第16話

「え……?」

 まさか、とアイビーは瞠目した。

「〈幻操師〉の体には刻印があるんでしょ? だけど彼にはそんなの、」

「あくまでも予想だということを前提でお聞きください」

 言いつつ、彼の目には確信の色が浮かんでいた。

「数ある〈幻獣〉の中に、『死者の監視』というべき力を持つものが何種類かいます。中でも最も有名なのがこれです」

 トクスが指で叩いていたそこには、黒い犬が描かれていた。

 ただし普通の犬ではない。頭が三つもある。目は爛々と光り、威嚇するようにむき出した牙からはよだれが滴っている。一目で猛犬と分かるほどだ。

「これの名は〈幻獣〉ケルベロス。信じがたいかも知れませんが、シェアトさんはこれに由来する力を宿していた可能性があります」

「嘘ッ!」

 思わず叫んだアイビーに対し、トクスはどこまでも冷静だった。

「兄さんは〈幻操師〉から力を奪い取る際、体に歯を突き立てます。けれど彼の時にはそれをしていなかったはずです」

 まるでする必要はない、というかのように。殺せば用済みだと。

 アイビーはこれまでのシェアトとの生活を振り返り、でも〈幻操師〉の片鱗なんてなかったと目の前が眩んだ。しかし〈幻操師〉の家の屋根は全て緑色だと聞いているし、実際シェアト宅の屋根は緑色だった。

 どうして黙っていたのかなんて、聞くまでもない。先ほどトクスが言った事情が背景にあったからなのだ。

「もしシェアトさんが〈幻獣〉ヒュドラの魂を封じていた場合、彼が死んでしまえばそれは解放される。兄さんはそれを狙っていたのかと」

「嘘よ、そんな……」でも、とアイビーは震える声で続けた。「ヒュドラはまだ蘇っていないんでしょう……?」

 今のところヒュドラが蘇ったという報告は受けていないはずだ。つまりそれは、シェアトが生きているということでもある。シャガもそう言っていたではないか。アイビーの疑問に、トクスは「多分」と短く答えただけだった。

「……あたし、やっぱりシェアトを捜しに行く」

 焦燥感が胸に募っていく。軍も懸命に彼を捜してくれているだろうが、やはり自分で見つけ出さなければ安心できない。アイビーが立ち上がるのと、「待ってください」とトクスに腕を掴まれたのは同時だった。

「兄さんに見つかればあなたも無事ではいられない」

「それはシェアトだって同じじゃない!」

 感情的に言葉をぶつけながら、彼の手を振り払おうと腕を振る。だがトクスの力は強く、無理やりに歩き出すと、同じように立ち上がった彼に見下ろされた。その瞳は「断固として行かせない」と語っている。

 怯むまいと唇を噛み、アイビーは一層腕を振る。

「お願いだから行かせて、彼を早く見つけないと、あたしは」

「少し厳しいことを言いますが、軍が総出で捜しても見つからないものを、あなた一人が加わったところで何になるんです?」

「っ!」

 彼の言うことは正論だ。だが、それで片付けられないことだってある。

 離して、と彼に背を向け、乱暴に腕を振り払おうとした。が、

「えっ……」

 急に引き寄せられたかと思うと、頬が何かに押し付けられた。突然の事に一瞬目の前が白み、背中を撫でられる感覚で我に返る。

「俺がちゃんと兄さんを止めていれば、あなたをこんな目に遭わせる事は無かったのに。本当に申し訳ない」

 柔らかくも、懺悔に満ちた声音が降ってくる。この時になって、ようやくトクスに抱きしめられているのだと理解が追い付いた。

「不安なのも、焦るのも分かっているつもりです。俺だってそうです。だけど、もし今あなたが出て行って、兄さんに見つかって……そんなことになったら、俺は一生、自分を許せない」

 背中を撫でる手はまるで、駄々をこねる幼子をあやしているかのようだった。それでも不思議な安心感が広がっていく。アイビーは大人しく彼の胸に顔を埋める。やがて絞り出した声は、自分でも驚くほどに穏やかだった。

「ヒュドラが国にどんな被害をもたらしたのか、あたしよりあなた達の方が知っているはずでしょう? 五年前に倒せたのだって、ヒュドラが動きを止めたからだって。それを分かってて、どうして蘇らせようなんて考えたの」

