命日

白河夜船

 お盆は道が混んで面倒だからと8月16日以降の数日を適当に選んで帰省するのが、大学進学に併せて地元を離れた孝迪たかみちの毎年のルーティンとなっていた。幸い年中行事に厳格な家というわけでなし、家族から文句を言われたこともない。

「墓参りには行きなさい」

 と一応催促はされるので、大抵帰省初日かその翌日、夕方の涼しくなってきた頃を見計らい、線香と数珠と点火棒を持参して散歩がてら墓地へ向かうようにしていた。家から徒歩で十分ちょっと。うら寂れた寺院の片隅に、孝迪の家の墓はある。

 盆過ぎであるせいだろう。白っぽい花崗の石碑が立ち並ぶ小規模な墓地に、人の姿を見るのは稀だった。この時も、そうだ。暮れ時の墓地には、孝迪以外誰もいなかった。

 自分の家の墓。母親の実家の墓。と例年通り二つの墓に線香を上げ、「よし、帰ろう」という時にそれがふと目に付いた。


 日室家之墓


 日室ひむろ家―――日室。そういえば、あいつの墓もここだっけ。二、三度手を合わせて以来、碌に参らなかったので忘れていた。線香は残っている。折角だし、たまには墓参りでもしてやるか。

 彼の墓前に火を点した線香を供え、孝迪は合掌した。目を瞑ったまま、考える。日室が死んだのはいつだったか。高二の夏。確か、そう、夏休みが終わる直前だ。川で溺れたと聞いた気がする。死体は、まだ見つかっていないのだろうか。

 それにしても高校の夏休み終盤ということは、8月25から31日辺りが、彼の命日なんじゃないかしらん。ズボンのポケットからスマホを取り出し、日付を見た。8月27日。

「今日があいつの命日なのかもしれないな」

 朧気な記憶を頼りに、孝迪は独り合点して呟いた。何となく感傷的な心地で、紅みが差し始めた空を仰ぐ。

「いや、明後日なんだけど……」

 困惑したような声が誰もいなかったはずの背後から聞こえ、ぎょっとして振り返った。

「あっ。お前」

 声を掛けてきた人物を認め、孝迪は馬鹿みたいに口をぽかんと開けた。半袖の白シャツ、黒いスラックス――高校の夏服を几帳面に着た端正な容貌の青年が、孝迪の後ろに苦笑しいしい突っ立っている。

「日室」

「久しぶり」

 斜陽に照らされた彼は別に透けているというわけではないが、どことなく気配が希薄で、しかしそれ以外は記憶の中の彼と寸分変わっていない。

「幽霊なのか」

 孝迪が咄嗟に問えば、

「うん」

 と日室は事もなげに頷いた。






 幽霊とは、とかく恐ろしいものである。そう孝迪は思ってのだけれど、実際目の前にしてみると、日室の様子は生前と大して違わないのだから反応に困る。

「あー、その……最近どう。元気?」

 混乱と驚愕でいまいち思考がまとまらず、愚にもつかない台詞が口をついて出た。日室は笑って、「まぁ、ぼちぼち」などと曰っている。本気なのか冗談なのか判然としない。

「ていうか、え、何? 何してんの」

「何してるって、化けて出てるんだよ。見りゃ分かるだろ」

 孝迪は腕を組んで目を瞑り、真面目腐って「うーむ」と唸った。唸りながら、瞼を薄ら開けてみる。やっぱりいるな……まだいるよ………このまま渋い顔で黙ってたら、どっか行ってくれないかな。幽霊とか気味悪いし、正直あまり関わりたくない。

「なあ」

 不意に日室が孝迪をぐっと覗き込んだので、無視を決め込むのも難しくなった。後退り、「なんだよ」と問い掛ける。

「頼みがあるんだ」

「頼み?」

「そう、頼み。友達のよしみで聞いておくれよ」

「友達って。言うて俺達、そんな親しくなかったろ」

「ひど!」

 屈託なく日室は笑い、孝迪の肩をばしばし叩いた。確かに叩かれている。なのに不思議と掌が触れている感覚はない。試みに孝迪も日室の肩を叩こうとしたが、振り下ろした手は彼の肩を擦り抜けて、スカッと虚しく空を掻いた。うわ。マジで幽霊なんだなぁ……

「で、頼みっていうのは」

 孝迪の露骨な牽制など構うことなく、日室は飄々と言葉を続けた。

「見つけて欲しいんだ。僕の身体を」






「身体」

「まあ、僕が死んでもう何年だっけ。四年? 五年? 結構経ってるから、骨になってるとは思うんだけど。あのままってのも、なんか収まりが悪くって」

 僕の身体、埋まってるんだ。

 そう言って日室は、拗ねたように眉根を寄せた。埋まってる。日室は川で溺れたはずだ。流される内、川底へ死体が沈んで、その上に泥が被さったということだろうか。

「違うよ」

 孝迪の疑問に苦笑して、日室は首を左右に振った。

「雑木林に埋められたんだ」

「雑木林って」

「キタハラさんの裏に、あるだろう」

「………」

 日室が言うキタハラさんというのは、山裾に建つ廃屋だ。個人経営の医院だったらしい、いかにも病院然とした四角い無機質な建物で、廃業後は解体もされずにそのまま打ち捨てられている。その裏には雑木林が広がっているのだが、近くにある廃屋の不気味さと、鬱蒼と茂った樹々ゆえに、好奇心旺盛な子供達ですら滅多に近寄らないような場所だった。

