだろ……ぷっ、耳、真っ赤じゃん」


「うっさいなーもう! 早くしてよ!」


 栞は立ち上がって、ぱっちりと目を開ける。もう、あーん寸前まで行ってたことに気づいたのか座り直す。


「あー、面白かった。もうなんでもいいや。はい、あーん」


「適当じゃん」


 栞もそう言いながら耳に髪をかけ、口を開けた。小さな口でハムッとスプーンに乗っているクリームを食べる。上唇には白いホイップが付いている。その顔はこの世に存在してはいけないと思えるほどに可愛かった。


「口、クリームついてんぞ。」


 俺がティッシュを差し出すが栞はペロッと舌舐めずりをして笑った。


「おいしいっ!」


 こんなの見せられるともう一度したくなるに決まってる。


 その後、何度かあーんを繰り返して店を出た。会計は俺持ちでいいと言ったのだが、そこら辺はしっかりしたいらしく各々の値段分を払うことになった。


 外に出るとまだ明るい。時間的には三時前だ。明るいに決まってる。ここからの予定も栞が決めてくれているので、任せるだけだ。


「今から夕陽を見に行きます! 絶景スポットがあるんだって! 電車は通ってないからバス停に行かなきゃ。早くしないと無くなっちゃう」


 あーんしてから変にテンションの上がった栞は見ていて微笑ましい。俺もルンルンで歩く栞についてゆく。


 先ほど栞は表情に出にくいと方と言ったが先を行く栞を見ていると撤回した方がよさそうだ。急足いそぎあしで後を追いながら疑問をこぼす。


「無くなりはしなくね? 帰れないじゃん」


「えっとね、観光地って行きのバスは帰りに比べて少ないんだって。夜景でもなければ夜九時とかに行かないでしょ? そう言うことらしい」


「へー、帰る時間はバラバラだもんな。じゃあ急ぐか」


 栞いわく、バスは最終五時らしい。そのバスに乗って、着くのが六時前なので出来れば早いのに乗っておきたい。


 駅前と言うこともありバス停までは十分もかからなそうだ。でも、俺たちが裏道近くを通った時だった。


「うぇーん!おがぁざざぁぁん!どごぉぉ!ううっ」


 幼い子の泣き声が聞こえてくる。栞はピタッと足を止めた。聞かずとも何をするかは分かる。ただ、その子を助ける覚悟と犠牲は知っていてほしい。


「栞、下手したら夕日見れないぞ」


 迷子を助けるのはかっこいいことだと思うが、あの子のせいで景色が見れなかったなんて事はあって欲しくないし、栞の口から聞きたくない。


「氷室くんもほっとく気ない癖に」


「左様で」


 そうして俺たちは迷子の男の子にかけるのだった。

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