第14話 中原中也は小説家ではなく詩人ですよね?

「ご、ごめんなさいっ!」


 影野さんが謝る必要なんてどこにもないのだが、瑠璃華を驚かせてしまったことに責任を感じているのだろう。

 彼女は謙虚に頭を下げていた。


「そ、その……つまり、二人で朗読してたってことでいいのかしら?」

「ま、そうなるな」


 僕は盛大に勘違いした元カノにやれやれと嘆息する。


 そもそも瑠璃華の中では、僕ってそういうことをするタイプの人間だと思っていたってことか?

 仮にも元彼をそんな犯罪者みたいに見ていたってことかよ。まじで信じられないな。


「な、なによ! 朝っぱらからこんなとこで、こんな紛らわしいもん読んでる方が悪いんでしょ!」

「だとしても、相手が僕だって気づいたなら、普通は気づくだろ」

「あんただったからよけいに分かんなくなったのよ。最近特に変だし……」

「なに? 言いたいことがあるならはっきり言ってくれ。聞こえないんだよ。――――っ!」


 ムッとした瑠璃華に睨みつけられてしまった。

 やはり瑠璃華の睨みには凄みがある。思わずお尻の穴がキュッと引き締まるほどだ。


「大体なんでこんなエッチな小説を二人で朗読なんてしてんのよ! 頭おかしいんじゃないの!」

「そ、それは……」


 実は影野さんが声優プロダクションに所属する声優で、今度行われるオーディション用のボイスを取る練習をしていた――なんてことは多分言っちゃダメなんだろうな。

 影野さんは恥ずかしがり屋だし。


「そういうゲームしてたんだよ」

「は? どういうゲームしたらこんなエッチな小説、朝っぱらから二人で朗読しましょうってなるのよ」

「別にどんなゲームでもいいだろ」

「良くないわよ! ちゃんと答えなさいよ!」

「嫌だね。瑠璃華には関係ないだろ」

「元カノなんだから関係あるわよ!」

「それのどこに関係があるんだよ!」

「あの!」


 影野さんの突然の大声に、僕と瑠璃華はビクッと肩を震わせ、目を見開いた。


「お、お二人はその……付き合っていたんですか!」

「へ……?」


 その質問に少々戸惑いながら、僕は瑠璃華をちらっと見た。瑠璃華は中学の頃の話よ、と微笑みながら答え、なぜか少し自慢げな表情を浮かべている。そして、彼女の小鼻がピクピクと動いているのが見えた。


 「そうなんですか。子供の頃の話なんですね」


 影野さんが少し嬉しそうなのは、どうしてだろう。


「中学生はそこまで子供じゃないわよ! 特に中三は高校生と変わりないと思うけど」

「いえいえ、中学生は中学生。子供ですよ。ノーカンてやつですね」

「ノ、ノーカンッ!? っんなわけないでしょ!」

「いえいえ、絶対ノーカンですよ。それとも、お二人はこの小説に出てくるようなことをされたんですか?」


 再び差し出された小説に視線を落とした瑠璃華は、そのタイトルを口にしかけて、やめた。


「なっ、してないわよ! するわけないでしょ! あたし達はまだ中学生だったのよ!」

「はい! ですからノーカンですね」

「………くっ」


 影野さんの天使のような微笑みとは対照的に、瑠璃華は鬼のような表情で歯ぎしりをしていた。

 僕は思わず「歯が悪くなるからやめた方がいいぞ」と忠告してしまった。

 彼女の歯ぎしりはかなりひどいものだった。


「うっさいわね! あたしの歯なんだから、どうなろうが元彼のあんたには関係ないでしょ!」


 それは、確かにその通りなので何も言い返せない。ただ、心配してやったのにその言い方はあんまりだと思う。

 瑠璃華は本当に性格が悪くなってしまった。

 昔はこんな子じゃなかったのに……。

 時が経つにつれて、彼女の心は醜い老婆のように変わり果てていくようだ。


「瑠璃華のほうこそ、朝から図書室になんの用なんだよ?」

「えっ!? あ……その、も、もちろん本を借りに来たのよ。図書室なんだから当然じゃない!」


 どこか嘘くさいんだよな。

 漫画ならコスプレイヤーとして稼いだお金で買い占めているだろうし、わざわざ学校の図書室に借りに来ることなんてないはずだ。それが突然、図書室を利用し始めたとなれば、考えられることは一つ。


「小説か?」

「え……ええ。そうよ、小説を借りに来たのよ。たまにはそういうのも楽しいかなーって」


 なるほど、そういうことか。


「お前、文豪ストレイドッグスにハマったんだろ?」

「……うん、まぁ、そんな感じかな。すごくハマってるわけじゃないけど、好きは好きよ。イケメンキャラがたくさん出てくるから」

「それで文豪たちに興味が出て、わざわざ借りに来たってことか?」

「……あー、うん。まあ、そんな感じかな」

「ちなみに好きなキャラはどなたなんですか? 私は断然芥川龍之介推しです! やっぱり公式が最大手ですよね」


 やはり影野さんも腐界出身者だったか。キラキラと瞳を輝かせながら会話に加わってきた。

 文豪ストレイドッグスはまさに腐女子ホイホイ。沼ると簡単には抜け出せなくなる魔術書のようなものだ。


「あたしは中也かな」

「一番人気ですね。でも、中原中也は小説家ではなく詩人ですよね?  彼は小説を書いていないはずです」

「えっ、あ……詩集も小説も似たようなもんじゃない!」

「……そうですか? まあ、そういうことにしておきましょう」


 腐女子仲間を見つけて嬉しかったのか、影野さんは思いのほか楽しそうだった。


「それはそうと、まさかあんた達は最近毎日図書室ここで朗読会をしているんじゃないでしょうね」

「してますよ? 結城くんに付き合ってもらって、毎日やっています。あっ、でも誤解しないでくださいね。普段は私が読むのを結城くんに聞いてもらっているだけです。それに、エッチ系ではなく『廻れ狂想曲』の台詞を読んでいるんです」

「……なんでそんなことするのよ」


 怪訝な顔をする瑠璃華に対して、僕は慌てて誤魔化そうとしたのだが、影野さんが大丈夫と手で制止してきた。


「いいの?」

「はい。どうやら彼女は同志のようですから」


 と、影野さんは謎の持論を展開する。

 彼女がそれでいいのなら、それ以上は僕が口を挟むようなことではない。

 二人だけの秘密が消えてしまうことは少し残念だった。けれど、そこは僕も大人になろうと思う。


「声優!? 影野さんが!」

「瑞月でいいですよ」


 僕はそんな風に言われていなかったので、少しだけ元カノに嫉妬してしまった。


「声優って……あいつが結婚したい職業第一位じゃん」

「どうかしたんですか?」

「べ、別になんでもないわよ。っていうか、あたしのことも瑠璃華でいいわよ」

「本当ですか! じゃあ、瑠璃華ちゃんと呼ばせてもらいますね」


 元カノと現カノが仲良くしているみたいで、僕としてはなんだか複雑だった(影野さんは僕の彼女ではないけど……)。


 ――キーンコーンカーンコーン。


「あっ、鳴っちゃいましたね」


 予鈴の音に促されるように、僕たちは図書室を後にした。





―――――――――――――――――――


本日は二話更新いたします。

15話は、いつも通り本日の18時30分頃にあげる予定です。


楽しんで頂けると嬉しいです。

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