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國澤 史
第1話 始まっていた関係
俺――島崎優輝(しまざきゆうき)が彼女――南ゆりな(みなみゆりな)に出会ったのは、中学に上がった四月の事だった。
小学校を六年通う中で五十人近い女子と出合い、それなりに女子たちの人となりを知っても、友達以上の特別な気持ちは生まれなかった。
だけど、クラスが別になった友達に会いに行った先の教室で、探していた友達よりも先にゆりなに目が留まり、初めて異性から目を離せなくなった。
周りの女子よりも少し大人びた顔つき。俺よりも少しだけ高い身長。手足は細く長く、肩にかかる長さのナチュラルな茶髪は窓から吹き込んだ少し強い春風を受けてサラサラと揺れていた。
一目惚れというわけではなく、「かわいい子」って芸能界やネットの中以外にもいるんだなぁ、と思いながら、それからは登下校、休み時間、移動教室、廊下ですれ違う度、ゆりなを自然と目で追っていた。
そんな日々を過ごす中、五月に入り、ゆりなと接点が増える出来事があった。
俺の中学は必ず部活に入らなければならない校則があり、そんなに経験もないのにテレビの中で活躍する選手に憧れてサッカー部に入り、人生で初めての上下関係と体力作りに日々、吐き気を催していた。
その日も先輩たちがグラウンドに来る前に一年生がボールやコーン出しなどの準備をしていると、ジャージ姿のゆりながグラウンドに現れた。
一年男子たちはゆりなの登場に俄かにざわついたが、先輩たちの姿を見た俺たちはすぐ外周へ走りに向かい、ゆりながマネージャーになったことを知ったのは、朝練終わりのミーティングのタイミングだった。
後々、部室で着替えている時に先輩がゆりなに頼み込んでマネージャーになってもらったと武勇伝のように語り、一年たちはその先輩に声を揃えて感謝していた。
六月に入り、入学から二か月も経てば校内でグループができ、個人個人の人となりが何となく見えるようになってくる。
おもしろいヤツ。運動ができるヤツ。勉強のできるヤツにできないヤツ。優しさに触れたり、もう不良になっているヤツもいた。
そんな中、ゆりなは俺の感性からすると首を傾げずにはいられない存在だった。
俺は小学校の頃から勉強は普通にできて成績も悪くなかったから、学校には基本的に友達との交流を目的にしているところがあり、そんな俺の目からすると、ゆりなの校内の立ち居振る舞いに疑問符が浮かぶ場面に時折遭遇した。
まず、ゆりなが男子と2人でいるところを見た事が無い。
とはいえ、ファンクラブの存在が囁かれているゆりなの男子人気を考えれば、思春期の野獣どもに誤解を与えないようにする行動が身に付いていて、モテる側の人間の自衛の為なのだろうと、これには納得がいく。
しかし分からないのは、いつもゆりなは2人の女子と行動を共にしているが、たまに2人が話をしている最中にも文庫本を読んでいたり、顔は笑っていても会話に参加していない。
2人に対しても一定以上に踏み込ませない壁なようなものを感じ、なぜ一歩引いているのか理解できなかった。
昼休みに毎回ゆりなの教室に行くわけでもないから、3人の間に何かいざこざが起きているのかもしれないが、「学校は遊びに行くところ」という理念の俺にしてみれば、当たり障りのない人間関係を構築して日々を過ごす学校生活が果たして楽しいのだろうかと思えてならなかった。
そこで俺は、ゆりなに笑ったり頼ったりできる真の友達を作らせるべく、おせっかいな行動を始めた。
朝練の挨拶は当然欠かさず、1年のまとめ役として働くことで、部内の伝達という形で会話の機会を増やし、その伝達内容も昼休みに、尚且つ、ゆりながいつもの3人で固まってる時に伝えることで、部活の話が終わってもゆりなを含めた4人で世間話をして、まずはこの2人をゆりなの友達カテゴリーに押し上げるべく、時間を費やした。
そんなこんなで2回戦負けの夏の大会が終わって2学期になった頃には、廊下で出会った際に、ゆりなから挨拶をされるくらいには、俺とゆりなの間の関係は良好なものとなっていた。
そしてなにより、2学期になるとゆりなは文庫本を読まなくなっていた。
ゆりなの教室に様子を観に行くと、いつもの3人で談笑している姿を見かけるようになり、俺のおせっかいの1段階目が終了した。
ゆりなに女子の友達を作ることはできたが、次に男子の友達となると、こちらはやはり難問だった。
