夏の憂鬱
吾輩は下僕である。
そんな一節が脳裏に浮かぶ。
蝉の鳴き声が燦々(さんさん)と降り注ぐ初夏。
我が家は設定温度22°Cの快適なエアコン天国だ。
それも全て我が主人の為である事は付け加えておかねばなるまい。
丸みを帯びた愛くるしい顔に、金色の鋭い眼光を宿した瞳。
鍛え上げられた肉体は黒と白の体毛で覆われ、口元からは鋭利な牙が垣間見える。
それが下僕の寝床で優雅に丸まって眠っているのだ。
ザクッ、ジョリジョリ…
私はやつが産み落とした茶色いブツを砂と共に水色の袋へと入れる。
下僕の日課の始まりだ。
種族の習性を利用したこの砂は実に合理的だ。
大きな欠伸をしながら目を覚ます我が主人。
いや、ペットなんだが…。
ペットのはずなんだが、一日の始まりがトイレの掃除から始まるのはいかがなものか。
そんな事を思いつつ、小さなスコップを片手に固まった砂をかき集めていると、我が主人が足に擦り寄っては顔をスリスリとこすりつけてくる。
いつの間にベッドから降りたのか、気配の殺し方は流石といったところだろう。
そして、何のアピールをしているかわからない毎日の日課。
カリカリの入った皿は、まだ充分な量を保っていた。
猫の食性からカリカリの置き餌は適しているらしい。
そのせいか、飢えた事を知らない我が主人は食事にあまり興味を示さない。
初めておやつを与えた時の威嚇と唸り声は遠い昔の話だ。
なので、水分を含んだウェットフードは注意が必要だ。
やつの気分で食べない間に痛む可能性がある。
まったく、やはりこれは下僕ではないか。
脇腹を優しく撫でながら、私はため息をついた。
そして、顎を掻くように撫でるとゴロゴロと喉を鳴らしながら横に寝転ぶ。
やつは誘っているのだ。
もっと撫でろと。
仕方なく、耳の付け根辺りをマッサージしてやる。
気持ち良さそうに目を細める姿を見て、次はここかと腹に手を伸ばす。
そして、しばらく撫でていると、噛まれた。
……いつもの事だ。
何が悪いのかもわからないが、言葉が通じないのだ。
遊べとアピールするように鳴くので、追いかけっこをしたら威嚇された事もある。
我が主人の機嫌を損ねぬように、遊び相手を努めるのも下僕の仕事だ。
そして、主人は独りになりたい時が多いようで、私を放置しては日向ぼっこに勤しみに廊下へと出て行く。
下僕の仕事からの解放。
上下運動ができるものがあれば、後は好きに徘徊するのだ。
一息ついた私は、スマホを片手に通販サイトを徘徊する。
探すものといえば、猫のおもちゃ、猫の餌だ。
どうも脳がやられているらしい。
あの種族は人間を支配する未知の力を持っているのだろう。
そんな日々が過ぎ去って行く。
ただ種族の特性が決定的に違う点がある。
いつか訪れる別れの日。
あと何度の夏を君と過ごせるのだろうか。
下僕の幸せな日々が終わろうとしている事に気づかない振りをしたまま、夏の陽射しが差し込む部屋で今日もやつの横顔を眺めている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます