真夜中のセミ

よし ひろし

真夜中のセミ

「ああぁっ、うるさい!」


 セミの鳴き声が頭に響く。

 午前二時過ぎ。真夜中だというのにセミがやかましく鳴いている。

 

 眠れない、眠れない、眠れない――


 もう何日もまともに寝ていない。

 都内のワンルームマンション。仕事が忙しく寝に帰るだけの部屋だ。窓は締め切り、エアコンで快適な温度に保たれている。

 なのに眠れない。すべてはあいつのせい――


「なんでこんなに聞こえるんだぁ……」


 ジージー、ジージー、ジリジリジリ~


 セミの鳴き声が窓ガラスを突き抜けて室内に響く。

「これじゃ明日も――」

 昨日も今日も頭がぼーっとしてまともに仕事ができなかった。ただでさえ忙しいのに、このところの寝不足で、もうかなりまずい状態だ。

 今晩は何が何でも睡眠をとらないと――そう思って会社の帰りに耳栓とノイズキャンセル付きのヘッドホン、それに市販の睡眠改善薬を買ってきた。


 薬はもう飲んだ。

 ノイズキャンセル付きのヘッドホンで、よく眠れるという環境音楽を流してみた。


 眠れなかった。


 耳栓は今もしている。でも、はっきりとセミの声が聞こえる。


 手詰まりだ。


 眠い。確かに眠いのに眠れない。


「ハァハァハァ……」

 呼吸が荒くなる。


 突然、いい様のない怒りが込みあげてきた。

「くそぉ~!」

 ベッドから跳ね起き、頭をかきむしる。そしてセミの声が聞こえてくる窓へと歩いていく。

 窓を開け、狭いベランダに出ると、手すりをガッと掴み、叫んだ。


「うるさぁ~い! 俺がいったいなにをしたっ!!」


 その瞬間、茶色の物体がこちらに飛んできた。直後、額のあたりに衝撃を感じる。


「えっ!? あっ――」


 顔に向かって一匹のセミが突っ込んできたのだと認識した時には、体は宙に舞っていた。

 手すりから目一杯身を乗り出していため、バランスを崩した途端、手すりの向こうに落下したのだ。


 ドスン


 マンション前の道路に背中から落ちる。

「うっ!」

 一瞬息が止まる。が、意識ははっきりしてる。

 うちは2階だったので助かった。たいした怪我はないはずだが……


「あ、あれ――」

 なぜか体がうまく動かせない。背中を打ったせいなのか、手足をわずかに動かせるだけで、起き上がれない。


 ジ、ジジジジ――


 道路の上で仰向けに倒れた無様な姿をあざ笑うように、一匹のセミがすぐ上をぐるりと舞う。


「くそ、バカにしやがって。上から見下ろして――」

 そう思ったとき、ある光景が頭に浮かんだ。


 一週間ほど前、マンション前の道路、まさにここで、腹を上にして転がっていたアブラゼミ――


「まさか、あの時の――」


 あの朝のセミと今の自分の姿が重なる。


 ジ、ジジジジ――


「そう、なのか…。でも、確かあの時は――」


 あの日も寝不足だった。ちょっとしたトラブルで予定外の仕事が入り、家にまで仕事を持ち込む羽目になった。そのせいでほとんど寝ていなかったのだ。

 朝もいつもより早く出社して仕事をやるつもりで家を出た。

 寝不足で少し気が立っていた。だから、道に転がるセミが急に暴れだしたとき、驚くとともに怒りを覚えた。


「あの時、俺は――」


 過去の光景が甦る。

 怒りにまかせ、セミに目掛けて足をおろしていく自分の姿――


「!?」


 突然、車のヘッドライトに照らされ現実に引き戻された。

 すぐそこの角を曲がってきたトラックだ。

 真っすぐこちらに向かってくる。死にかけたセミのように道路に転がる人間には全く気付いてないようだ。


「まて、待ってくれぇ~!」

 手足をじたばたさせ、叫ぶ。だが、その声は空しく夜空に消え――


 ぐしゃり


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真夜中のセミ よし ひろし @dai_dai_kichi

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