「兄さんは、ヘデラの前でヒュドラを倒そうとしているんだと思います」

 自分は強くなったのだと証明させるために。聖女の命を蝕んだ仇敵を自らの手で討ち、彼女に認めてもらうために。

「上手くいくって思っていたの?」

 シャガが力を付けたとはいえ、ヒュドラの力は強大なはずだ。軍や〈幻操師〉たちが戦っても敵わなかった相手に、一人で挑むというのか。ヒュドラが復活したことによって周辺への被害だって出るかもしれない。そんな事を、彼らが考えていないとは思えなかった。

「言いましたよ、無茶だし止めた方がいいと。多くの犠牲だって出かねない。そこで俺と兄さんの方向性が分かれたんです」

 トクスは嘆声を漏らし、ようやくアイビーを放した。再び椅子に座り直すと、「それから何度も対立しました」と彼は右腕を袖の上から抑えつけながら言葉を紡ぐ。

「兄さんはヒュドラを復活させようと意固地になっていて、俺は何としても止めようと必死になっていた。ある時に兄さんは強引に王宮を出ようとして……俺は咄嗟に、〈幻獣〉イフリートの力を使ってしまった」

 しまった、と思った時には遅かった。トクスの炎はシャガの顔を焼いた。

 同時期、シャガは有力貴族の令嬢との縁談がまとまりつつあった。シャガは秀麗な王妃に似て端正な顔立ちをしており、国内外で非常に人気があった。だが、トクスが負わせた火傷は顔を醜く変え、縁談も破談となった。

「当然ですが聖女はもういない。だから傷の治癒も出来ず……」

 結果的にシャガは醜い部分を仮面で覆うようになり、聖女と仲違いをしたあの時と同じように、再び引きこもるようになってしまったという。

 トクスは毎日のようにシャガの部屋に赴き、火傷の謝罪と、考えを改めるよう訴えたのだという。だが、いつの日も返事はなく、やがて数ヶ月が過ぎた。

「兄さんはいつも扉も窓も締め切り、部屋に閉じこもっていました。けれどある日、庭から兄さんの部屋を見上げたとき、窓が開け放たれている事に気が付いたんです」

「窓から逃げたってこと?」

「ええ。自分の目的を果たすために」

 トクスはすぐさまシャガの捜索に向かった。兄は戦闘向きではないとはいえ「魂の吸収」という未知数の力を保持する〈幻操師〉であり、怒りに任せて何をしてくるか分からない。軍をぞろぞろ引き連れて追うのでは刺激してしまいかねないと判断した彼は、単独行動に踏み切ったという。

 シャガがどんな目的を抱いていたのかは分かった。とはいえ、分からないことはまだある。「あたしを殺そうとしてまで何をしていたのか。それについてまだ聞いてないわ」

「〈幻獣〉フェニックスは、死の間際に炎に飛び込み灰となり、その灰からまた蘇ると言われています。それを知った兄さんがこう言っていました。『正式な手順を踏んでいない』と」

「……聖女が蘇らないのは、炎に包まれていないからとでも?」

「ええ」

 腐敗しない聖女の遺体は、姿をとどめたまま聖堂に安置され、信仰の対象となっていた。だからいつまでも復活しないのだ、とシャガは繰り返し説いていたという。

「だったら聖女の体だけ燃やせばいいだけの話でしょう。でも、あたしのことも焼けって指示していなかった?」

「ここからは俺の仮説になりますが……」

 人が生きるためには魂が必要だという説をご存知ですか、と聞かれたが、アイビーは素直に首を振って否定した。

「魂は一人に一つ宿り、心臓と共に人が生きる動力源になると言われています。また死後は肉体から解放され、別の人物に生まれ変わるというのが定説です。つまり『聖女の魂』がすでに別の人物として生を受けていた場合、仮に体を炎に包ませたとして、灰から生まれるのは果たして自分が知る彼女なのか、兄さんには分からなかったんだと思います。『聖女の魂』はこの世には一つしか存在せず、同時期に二つは存在しえませんから」

「……あたしが、『聖女の魂』を持っているとでもいうの?」

「そう考えていたのではないかと」

「でも」アイビーは聖堂の地下で二人が言い争っていた時の事を思い出す。「あなたが主張していたみたいに、聖女は……ヘデラは生きていたみたいに見えるんだけど」

 シャガは「魂はアイビーに生まれ変わったままだ」と主張し、トクスは「アイビーは無関係だ」と真っ向から対立していたように思う。

「兄さんは力の特性上、魂が視えるんだそうです。五年前に彼女が死んだとき、魂が体から抜け、どこかへ漂っていったのも目撃したと言っていました。それに関しては嘘じゃないはずです」

