災難な釣果−1話
柔らかな芝生にごろんと寝転がって、ゆっくりと流れる白い雲をぼんやりと見つめた。鳥籠ねえ、と流線型のワイヤーを何本か合わせたやつ、とその中でぴょんぴょん跳ねながら甲高い声で鳴く文鳥が思い起こされる。昔いとこの家で飼ってたっけ、いまはどうなんだろう−−などと、とりとめもなく考えながら、あまりののどかさにうつらうつらし始めた頃、手首に巻いた時計型のガジェットが震えた。
「うわあ!?」
「わっ!…あ、あれ?そんなにびっくりした?」
ばくばく鳴る心臓をごわつくツナギごと抑えながらその場から転がるように数メートル離れる。慌てて周囲を見回すもそこには釣竿を抱えたマコしかおらず、どういうことかマコの手首のガジェットは反応を感知していないようだった。
「…?」
「だいじょうぶ?ごめん、ちょっと驚かせようとしただけなんだけど」
「え?」
「ほら、でもすごいでしょ。でっかいカエル!」
「カエルっ、調査と関係ねーだろ!はやく逃がせ!!」
マコの手の中にあるでっかいカエルをようやく視認して、俺は今度こそ悲鳴をあげた。マコは俺の反応にけらけら笑って、カエルをそっと湖に返した。カエルはゲコ、と一声鳴くとその寸胴な体からは思いもつかない機敏な動きですいすいと泳いでいってしまった。水を蹴る飛沫がビビりでしかも金槌の俺を嘲るようにすら感じられ、はあー、と深いため息をつく。
「やっぱりまだこわい?」
「…わかってんならやめろよな、ああいうの…」
俺は動物が苦手だ。生物研究所でバイトをしているくせに、と思われても仕方ないが、入所に至るまでにはそれはもう各所を巻き込むいざこざ諸問題があり、やむなく未だバイトとして働いている。
動物と言っても哺乳類から昆虫まで幅は広いものだが、俺は基本的にその全てがもれなく苦手なのである。さっき回想したいとこん家の文鳥だって、小学生のとき戯れに髪の毛を毟られて大泣きした挙句一時期部分ハゲになった苦い思い出しかない。カエルなんてもってのほかだ。畦道を歩いているときなど目の前に飛び込んできたり、アスファルトの端で干からびていたり、夏場はどこにでも現れて恐ろしいったらない。1番おぞましかった記憶は…思い出したくもない。
マコは恐怖の対象からどうにか落ち着きを取り戻そうと深呼吸している俺の横に座り、自分で自分の羽と絡まってバタバタやっているトンボのようなモーターをどうにか直そうと苦戦していた。
「ごめんって。調査、着いてきてくれるっていうから、克服しようとしてるのかなあと思って、手伝おうかと思ったんだけど」
「初手でっかいカエルは力業すぎるだろ」
「それなら初手なんならいけそう?」
「…ちっさい…エビ?とか…?」
「エビかあ、ここいるかなあ」
いても探さなくていい。そう思ったが言わないことにして、いつまでもワイヤーを結ぶのに手間取っているマコから釣竿をもぎ取ってさっと元に戻して返した。ありがとう、と無邪気に喜ぶマコから照れ隠しに顔を背ける。マコはようし行くぞー、と再度釣竿を背負い湖に入っていった。
ぼけっと釣り番組を眺めていてもしょうがないし、俺もここで作業の続きでもするか。ツールバッグを取りに行こうと立ち上がると、マコはちょうどなにかがヒットしたような様子でリールを勢いよく巻いていた。
「ユウー!タモ取ってきてタモ!」「タモ?」
「あみ!あみ!そこのバケツに入ってるやつ!」
真っ黄色のバケツに立てかけられた持ち手のついた網を見つけ、これか、と慌てて持っていく。長靴のまま水に入り、マコのそばまで歩みを進める。小石につんのめって冷水が長靴に入ったが、気にしていられないほど竿は強く引いていた。
「こ、これどうしたらいいんだよ!?」
「岩とかどっかに引っかかっちゃったかと思ったんだけど、もしかしてなんかにカメラ持ってかれちゃったかも。ちょっと頑張って引き寄せるから、上がってきたらそれですくって捕まえて!」
「ええ!?」
初心者に求める所業にしてはハードルが高すぎるのでは無いだろうか。しかし手伝うと言ったからには仕方ないか、ともかく釣り糸越しに獲物と格闘するマコを背にして、水面に目をこらす。気づけば腿が水に浸るほど深くまで進んで来てしまっていた。
ワイヤーの先にある水面は確かに山なりに盛り上がっているものの、魚影らしきものは全く見えない。俺が網を水中に浸したまま困惑していると、マコがうわっ、と声を上げて勢いよく竿を振り上げた、と同時に仰け反って背中から水にダイブした。
「マコ!大丈夫か、」
「ぶはっ、あー、糸切れちゃったみたい」
あんな太いワイヤーを?探査用のカメラを繋いでいた釣り糸は金属を織り込んだもので、よく見るテグスとは段違いに丈夫なはずだった。見ると確かに先端、浮きより下の部分が引きちぎられたように切れて無くなっていた。
頭からずぶ濡れになって、逃げられちゃったね、とさも愉快そうに言いながら、立ち上がる気配もないマコに手を差し伸べた。俺のせいで逃げられた、カメラ弁償させられるかな。俺がそうごちるとマコはけらけら笑った。
