疎の星

塗木恵良

第1話

真壁さんに体はなく、私には魂がない。

そんなふうに欠けている人間は、ここにはたくさんいる。真壁さんは画面にぶくぶくと気泡を立てる脳みそのドット絵……しかもご丁寧にGIF動画だ……を表示させて見せる。

「マトモさん、見てくれない、これ」

「私の名前は三伴です」

液晶横のスピーカーから音が鳴る。合成音声なので、男性の声の平均値より少し上の、なめらかでとっかかりがなくて記憶に残らない声だ。合成音声と分かるようにあえてすこしだけの違和感が残されているのは、開発者の良心かお茶目と言ったところ。

「なぜ名前なんて気にする必要があるの?」

「あなたがそれを尋ねるんですか……」

体がなく、アイデンティティの喪失を亡霊のようにそばでうろつかせているくせに。

「マトモさんは真面目だね」

「三伴です」

「それにこだわり屋だ」

パネルの中の脳みそが、笑うみたいに泡を吹く。脳みそから酸素や二酸化炭素が出るわけないので、ただのイメージだ。この人の中で、水槽の中の脳は古典的なイメージのままなのだろう。

「真壁さんがこだわらなさすぎるんですよ」

実際のところ、脳みそだけを取り外したって人間の魂が保存されたりはしない。

そのことは真壁さんだって知っている、というか、真壁さんは一番そういうことにくわしいはずなのだ。

人間には六つだか五つだか、それくらいの数の魂とでも呼ぶべきものが存在している。

魂というのは定義が難しいので、一番多くて百八個、一番少なくても五個、というまったくばらばらの数になるというわけ。

もちろん、脳みそもそのひとつ。脊髄も、心臓も、大事な一部。そこには情報が堆積し、『私』を『私』たらしめるもの、つまり魂とでも呼ぶしかないもの、が形成されている。

真壁さんのドット絵に精密性を求めるならば、白か赤かピンクの塊が少なくともと四個は足りていない。

「これを見て、感想はないの?」

「クラシカルだなと思いました」

「はあ、僕はとても悲しいよ。あんなにかわいかったマトモさんが、こんなに冷たくなってしまって。これも欠けてしまったからなのかな」

「悪趣味な冗談ですね」

「事実じゃないか、僕が声をかけるたびに飛び上がって、何を言い出すかと目をぱっちり開いてみていてくれた」

「あなたが何をしてくるのかに怯えていたんですよ……」

記憶を掘り返す。私にだって、記憶くらいある。

魂が抜けていても、体のパーツが百八だか五だか足りなくても、頭蓋骨の中身が空っぽであっても人間というのは不思議なもので生活ができてしまう。

本当は生活できるべきではないし、私の存在はほとんどオカルトなんだけれど。

「なんで僕に怯える必要が?」

真壁さんは尋ねる。機械音声なのに、どこか楽しそうに聞こえる。それはたぶん、私が真壁さんがよく口にしていた、跳ねるような疑問調の言葉をよく覚えているせいだった。覚えすぎている、と言ってもいい。私は真壁さんがしゃべるたびに、彼が疑問をなげかけるたびに、あの愉快そうな、唇の端っこが吊り上がった人間特有の声の響きを思い出してしまう。

「初対面のとき、私に何を言ったか覚えていないんですか……」

「『どうしてこんなところに一人でいるの?』かな。入学式の時間に新入生がひとりで図書館にいたんだから、当然の疑問だろう?」

「それはそうですけど、というか、それで言ったら真壁さんにだって同じことが言えるんですからね。……それじゃなくて、その次です、私がなぜあなたがここにいるのかと聞き返したときに、あなたなんて言ったか覚えていますか」

「『僕は未来人で、君の未来が分かる。君は未来でとてつもないことをするから、こうして監視をしにきたんだ……って言ったらどうする?』だったかな」

「とてつもない電波男に入学早々絡まれてしまった、とまだ十五歳のこどもは怯えてもしかるべきじゃないでしょうか」

「十五歳なら、非日常に胸を浮つかせてくれたっていいのに。マトモさんって、ずっと真面目だね」

「私は三伴です。……作業の邪魔をしないでもらえませんか」

「僕は仕事なんてすべきじゃないと思っている、だから人の仕事の邪魔もする。平等にね」

「あなたは体がいつまで経っても見つからないままで問題がないと?」

「肉体泥棒が早く見つかったところで、僕の体なんてたぶんもうミンチになっているでしょう?」

トランスヒューマニズムが流行ったとき、人間は自分の体を離れる方法を編み出した。

魂とでも呼ぶべき五から百八の肉体のパーツを取り外し、蓄積された情報を電子部品に転送して、その機械を肉体に戻す。機械は簡単に言えば単なる通信装置でしかなくて、どこかにあるコンピュータのほうに情報は格納されて演算され続ける。

だから真壁さんの古典的な水槽の脳のイラストは、単なるイメージでしかない。彼の本体はディスクの中のゼロと一だ。

「ミンチにしてどうするんですか」

「ハンバーグでも作るのかな? もしも僕の体でできたハンバーグがあったら、君は食べたいと思う?」

「思いませんよ、ぞっとすることを言わないでください」

「ははは、おっと、そろそろ時間じゃないか?」

真壁さんに言われてディスプレイの中の時計を見る。確かに、そろそろ出なくてはならないギリギリだった。

「ああ、また作業が進まなかった」

「大スターは忙しいね?」

「あなたほどじゃありませんよ。真壁さんは、今日はどちらに」

「ついに僕に興味を持ってくれたの?」

「次の休憩は、真壁さんと被らないようにしてもらおうと思って」

「それは難しい」

真壁さんはころころと笑う。

「次の仕事は僕と一緒だから、休憩も僕と一緒だよ」

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