「でもその魂がどこに行ったのかは知らないんでしょう?」

 そのまま浮遊していたのか、新たに生まれ変わったのか。シャガが予想したのは後者であり、聖女の魂を元の体に戻すためにアイビーを殺そうとしていたのではないかとトクスは言う。

「だけど、おかしくない?」アイビーは首を傾げ、自分の胸を指で叩いた。「生まれ変わるって事は、赤ちゃんとして新たに生を受けるって事でしょ? 聖女が五年前に死んで、生まれ変わった姿があたしだとしたら年齢が変じゃない。今の状態じゃ『生まれ変わった』というより『憑依した』の方が正しい気がするし」

 魂が別の人物として生を受けていた場合、普通に考えれば年齢はゼロ歳から五歳のはずだ。

「それに――自分で言うのもなんだけど――本当にあたしに『聖女の魂』が宿っているんなら、それを抜いて聖女に入れればよかったんじゃないの」

 焼き殺されるのはごめんだ、と言外に含んだのを感じたのか、トクスは左右に首を振った。

「兄さんの能力はあくまで『魂を抜き取り』『吸収する』ことであって、抜き取った魂を別の誰かに『入れる』ようなものではないんです。だからアイビーと一緒に肉体を滅して、一旦体と魂を分離させて、ということを考えていたようなんですが」

 実行する寸前に、トクスがそれを拒んだわけだ。

 止めて正解だったと思うわ、と椅子に深くもたれ、アイビーは聖女と交わした言葉を思い出していた。

 ――あたしは、あなたの生まれ変わりなの?

 ――いいえ。

 そう即答した時、彼女の顔に迷いはなかった。恐らく否定は真実なのだろう。

 それに、

「彼女、炎を拒んでいるみたいに見えたけど」

 今から君を燃やそうと思う、と宣言したシャガに、聖女は何度も首を振っていた。

「ああ、もう。何が何だか」トクスはがしがしと髪をかき乱し、力尽きたように項垂れる。「炎に包まれなければ蘇らないというのがそもそも誤りなんでしょうか。それに、どうして君は彼女しか知り得ない記憶を持っているんでしょう」

「そんなのこっちが聞きたいわよ」

 断片的に記憶は鮮明になりつつあるが、どうも自分の実体験に思えないというのが正直なところだ。

「ひとまず話を進めます。調べなければならないことがある」

 トクスは手元にあった書物を、アイビーが見やすいように二人の中央に置いた。

「何を探そうとしているの?」

「馬車の中でも話したかと思いますが、〈幻獣〉には個体ごとに違う場所に埋め込まれた〈核〉が存在します。それを破壊すればいかなる〈幻獣〉でも死ぬ。これはどんな〈幻獣〉を生成したかという記載ですから、ついでに〈核〉の位置についても記入はないかと」

 そう言った彼はしばらく無言で頁をめくる。邪魔をしてはいけないだろうと静かに見守っていると、「ああ……」と落胆した様に顔を覆った。

 開かれたそこには、九つの長い首を持つ生物が描かれている。全身を覆う鉛色の鱗と、何もかもを切り裂いてしまいそうな鋭い爪。獰猛な光を湛える瞳はこちらを睨み、開いた口からは今にも毒か炎を吐き出しそうな迫力があった。

「お察しの通り、これがヒュドラなんですが……」

「〈核〉については、どこにも書かれてないみたいね」

 二人の期待は外れ、書いてあるのはどれほどの大きさだとか、どんな力を持っているかとか、そういったことばかりだ。求めていたことは記されていない。

「というか、これに書かれていたとしたらすでに対策が打ち出されていると思うんだけど」

 アイビーの指摘に、トクスは「うぐぅ」と声にならない声を出しながら天井を仰いでいた。

「じゃあこっちはどうだろうな……」と呟くように言ったトクスは積み上げられていた書物の一つに手を伸ばす。日に焼けてボロボロのそれには「家系図」とだけ書かれていた。

 聞けば、権力や財力などを持つ高名な家系を代々に渡って記録しているものらしい。とうに滅びてしまった家系も残されているそうだが。

「これを見てどうするの?」

「〈幻獣〉ヒュドラを生成した魔術師の家系を見ようと思って」トクスはヒュドラの頁を指でなぞり、生成した家を特定していた。「こちらにも少なからず『どんな〈幻獣〉を生み出したか』という記載はあるはずです。そちらにも書かれていないか探します」