女子の友達ができたことで徐々にゆりなに話しかける女子が増え、ゆりなも以前より笑顔が増えた。
それは良いことだったのだが、取っつき易くなった分、今度は女子の強固なスクラムガードが構築され、俺もゆりなに話しかける事が部活のちょっとの時間以外、ほとんど無くなってしまっていた。
それでも俺の当初の目的はゆりなに友達を作る事であって、男友達が作れなかったとしても、今の状況はちゃんと目的を果たしたと言えるのではないか。
俺のミッションはもうコンプリートされたのではないのだろうか。
そう思っていたのは俺の間違いだった。
事件が起きたのは11月の合唱コンクールが終わった翌日の事だった。
朝練で挨拶を交わしたゆりなは元気が無いように思えたが、とはいえ1年あればそんな日もあるだろうと、その時はそこまで気にしていなかった。
しかし、昼休みにゆりなの教室に行くと、教室引きこもりのゆりなの姿が見えなかった。
何かが変だと感じ、ゆりなの友達の2人に話を聞くと、ゆりなはクラスの女子に連れていかれてしまったと言われ、理由を聞くと、何でも昨日合唱コンクールの打ち上げに女子からの懇願でゆりなは参加したのだが、そこには上級生の男子の姿があり、ゆりなは顔合わせも早々に黙って帰ってしまい、今日になってそれを打ち上げに参加していた女子たちに責められているとの事だった。
なぜゆりな1人で行かせたのかと2人に怒りを覚えたけれど、大人しい2人に争えと強いるのはあまりにも酷というもので、俺は2人を問い詰めるよりも先にゆりなを探しに教室を飛び出した。
各階段の最上階。特別棟の端の方。校内中走り回ってもゆりなの姿をみつけることはできなかった。
残ったのは学園物のアニメやラノベで人を呼び出す際のド定番の体育館裏になる訳だが、まさか現代においてそんなベタなシチュエーションを選択するかなと苦笑いを浮かべながら足を向けると、体育館の裏に複数の女子の姿があった。
「調子乗ってるよね」
その声は抑えられていたものの、怒気が多分に含まれていた。
しかし、その怒声に反論する声は聞こえず、ゆりなは黙っているようだった。
「せっかく先輩がわざわざ会いに来てくれたのに、あの態度はないんじゃない?」
「男子に人気があるからって何しても許されると思ってるんでしょ?」
仲が良かったはずの女子たちは一斉にゆりなに詰め寄り、まるでこれまで隠していた不満をぶつけているようだった。
囲まれているゆりなの姿を体育館の壁の陰からどうしたものかと見ていると、囲んでいた女子の中の1人がゆりなの肩を押し、その瞬間、俺は集団の前に飛び出していた。
「何? てか誰?」
「今ウチら大事な話してるから、どっか行って?」
棘しかない言葉と敵意に怯みそうになったが、グッと足に力を入れて背筋を伸ばす。
「何があったか知らないけど、一対多数は流石に卑怯じゃないか?」
俺の言葉を聞いた女子たちは、考えをまとめるようにそれぞれ顔を見合わせた後、目を吊り上げて俺を睨んだ。
「は? あんたには関係ないだろ?」
「部外者は引っ込んでな!」
「てかあれでしょ? ここで南にいいとこ見せてポイント稼ぎたいんでしょ?
キモっ」
「うわっ、マジ最悪……」
感情的に否定したい衝動をグッと堪えて努めて平静を装う。
「話し合うなら冷静になって話そう。そんな大勢で一気に話されたら、誰の質問に答えたらいいのか分からなくなるだろ?」
「いや、お前の意見は聞いてないから」
「あのさ、関係無いアンタの為に時間取られたくないんだけど」
俺が間に入ろうとしても、ゆりなを責める女子たちには届かず、場の怒りは収まりそうになかった。
「関係無くないよ」
それまで黙っていたゆりなが突然口を開き、その場の全員がゆりなに注視した。
「もう言ってもいいよね?」
ゆりなは俺を見据えて優しく笑った。
その笑顔は俺の良く知ったいつもの愛想笑いとは違うが、心から笑っているようには見えなった。
そしてなにより、ゆりなが何を言おうとしているのか、俺にはさっぱり見当もつかなかった。
が、ゆりなにはこの面倒くさい状況を打破できる策があるのだろうと思い、俺はぎこちなくゆりなに頷いてみせた。
「私、夏休みの前から、そこの彼と付き合っているの」
思考が停止する。間が空く。空気が凍る。
ゆりなの放った言葉に、その場にいた全員が言葉を失った。
「島崎くん、実はかなり束縛系で――あっ、でもそれだけ私の事を好きでいてくれているって事だから全然嬉しいんだけど――だから彼の知らないところで男子と一緒にいるってなったら大変だから昨日は帰ったの。
