レインブーツを履いて
mimiyaみみや
レインブーツを履いて
彼に振られた。
終電までまだ時間はあったけれど、何となく電車に乗る気がしなかった。頭の中が真っ白で、ただ足が覚えているままに、夜の帰り道を歩いていた。
彼が浮気をして大げんかした時も、私は許した。
彼が私に黙って仕事を辞めた時も、結局は付き合い続けた。
なのに、彼は「疲れた」と言った。一方的に別れを切り出され、思わず「わかった」と言っていた。来週のデートのために予約していたレストランを、キャンセルしなきゃと頭の外側で考えていた。
きっかけがないと悲しむこともできない私は、とてもつまらない人間だと思う。人気がない小道で、ぽつり、ぽつりとおあつらえ向きの雨が降ってきて、私はようやく天に向かって叫んだ。
「なんで私が振られないといけないのよ!」
涙がぽろっと零れたところで目の前にお雨さまが現れて、
「泣かないでおくれ」
と言った。
「いや、すまなんだ。降られるのを嫌う人も多いことは知っておるが、わしだってたまには降りたいんじゃ。どうか許してくれんか」
人前では出てこない私の涙はひっこんでしまった。私は猛烈に腹を立て、トンチンカンなことを言うこの老人をどうしてくれようかと拳を握り締めた。
「嫌よ、絶対許さないわ! すぐ止ませて。じゃないとぶっ叩くわよ!」
「ひぃ、暴力はいかん。年寄りをいじめちゃいかん」
手で頭を守りながら哀願するお雨さまを見て、ふっとかわいそうになった。この甘さのせいで苦労してばっかりだったが、こればっかりは生まれ持ったものだからしかたがない。ため息をついて、所詮小さな私の悩みは横に置くことにした。
「困ったわ。なにか良いアイデアはないかしら」
「ふうむ」
「雨って、降ってくるから濡れるじゃない? でも、たとえば下から滲み出してきたら、濡れるのは靴底だけだから、許せると思うの」
私のアイデアに、お雨さまは膝を打って、
「面白い!」
と言った。
「ふむ、下から湧く雨! わしもやったことはないが、これは面白いかもしれぬ」
「どうかしら、これで許してあげる」
「ほ、ほ、ほ。良い考えを言ってくれた。ワクワクするのう」
そう言い残し、お雨さまは消えた。
翌朝の気象ニュースは珍妙なものだった。
「今日は全国的に雨になるでしょう。西日本では各地で大湧きになる見通し。東日本ではおおむね小湧きとなる見通しですが、突然激しく湧き出す地域もありますので、お足もとにご注意ください」
大湧き小湧きって、大降り小降りのことかしら。だったら土砂降りは土砂湧き?
お雨さまとの交渉に成功した人って、そう何人もいないに違いない。最初にお雨さまが現れたときの情けない姿を思い出し、次に私が柄にもなく大声を上げたことを思い出したら笑えてきた。拳を振り上げ子供のように怒鳴る姿はさぞみっともなかったことだろう。
けらけらと笑いながら、家にあった役に立たない折りたたみ傘をゴミ袋に入れ、シューズラックからレインブーツを取り出した。買ったのはいいけど、ちょっぴり派手に思えて、一度も履かずにいたレインブーツ。新品のラバーソウル!
履いてみると、
「似合うじゃん!」
外では、地面からふつふつと雨が湧いていた。あちこちにある水たまりが太陽を反射して眩しい。私は家の前の大きな水たまりを、ぴちゃんと踏みつけた。
なんだか勇気が湧いてきた。
レインブーツを履いて mimiyaみみや @mimiya03
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