無明坂の暴れウォシュレット

木船田ヒロマル

無明坂の暴れウォシュレット

 時は天明七年。

 常陸の国、笠間、石倉に無明坂むみょうざかと呼ばれる坂があった。

 深い森の中をじぐざぐに縫うように登る昼なお暗い細い坂で、気味の良い坂ではないのだが、笠間のお城や城下に登る近道なので、武家や行商、祭事の宮司や僧、旅芸人などがそれなりに利用する道だった。


 いつの頃からかここに暴れウォシュレットが棲みつき、昼夜を問わず通る人を取って喰うようになった。


 困った石倉の民は銭を出し合い、腕の立つ剣客や霊験の誉れ高い祈祷師を雇って暴れウォシュレットの調伏を依頼したが、決まって雇われたそれら刺客の死体が増えるばかりであった。

 民草の陳情を受け、また城に来る途中の他藩からの遣いが被害にあったこともあり、笠間藩老中、牧野貞長の命で何度か武装した武士らによる大規模な山刈りが行われたが、そういった時に限って怪異は影も形もなく、ひと気が去るとまた表れては暴れ、尻を洗い、人を喰うのだった。


 無明坂に伏した死体が二十を超え、酷暑も蝉も鳴りを潜めて秋口に差し掛かろうとした頃である。

 笠間街道沿いの常教院月閣寺に、ふらりと旅の浪人が立ち寄った。


 男は駿州浪人、伊澤主水いさわもんどと名乗る大柄の武士で、伊澤家の三男坊だが、大蔵奉行である兄に請われ、飢饉の後の諸藩の様子を見聞して回っているという。一泊したら無明坂を経て城に登り、手形を通して挨拶するつもりだと言うので、それを聞いた和尚は事情を話し回り道を勧めたが、主水は逆にひどく興味を惹かれた様子で、無明坂の暴れウォシュレットとやらを見聞録に書き加えると言って譲る様子がなかった。


 翌朝、主水は和尚にもう二泊を依頼して了承を得ると、荷物を寺に預けたままどこかへと出掛けて行った。

 夕刻、新しい唐傘と酒瓶、塩漬けの鱈を持って帰って来た主水は多いに飯を食らい、鱈を食べたが、酒瓶には手を付けなかった。


「……暴れウォシュレットが酒を飲みますかな」

 主水は笑って

「中身は酒ではない。なにがしかのミコトのオロチ退治にあやかるではないよ。こいつはもっと、良いものよ」


 そして麻のござを申し訳ばかりに引いて寝転がり、大きないびきをかき始めるのだった。


 翌朝、日も昇りきらぬ内から主水は寺を発った。


 脚半を密に巻き、太刀を履き、手甲を付け、厚い木綿の霞染めの下には帷子を着込んでいて、鎧こそ着てはいないが戦支度と言って差し支えない様相だった。

 朝ぼらけに染まる浅葱色の空には雲一つなく、和尚は終日の秋晴れを疑わなかったが、にも関わらず大きな唐傘を持ち、酒瓶を腰に下げた主水の出立いでたちは、主水が暴れウォシュレットを討つ為の何かの策だと分かっている和尚にも十二分に奇異に映った。


「お早いお帰りを」

「いかん、忘れておった」

 山門に向かい掛けていた主水はきびすを返し、和尚の所まで戻ると小判を一枚渡した。

「はて、宿代には過ぎたる銭かと存じます」

 主水はかっかっ、と笑って。

「それは酒代よ。すまぬが地酒を用立てておいてくれぬか。帰ったら祝杯だ」

「それでも多すぎます」

「残りは手間賃だ。物の怪のとむらいと、その塚とのな」


***


 昼なお暗いとは聞いていたが、とっくに朝日は登っているはずであるのに無明坂は深夜のごとく暗く薄い緑の木漏れ日でどうにか足元を照らさなくて済むほどの有様で、主水は

「なるほど、無明坂か」

と独りごちた。

 

 じぐざぐと坂を登り、六つ目の曲がりを曲がった時、主水の視界に緋色の着物が飛び込んで来た。道の脇に倒れた女だ。乱れた裾からは真っ白な裸足の足が突き出していて、顔は見えないが若い女だと分かった。

