第42話

「せーのっ」


 その声を合図に、僕は全力で地面を蹴った。


 このリードさんと僕が同時に動くという動作には、実は隠れた仕様があった。


 それを見つけたのは、リードさん。病院の時、僕がおじいさんの元へ駆けようとした時の僅かな間で、その違和感を見つけ出した。


 その時、僕が体を動かした時とリードさんが僕の体を動かした時のタイミングがほんの僅かな間だけ一致して、爆発的な力を生んでいた。


 それをリードさんの提案で、トレーニング中に改めて検証してみることになった。


 一度立ち幅跳びを僕とリードさんで同時に跳んでみると、結果は五メートルを少し超えるという驚異的な記録だった。


 続けてパターンを通常の僕だけの時とリードさんだけの時、そしてコマンド:フィジカルブースト レベル ワン・ゼロとツー・ゼロを各々発動した状態の僕単体の時とリードさん単体の時の計四つを加えて立ち幅跳びを行った。


 結果、僕とリードさんが同時に体を動かした時と、二人して跳び方に差異はあれど、レベル ツー・ゼロ発動状態の時は、必ず四メートル以上の常人離れした記録が出ていた。


 その時は本当に驚いた。特にコマンド発動時とは違って、僕とリードさんが同時に体を動かした時は体への負担が全くと言っていいほど感じなかった。


 そして、身体能力が倍になることが分かった。


 そのことが如実にょじつに感じられたのは、公園の隅っこにあった人間の赤ちゃんくらいの大きさの岩を、コマンド能力が発動してない状態の両腕でリードさんと一緒に持ち上げられた時だった。


 その時抱き上げることができたのは一秒程度だったけど、自分の体じゃ有り得ないような怪力で驚いた。同時に、この仕様の持続力がないことも判明した。


 でも、その一瞬の爆発力がとても凄まじいものだった。ただこれも、コマンド能力同様に体の中に痺れを感じる。


 しかもそれはコマンド能力を使った時よりも激しくて、ファニーボーンを打った時ぐらいの痺れが一瞬にして体中を巡ってくる。


 けれど後を引くような痛みはなくて、瞬時にその違和感は治まってくれるから欠点として見るほどのものでもない。


 まるでその時だけ雷をまとったような……そんな凄い力を、僕たちはとりあえずこうしょうしている。


 シンクロ──と。


「ツーっ」


 一歩目で相手との距離を縮めると、二歩目で相手の横側に移動する。


 けれど上手く踏ん張ることができず、草原の上で足を滑らせ、逆に相手との距離を十メートル以上離してしまった。また力の加減を誤った……。


 だが幸い、あちらの銃口は僕たちを捉えておらず、まるで相手だけ時間が止まったように動いてない。


 初めてコマンドとシンクロの同時使用をしたけど、まさかここまで速いなんて……。新幹線の車窓を流れる景色みたいに周りの光景が映り替わる。


「スリーっ」


 三歩目にして、ようやく相手の後ろへと回り込めた。ここまで来ると、相手との距離はもう二メートルもない。


 まだ速度は落ちてない。この勢いのまま、相手を拘束して……なんてことを考えた。


 ずっと右手に小さく収めていたホワイトキューブを認めて、半ば安堵にも走った。


「フォーっ」


 僕たちが四歩目を踏み出そうとしたその時、背後に来るのを待っていたとばかりに相手の右踵が地に弧を描きながら振り上げた四歩目の足下を潜って、軸足の方にぐっと伸びてきた。


