第29話

 この季節になると、寒暖差が顕著だ。早朝と夜は肌寒いけど、昼は焼けるような暑さが襲ってくる。


 久しぶりにカーディガンを着てみたけど、早朝のトレーニング後ということもあって、熱した状態の身体とは相性が最悪。


 とりあえずカッターシャツだけ着ておいて、カーディガンはリュックの中にしまっておいた。


「いってきます」


「はーい、いってらっしゃーい」


 孝子さんは、今日は午前だけ休みらしい。まあ、それは僕達のせいだけど。


 院内の三階の調査を昨日の夕方から今日の朝にかけて警察がしているのだとか。それが終われば、おそらく僕達のところにもそのうち来るのだろう。


 それはさておき、今日は平日の金曜日。さすがに学校には行かないといけない。相手がどこから来るのかも分からない状態だが、それが学生生活を放棄する理由になりえない。


 今後の高校生活ももちろん内定に響いてくるし、なにより孝子さんには自分の授業料諸々を払ってもらってるわけだから、怯えながらでも僕は行くつもりだ。


『予定しているバス、間に合いますか? 少し走るの遅い気がいます』


「そりゃあ、早朝からトレーニングしたからねっ! おかげで時間も体力も元気もないよ!」


『今日も無事にトレーニングを完遂されて、介様は凄いと思います』


「それもう聞いたから!」


 褒められても出ないものは出ない。それで足の速さが筋肉痛前に戻ったり、体力が戻ったり、元気が出てきたりしたらどれだけいいことか。


 残念ながら僕の体はそう都合良く回復はしない。現実は厳しく、今はこの足を止めるわけにもいかないのだ。目的のバスに乗れないと、本当に遅刻する。


 僕は筋肉痛の体と焦燥感を抱えながら、住宅路を駆け抜けていった。



######



あい。ちょっといいか」


「あ、はい」


 四限目終わりのチャイムが鳴った直後、教壇の前にいた担任から声が掛かった。


 クラスがざわざわと席を立ち始める中、僕はその中を掻い潜って先生の元へ向かう。


「愛田、確か妹さんいたよな? 一年生だったか」


「あ、はい。います」


「その妹さんのクラス担任の大日だいにち先生が、職員室に来て欲しいと呼んでてな」


「あ……今からですか?」


「うん。頼む」


「分かりました」


 頷き返して、僕は一度自分の机のところまで戻り、机の上を片付ける。


かい。弁当食べようぜ」


「あー、ごめんひょう。先に食べてて。僕、職員室に呼ばれたみたい」


「えー、マジか。昨日サボったから?」


「サボってないって。ちゃんと連絡してたし」


 多分……。孝子さん、ほんとにしてくれた……よね? まあ、先生からそのことについては特に何も言われてないし。


「とりあえず、先食べてて」


「おー、分かった」


 瓢太を僕の机に落ち着かせてから、いつの間にか入り組んだ迷路のようになってる教室を抜け、廊下に出る。


「……どうしよ、リードさん」


 周囲に誰もいないことを視認してから彼女の名を呼ぶと、誰もいなかったその場所にパッと姿を出した。


『妹さんが行方不明になったと言うのは止しておいた方がいいでしょう。下手すると、事が大きくなり、挙句の果てには死人が出てしまう可能性があります』


「まあ、だよね……」


 昨日の病院での戦いで三人も銃殺されている。しかも、かえでの中にはアイ・コピーがいる。誰か先生がもし今の楓と遭遇したら……。


『介様の保護者……たか様が、楓さんの件をどのように話してるか次第だと思います』


「あぁ、確かに。そっか……楓の欠席理由にもよるよね……」


『もし孝子さんが病気等を理由に話していたのなら、介様も病気だと説明しておけば大丈夫だと思います』


「……でも、診断書とか言われそうじゃない?」


『その時は正直に持ってきていないと言う他ないです。もしくは、孝子様が事前に連絡していることにかけるか、ですね』


「うーん……」


 実は楓、陸上部に所属している。言い訳を並べるのなら、顧問の先生にもそのことを説明しないといけない可能性を考慮すると……。


 考えもまとまらず、どうしたものかと頭をこねくり回してると、もう一階の職員室前まで辿り着いてしまった。


『代わりに私が介様の体を使って話すという手もありますが』


「いや、それだと髪とか眼の色が変わっちゃうし。しかも職員室前だから、生活指導の先生に目付けられて怒られるかもだし」


 最初に戦った時、相手に髪と眼の色を指摘されて、リードさんが僕の体を使う時に外見に変化が現れることはとっくに気付いてる。


 それが気になって確認したのは昨夜と今朝方の二回。洗面台の前にいる自分はまるで異国の人かと思うくらい派手な見た目に変わっていた。


 気になったのは頭。髪の毛全体ではなく、毛先だけがリードさんの髪と同じ色ということ。


 加えて瞳も毛先と同じ色に変わるとなると、そんな見た目で職員室に行ったら即生徒指導室行きになるのは想像にかたくない。


 僕は職員室の扉前まで来ると、一旦そこで立ち止まる。職員室に入る時はいつも緊張する。


 厳粛な空気の中、自分の名前とクラス、そして用のある先生の名前をできるだけ大きな声で言わなくてはならない。


『やはり私が出ましょうか』


「ちょっ、びっくりさせないでよ。今、心を落ち着かせてたのに……」


 扉を叩く前に思わず変な声が出るとこだったよ……。


『すみません。では一旦、私は視界から消えます』


「あ、いや……できればいて欲しい」


 情けないとは思う。でもどうしても今の自分に頼るのは心細い。


 いつもならクリアな視界だけど、今はそこに彼女がいる。大したことじゃないのに、それだけで不思議と勇気が湧いてくる。


『分かりました。見ておきます』


 僕はリードさんに首を縦に振ってみせると、一歩前に出てコンコンと扉を叩いた。


「失礼します。三年三組、愛田介です。大日先生、いらっしゃいますか?」


 大きな部屋に響き渡る僕の声は、反響することもなく粛々とした空気の中に溶けていく。そんな僕の声を耳にした先生は何人かいて、こちらを振り向いてくれた。


 しばらくその場で立ち尽くしてると、やがて奥の方から足早に歩いてくる女の先生の姿が目に映る。


「あなたが、愛田さんのお兄さん?」


「はい、そうです」


 その先生は、毛先が肩を覆うほどの長い茶髪で、白衣を優雅に揺らしながら歩み寄ってきた。


 恰好は完全に研究員だが、丸くて大きな瞳と小さな鼻と口元、そして細くて長い体躯のシルエットがまるでモデルさんみたいに綺麗な人だ。


 こんな先生がこの高校にいたとは……。


「分かったわ。ちょっと、外で話せない?」


「あ、分かりました」


 大日先生に促されて、僕は職員室前の廊下へと引き戻される。大日先生も職員室から出てくると、扉を閉めるや徐に口を開いた。


「あの、今日ね、保護者の方に連絡したんだけど……どうしても繋がらなくてね」


「あ……そうなんですか」


 ふと、嫌な予感が胸中に疼く。午前まで病院は休みだって孝子さんは言ってたはずなんだけど……。

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