「やばいかなあ、あれいくらくらいするんだろ?」「ぜったい高いよな…しかしあのサイズが持ってかれるなんて、よっぽど大物だったんだな」
「あはは、逃がした魚は大きいってだれが最初に言ったんだろうね」
マコは濡れた頭を犬のようにぶるぶる振って、肩に竿を担ぐ。なにか言おうと口を開いたその時、2人の手首にあるガジェットが光り、大きく振動し始めた。
「うわ!?さっきの魚かな、」
「姿は見えなかったけど、さっきはこんなじゃなかったぞ」
「そ、そっか、たしかに…」
クリーチャーたちはそれぞれ差はあるものの、一様に特殊なエネルギーを発生させている。研究員たちはクリーチャーの接近にすぐに気づくことができるよう、そのエネルギーを感知して知らせるためのガジェットを装備するよう義務付けられているのだ。
こんなに強く反応するなんて、今までになかった。振動の激しさは確かクリーチャーの距離や速度、体調などの状態、そしてエネルギーの大きさによるもので、つまりはこの振動はすぐ近くに得体の知れないなにかがいるという警戒信号だ。ぞっとして軍手ごと手のひらを握りしめる。
「やばいぞこれ。ハカセを呼ぶか?」
「そ、そうだね、連絡しとく。ユウ、平気?」
「、うっせ、とにかく急いで陸に上がろう」
「うん、先行ってて!私また竿投げてみるから」
「はあ!?バカ無理に決まってんだろっ、」
「さっきは惜しかったじゃん!次はいけるかも、それにカメラ、呑み込んでたりしたら危ないよ」
「だいたいルアーもなくてどうすんだよ!」
「ちゃんと予備持ってるよ、ほらじゃーん!」
マコは誇らしげに丸っこい魚の形をしたルアーをツナギのポケットから取り出した。太陽の光に反射してキラキラ光る大振りのそれを、切れた釣り糸の先に無理やり括り付ける。針も付いてないのに、そんなもんで本当にかかるのか?だいたいかかったとしても無事に捕まえられる保証はないのに、と言いたいことが色々あるはずなのに、真剣そのものの横顔に呆然として何も言えなくなる。
カメラがどうとか言ってるが、これは絶対にあの力強い引きを見せた生き物を絶対に一目見たいという顔だ。時々思うけど、こいつ命の惜しさというものを持っていないんだろうか。好奇心は猫をどうたらという言葉を知らないのだろうか。いくら好きでも程々に付き合わないと、餌になっては元も子もないだろうに。
「……っ、ば、バカじゃねえの…」
目の前の同僚は初めて蝶を見た猫のようにじっと湖面を見つめている。俺は鳴り止まない警戒音に急かされるように踵を返し、陸へと足を動かし始めた。ーまあ、好きにしたらいい。どうせ俺が言っても止めやしないんだろうから。浅瀬だし、そう危険なこともない、はずだ。
背後でひゅん、と音がする。ふたたび竿が振られたのだろう。ふと振り返ると、ルアーが水に沈んだと思った瞬間、これまでとは段違いなほどに大きく竿がしなった。
「うわあっ!」「、マコ!!」
マコが前のめりにぐらつく。思わず駆け寄り竿を掴むも、ぐんっ、と物凄い力で腕が引っ張られる。まずい、と思う暇もなく荒れる水流に足を掬われ、2人分の体を丸ごと持っていかれる。ルアーにかかった「なにか」は竿にぶら下がった俺たちの負荷をものともしない様子で、水中を猛スピードで駆けていく。
「うわあああ!!」
「ま、マコ!!手ぇ離すなよ、」
「ええっ、でも、がぼぼ」
「ごぼっ、は、離したら、こいつの目の前に出ちまってぶつかるかもしんねえだろっ、」
こんな猛スピードで縦横無尽に泳ぎ回る生き物に突進されでもしたらと考えると背筋が凍る。それなら助けがくるまで引き回しの刑に合っていたほうがよほどマシだ。
−−けど、ふと恐ろしい想像が脳裏をよぎった。マコも同じだったようで、必死に息を継ぎながら問いかける。
「ね、ねえユウ、もし深くに潜られちゃったらどうしよう?ここすごい深いって、」
「……お前泳げる?」
「うん、得意だけど、ユウは」
「俺が餌になってる間に逃げてくれ」
「ユウそんなー!!」
言ってる側から竿の先の生き物は突然水底に向かって下降を始めた。ギリギリのところでどうにか息を吸ってどぼんと水中に潜る。衰えることの無い速度に目もまともに開けられないまま、ただぐんぐん深くに潜っていることだけわかった。
俺はこのまま死ぬんだな、と思い始めたのもつかの間、ぶわり、と竿の先から波状に広がる衝撃が伝わった。俺たちは勢い水上に押し上げられ、どうにか水から頭を出してぜえぜえ呼吸をする。生き物の動きは完全に止まっていた。
「げほっ、げほ、マコ!」
「っはあ、ユウだいじょうぶ!?」「っああ、へいき、一体何が…!」
ぎくりとしたのは周囲の水が真っ赤に染まっていたからだった。まさかどこか怪我をしたのかと背筋が凍る。マコ、と呼びかけると、彼女は見開いた目に涙を浮べて未だ2人で握りしめていた竿の先を見つめていた。つられて振り向くと、湖面には大きな白い船のような、つるりとした紡錘形の生物が目を閉じて横たわっていた。
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