「……っ!」


 一瞬にも満たないその間でも、僕は頭で理解できた。前に出るのではなく跳んで躱さないといけないのだと。


 でも、もう体は前に進もうとしていて、今からもう一度踏ん張ってたら間に合わない。


 加速度を増す思考の最中、しかし気付くと体はふわっと飛び上がっていた。そして足の下を相手の右脚が通りすぎていくのを目下に捉える。


 それは驚愕と同時に、リードさんがやったのだとすぐさま確信に至った。


 ここ数日の激しいトレーニングで忘れてたけど、この咄嗟に体を動かせる彼女の俊敏性に僕はいつも感嘆の息を吐かされる。


「足を躱せても、空中でこれは防げまい……!」


 だけど、相手の攻撃はまだ終わらない。さっきまでそこに無かった銃口が、今度は僕たちを見上げていた。ツインテールが大きく舞うと、その二色の瞳が鋭く光る。


 まだ地面に足が付いてないこの状況で撃たれたら、例え腕を前でクロスしたとしても、銃弾は容易に骨肉を貫通してくる。


 それを理解した瞬間、これまでの相手との戦いで最も鮮明に死を感じた気がした。これは無理だと、諦観が脳裏を過った。


 形勢逆転。おそらく相手は模倣した透視の力で僕たちが自分の背後に来ることを読んで、そこを狙って動いてきた。少なくとも僕の想像の域を超える判断と動きだ。


 続けざま、鼓膜を轟かせる鉄製の咆哮ほうこうが僕の左胸めがけて噛みついてくる。


 眼で追うことも難しい速度の弾丸を前に、紐で吊るされた操り人形のように空中で揺蕩たゆたう僕はもはや死体も同然。


 思考ができてもどうにかできるわけもなく……けれど……僕の意志に反して、左半身が後ろに仰け反る。


「なっ……!」


「え……」


 僕の視界右側を銃弾が通り過ぎていった。途端、相手の口から驚愕の声が漏れる。同時に僕も驚きのあまり目を見張った。


 まるでそれすら読んでいたような……しかし、分かっててもこの状況でできる動きじゃない。


 僕たちが跳び上がってから弾丸が放たれるその間はほとんどなかった。


 そのコンマ数秒の僅かな間で、空中で咄嗟に体を捻ることができるセンス。やはり……彼女は只者じゃない。


 右、左の順で足を付くと、リードさんは即座に右足を振り上げて相手の拳銃を蹴り飛ばす。


 相手は空へ打ち上がっていく拳銃を見向きもせず、リードさんに右腕を背中に回わされても抵抗する素振りもなく、ただ静かに地面に体を押し付けられる。


「……くっ……」


 それは、痛みに耐えかねて漏れた息にも、悔しさのあまり出た声にも聞こえる。相手は片腕を地面につけると、力なく頭を下げた。


「終わりです。アイ・コピー」


 整わない息をそのままに、リードさんは告げた。そして左手を開いてホワイトキューブを大きく膨らませると、すぐさま相手の左耳に近付ける。


「……覚えて、おけ。私は、また……君達の前に、現れる」


「……そうですか。キャプチャー……」


 相手の表情は窺えなかったけれど、最後の言葉は静かに闘志をつづっていた。それにリードさんが返す言葉は冷たく、淡々とキャプチャーを開始する。


 僕はここまでの怒涛の動きに圧倒されて、まだ半ば呆然としている。死すら感じたあの一瞬だったのに、今はこうして生きている。


 だから何度も、何度も想う。リードさんがいなかったら……と。


 やがてホワイトキューブが白い粒子を吸いつくすと、楓の髪の毛は元の明るい茶髪に戻った。


 体は風船がしぼむように力が抜けて地面に伏せる。その横顔は、さっきまであったいつついしわが全て消え失せていた。


「大丈夫です。呼吸はちゃんとしてます」


 リードさんがそっと楓の首元に手を当てるや、そう報せる。無事だと分かって、僕はようやく安堵の息を吐いた。


「はぁ……良かっ、たぁ……」


 力が抜けて思わず腰を下ろすと、一度頭を下げてから天を仰ぎ見る。


 すると、リードさんが張っていたドーム状のシールドがまるで空気の中へと溶けるようにっすらと消えかけてることに気付く。


 その様子を呆然と見届けてると、やがて心地よい一風が僕たちの後ろへと吹き抜けていった。


 ふと、ざわめく大樹の方に視線を向けると、あの女の子が小さな赤ちゃんを大事に抱きかかえていた。


「あ……ごめん! お姉ちゃん、大丈夫?」


 横たわる楓をひとまず置いておき、僕は女の子の元に駆け寄る。


 見たところ、特に外傷はない。彼女はいつの間にか倒れてる母親をよそに赤ちゃんを抱きかかえていた。


「う……だ、大丈夫……」


「……そっか」


 僕は努めて、笑みを浮かべた。正直もう気を抜いたら意識が飛んじゃいそうだけど、今はただこの子に安心してもらいたかった。


「その赤ちゃん……お姉ちゃんの妹? 弟?」


「い、妹……」


 まだ怯えてる様子だけど、女の子もまた笑顔で応えてくれてた。


「……そっか。ごめん……お母さん多分、疲れて寝ちゃってるだけだと思うから。腕、痛くない? 妹ちゃん、お兄ちゃんが抱こうか? 」


 本当は分体が機能しなくなって倒れたんだと思う。だって僕たちを囲むように突っ立っていた他の人も、気付けば皆一様に草原の上で倒れ込んでいたから。

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