 主水は三歩の距離まで近づくと立ち止まり

「そこな娘。如何いかがされた? 助けがいるか?」

と声を掛けた。


 伏したままの娘は、ぴくり、と反応したが、姿勢はそのままに声だけで主水に答えた。


「助けてくださいまし。父と共に伊勢参りの帰り路に得体の知れぬ物の怪に襲われ、父は行方が知れず、私も逃げるに疲れ果て最早もはや指一本動かせませぬ」

「そうか。それは難儀なことだ。背負うて山を降りるゆえ、そなたを抱き起こすが構わんか」

「どこのどなたかは存じませんが、お頼み申します。具合が戻らば、如何様いかようにもしてお礼申し上げますが」

 がばり、と娘が跳ね起きた。

「ゆえ!!!」

 振り乱した長い髪の間から露わになった女の顔は、TOTOウォシュレット一体型便器ZJ1トイレCES9151だった。

 大きく開けた便座の中には何十本ものノズルがずらりと並んでおり、それらが一斉に何かの液体を主水の影に吐き掛けた。

 ばっ。

 主水の影姿が一瞬に丸くなった。

 暴れウォシュレットが吐き掛けた液体は主水が広げた唐傘に阻まれ、一滴たりとも彼に到達しなかった。

化生けしょうの浅知恵よ。伊勢参りで斯様かような道を通るものか」

 吸い込んだ息が、つん、と酸っぱく香った。

「この匂い! やはり酢か‼︎」

「ウォーッシュシュシュシュ!小癪な《こしゃく》こわっぱが!」


 正体を現した暴れウォシュレットは主水の顔を狙って次々と酢の塊を吐き出したが、最早それをむざむざ浴びるような主水ではなかった。

 主水は鍛えた膂力りょりょくを活かした俊敏さと手にした唐傘とでもって暴れウォシュレットの吐き出す目潰しを全てかわし、開いた唐傘を振り立てながら暴れウォシュレットに肉薄すると傘の内から傘を貫き通して物の怪に太刀を突き立てた。


「ぎにゃあああああ!!!!」


 恐ろしい叫びが無明坂に響き渡る。

 だがそんなことに気後れする主水ではない。そのまま腰の酒瓶を便器の中に投げつけて、懐炉の火縄を懐炉ごと放り込んだ。

 割れた酒瓶は行燈油あんどんあぶらを当たりに撒き散らし、懐炉の火縄はそれに火を付けた。


「うじゅうあああああ!!!」


 燃え上がった暴れウォシュレットはおぞましい叫びを上げようとしたが口の中が激しく焼かれている為に上手く叫ぶことができず、吸い込んだ息で肺の腑も焼けてその苦痛にのたうち回った。

 物の怪は混乱した挙句にウォシュレットを自分に向けて酢を振りかけたが、次の瞬間炎は一層に激しさを増し、便器頭の女の怪物は完全に火だるまになって燃え盛った。


「愚かな……純度の高い酢はよく燃える。浅知恵、おのが身を焼くとは正にこのことよ」


 主水は傘を捨てて太刀を両手で構えた。


「肌身を焼かれるのは辛かろう。南無阿弥陀仏!」


 剣振一閃。

 TOTOウォシュレット一体型便器ZJ1トイレCES9151が真っ二つに割れた。


「伊澤様! ご無事ですか!」


 名を呼ぶ声に振り返れば、息を切らした和尚が坂道を登り来る所だった。


「そこで止まれ!」


 主水は鋭く和尚を制止した。びくり、と和尚は動きを止めた。


「出立の折、俺は和尚に預けものをした。何を預けた?」

 ごくり、と喉を鳴らしてから和尚は答えた。

「小判を一枚。祝杯の酒と、物の怪の葬いと塚の代金だと言われて」

 

 ふわ、と主水のまとう空気が緩んだ。


「和尚……どうしたというのだ。危うく斬るところだ」

「やはり心配になりまして。坂の入り口で行こうか戻ろうか迷っておりました所、恐ろしい悲鳴が聞こえ、いても立ってもおられず……」

「心配りはありがたいが、人には請け負った領分というものがある。まだ戦いの最中さなかなら危なかったぞ」

「面目次第もございません」

 和尚は落ちていた唐傘を拾い

「暴れウォシュレットは?」

 と尋ねた。

 主水は顎の動きで燃え盛る怪物の死体を示した。

「おお、やったのですな。なるほど、酒瓶の中身は油でしたか」

 和尚は唐傘を主水に渡そうとして異様な匂いに気付いた。

「う、この匂いは……」

「酢だ。暴れウォシュレットは倒れた女の振りをして、近づく者の顔に酢を吹きかけて襲っておったのだ」

「だから唐傘を……」

「昨日、近くの百姓たちに話を聞いて回っていてな。暴れウォシュレットに食われた者の死体や着物から酢の匂いがすると聞き、もしやと備えておったのだが……こんなにも策の通りに行くとは、此度こたびは運が良かった」

「これも御仏の御加護でしょう。

 伊澤様!……あれをご覧に」


 和尚に言われて燃え盛る炎に目を凝らすと、そこに倒れていたのは便器頭の妖怪女ではなく、一匹の大きな狐と、四匹の小狐の黒焦げの死体だったという。


*** 了 ***

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