もちろん悪いとは思ったけど、付き合っている事は絶対内緒にしていたかったから、彼との関係を優先させてもらったの。
ごめんなさい」
ゆりなが深く頭を下げると、それまであった刺々しい空気が霧散し、女子たちは俄かに色めき立ち、隣の子と小さな声で話を始めた。
漏れ聞こえてきたのは、「彼氏がいるのに他の男に会わせたのはマズくない?」と「それより私たちにもまだチャンスがあるって事にならない?」という声だった。
作戦会議が終わったのか、リーダー格の女子が一歩前に出た。
「南さん。知らなかったとはいえ、ああいう場に呼び出してしまった事はこっちも悪かったわ。ごめんなさい」
以外にも女子たちはあっさりと引き下がり、驚く事に謝罪のおまけ付きだった。
「気にしないで。あ、でもお願いがあって。
彼との関係を大切にしたいから、誰にも言わないでね。お願い」
そう言ってゆりなはもう一度女子たちに頭を下げた。
「大丈夫だよ。ウチら口は固いから。
彼氏くんも南さんの事、大事にしなよ?」
「あ、ああ……」
聞き分けのあるイイ女感を出し、颯爽と帰っていく女子たちの背中を見送りながら、俺はまだ事態を飲み込めずにいた。
「島崎くん、ごめんなさい」
ゆりなの声に驚いて体がビクッと震えたが、声までは出さなかった。
「南さんも、その、色々と大変だよね」
「……まぁ、2年前にも似たような事が起きたし、遅かれ早かれが早かっただけよ」
ゆりなは俺の隣に来て、一緒に見えなくなった女子たちの背中を見つめるように、少し疲れた面持ちで校舎の扉の方に視線を向けていた。
そんな横顔を盗み見しながら、左隣からほのかに香る甘い匂いのせいで俺の心拍数が上がっていた。
「咄嗟だったとはいえ、島崎くんを巻き込んでしまった事は本当に申し訳ないと思っているわ」
「いや! 全然! それに一瞬でも南さんの彼氏になれて嬉しかった――なんて」
「? なんで一瞬なの?」
ゆりなは小首を傾げ、不思議そうに俺の目を見た。
ゆりなの大きな目と平凡な俺の目が合い、恥ずかしくて思わず視線を外した。
「え? だってあの子たちは言わないって言ってるんだから、俺たちが、つ、付き合う必要は無くない?」
「絶対言うわよ。あの子たち」
「は?」
ゆりなの口から思わぬ言葉が飛び出し、俺は反射的にまたゆりなの顔を見た。
「……なるほど。あなたの事、少し分かったわ」
ゆりなは真面目な顔で腕を組みながら片手で自分の小さな顎に触れ、それはさながら名探偵のようだった。
「島崎くん。私たちの学年で付き合ってる子たちって知ってる?」
ゆりなの問いに頭の中でカップルの顔を思い浮かべる。
「うーん……。何組かは知ってる」
「それってどこで知ったの?」
「どこって――」
ここまで誘導されて、初めてゆりなの考えている所に到達する事ができた。
「確かに一度も本人から聞いてないや」
「でしょ? 女子ってこの手の話を黙っていられない生き物なのよ」
ゆりなは呆れたように肩をすくめ、小さくため息をついた。
「この手段を取ってしまったからには、ある程度の期間は恋人になってもらうわ」
「俺たち、本当に付き合うの?」
「恋人」という特別なワードに思考が一気に支配され、自分の心臓が、もう外まで聞こえているんじゃないかと思えるほど信じられない速度と強さで早鐘を打ち、顔は赤くなっているのが自覚できるほど熱を持っていた。
「島崎くんに付き合っている人がいないのであれば」
「い、いないよ、そんな人!」
否定があまりにも早くてキモかったかもと思ってゆりなを見たが、ゆりなが気にしている様子はなかった。
「なら、問題ないわね。
すぐに別れると私が男をとっかえひっかえするみたいな噂を流されるようになってしまうから、期間もそれなりに付き合ってもらう事になるけど……」
昼休みの終わりを告げるチャイムが学校中に響き渡り、ゆりなは校舎へのスロープを歩き始め、俺も歩き出そうとした瞬間、ゆりなは軽快に振り返り、俺に微笑んだ。
「これからよろしくね。優輝くん!」
これまで見た事の無い柔らかな笑顔を向けられ、俺は自然とワイシャツの胸のあたりを強く掴んでいた。
先に行くね、と姿が見えなくなったゆりなの残像に目を奪われたまま、俺は生まれて一度も感じた事の無い、言葉にできない熱を持った感情に満たされていた。
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