「え。あそこに? なんで?」

「知らないよ。気づいたら埋まってたんだもの」

「ええ……それってつまり、殺されたってこと? 誰に?」

「そこが問題なんだよねえ」

 日室は顎に手を当てて、唇をへの字に曲げた。

「よく連んでた奴等の誰かだったと思うんだけど、どうしても分からないんだ。死ぬ前の記憶が曖昧で――ただ、まあ、仲いい奴が僕を殺したのなら、逆説的にそれほど仲よくなかった奴は無罪ってことだろ。『ちょっと僕の死体を掘り起こしてくれ』って、頼みやすいと思わない?」

「思わない」

 何だか非常にきな臭くなってきた。薄闇に包まれつつある墓地から慌てて逃げ出した孝迪の後ろを、軽快な足音が追い掛けてくる。

「死んでみて、幽霊がどうして人に憑くのか分かったよ。人に憑いたら、縁がある場所以外にも行けるんだよね」






 ありがたいことに、家人が最低限掃除をしてくれているらしい。帰省中、四畳半の自室は埃っぽいということもなく、エアコン未設置という致命的な一点に目を瞑りさえすれば、快適に過ごせる状態となっている。物が減って生活感が薄らいだ分、昔よりも小綺麗な印象を受けるくらいだ。

「へえ。いい部屋だね」

 扇風機の前で氷嚢を抱え、棒アイスに齧り付いて涼を取っている孝迪の横で、暑さを感じない風の日室は暢気に言った。

「皮肉か?」

「違うよ。卑屈な奴だな」

 日室の家は地元の名家とまではいかないが、比較的富裕な家である。いつだか通り掛かった際、外から眺めた彼の家の佇まいは、孝迪の家とは比べるべくもなく立派だった。そんな家に住んでいた人間から部屋を褒められたところで、素直に「うむ」と胸を張れるわけがない。

 孝迪は溜息を吐いた。孝迪が日室と大して仲良くないというのは、本当だ。同じ土地に住んでいたので、小中高と同じ学校に通って、顔見知り程度の関係になってはいたが、それ以上でも以下でもなかった。

 機会があれば話しもするし、遊びもする。しかしそれだって、ほとんど学校内の義理的付き合いの延長線のようなものであり、校外で示し合わせて会ったことは一度もない。孝迪の人生において日室という人間は、始終遠景の一部のような存在だった。

 部屋に微妙な距離感の友人(しかも幽霊)が居座っている。大学最後の夏休み――就職後は長居できないだろうと、一週間のんびり実家古巣で過ごす予定だったのに、何故こんなことになったのか。

「運が悪かったね」

 孝迪の心を読んだように、くすくすと日室は笑った。

「こっちがどんなに働きかけても、気づかない人は気づかないものだよ。君は運が悪かった」

 可哀想に。と言いつつも、日室の顔付きには全く悪びれる様子がない。こいつ……。思い立って塩を撒いたが効果はなくて、汗水垂らして塩まみれの部屋に掃除機を掛ける姿を、日室に揶揄われただけだった。惨めである。






「身体の一部でも見つけてさ、墓の近くに埋め直してくれれば満足なんだよ」

 それさえしてくれれば、どこかへ行く。逆にしなければ、いつまでも取り憑いている。日室の主張はシンプルだが、シンプルであるがゆえに頑なだった。

 掃除をして綺麗になった部屋の真ん中で、孝迪は胡座をかいて考える。自分にしか見えない人間(死んでる)に付き纏われている―――今のところ別段悪さをされるわけでもないが、中々にストレスの溜まる状態だ。これがずっと続くというのは、あまり歓迎できない。

「場所は案内するから。ね」

「悪目立ちしそうだし、人に見つかったら俺が埋めて掘り起こしてるみたいに思われそうなんだけど……」

「ここら辺、夜は暗いだろ。真夜中とか、人通りが少ない時間にちょっと行って掘れば平気だよ」

「うーん」

 まあ、確かにここらは田舎なので夜は暗い。大きいシャベルや懐中電灯を持って動くにしても、農道を選んで通れば、人や車と行き合う可能性は低いだろう。泥棒が居なすぎるせいか、畑に盗難対策の監視カメラを置いているという話も聞かないし。

「でもなぁ」

「人が来そうな時は隠れられるよう報せるとかさ、僕も手伝うから頼むよ」

「ううーん」

 自力で幽霊を祓う方法など分からない。かと言ってこのような現状を、一体どこに、誰に相談すればいいのだろう。警察? 神社? 寺? 霊能者? いずれにしても現代社会において「何年も行方不明だった知人の幽霊が見える。そいつの死体が埋まってる場所を、当人から聞いて知っている」などと曰った場合、事件の関係者と見做されるのは避けられない。孝迪は日室の死に1㎜も関与していないというのに、そんな扱い、理不尽ではないか。

 一切合切無視を決め込むのが賢明なのかもしれない。しかし、いくら親しくないとは言っても、一応知り合い。殺され、埋められ、他殺であると発覚すらしないまま放置されているという身の上に、人並程度の同情は感じる。無碍にもしにくい。

「ううぅーん」

 断りたい気持と同情と実利を何度も天秤に掛け、孝迪は結局、日室の要求を渋々呑んだ。

「ありがとう!」

 ぱっと、人好きする笑みを日室は浮かべた。

「君って案外人が好いんだね。佐藤君」

佐原さはらだよ、馬鹿」

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