 よほど古いものなのか、扱いを誤るとそこから崩壊してしまいそうな書物だ。

 詳しく聞いてみると、魔術師に関する書物は全て禁書として処分されてしまっているらしい。しかし中には、個人の家に保存されているものがあったようで、受付の女が言った「例のもの」とは、ようやく見つける事が出来たそれら書物の事だという。その多くは管理が甘かったため、こうして日に焼けてボロボロになっているようだ。

 机の上には他にも、それらしい書物が積み上げられている。

 慎重に頁を捲ったトクスは「これかな」と訝るように首を傾げた。

 見てください、と差し出されたページの冒頭に書かれた「フィアト」というのが家の名前だろう。家名の隣には紋章が描かれている。

「これってヒュドラ、よね」

 アイビーは紋章を指でなぞる。そこには九つの首を持つ生物のシルエットが描かれていた。

「馬車の中で少しだけ話したかと思いますが、家を守る守護獣として〈幻獣〉を作り出す家系もあった。これはその一例でしょう」とトクスがうなずく。

「魔術が最も盛んだった時期、どこよりも利益を得ようと同業者を潰し、『我が技術はあの家よりも優れている』と示す輩も大勢いた。それに対抗し、家を守るために〈幻獣〉を作り出して返り討ちにする。そうすることで周囲に力を誇示出来るからではないか、と別の文献で読みました」

 トクスから渡されていた冊子に目を通す限り、フィアト家は相当強大な力を持つ家系だったらしい。〈幻獣〉が関連する簡単な戦歴も乗っていたが、ほぼ全てで大勝を収めている。恐らく高額な報酬も出たのだろう。ゆえに同業者や〈幻獣〉および魔術を憎む者、単に財産目当ての盗人などに狙われやすかったのかもしれない。

 そして彼らは、家を守る守護者として〈幻獣〉ヒュドラを生み出し、家の紋章としたのだろう。

 その下には代々の当主とその妻、子、そのまた子。それぞれの生没年月日もご丁寧に記されていたが、しかし、

「これ、滅んだってこと?」

 まるで家系図を塗りつぶすように、赤いインクで大きくバツ印と数字が書かれているのだ。さらに老若男女関係なく皆十四年前に死没している。赤いインクの数字と同じだ。

「ああ、それについては……これかな」

 アイビーに書物を預けたまま、トクスは別の書物を引きずり出す。ずっしりとした重みがありそうな、かなり分厚い代物だ。しかもアイビーの顔を隠してしまうほどに大きい。

「これは毎年書かれる、その年に起こった物事を記録したものです。今出したものは十四年前のもの。つまり、その家系が滅んだ年。これも同様に禁書扱いされているものです」書物の表紙とバツ印の隣にはそれぞれ四桁の数字が記されており、二つは見事に一致している。「一家離散という形で滅ぶ場合もありますが、どうもこれは違うらしい。で、次は……あった、ここを見ていただきたい」

 トクスは書物をバラバラと捲り、とある一説を読み上げる。「魔術を行っていた家系が見つかり、一族もろとも処刑されたとあります。そのうちの一つが」

 フィアト家。

 アイビーの高い声と、トクスの低い声が綺麗に重なった。

「……こちらにも記載はありませんね」

 落胆を露わに彼が呟く。どれだけの領地を持ち、いくら資産があるのかなどは克明に記されているものの、肝心の部分については書かれていない。

「そもそも、五年前に現れた〈幻獣〉ヒュドラと、フィアト家が作り出した守護獣であるヒュドラは同一なの?」

 他の魔術師が生み出した可能性も捨てきれない。フィアト家以外の〈幻獣〉生成歴を見てはどうかと尋ねたが、トクスはゆるゆると首を振った。

「少し前に調べましたが、見つけられませんでした。ヒュドラは力が強大なだけに多くの材料や資金、犠牲が必要となり、そう簡単に生み出せなかったんでしょう。失敗した場合のリスクもそれなりに伴うはずです」

 そのリスクすら跳ね除けるだけの力がフィアト家にはあったというのか。末恐ろしい家だ。

 行き詰まった、とトクスは顔を覆い、眉間をもみほぐす。ただでさえ炎を操り、毒に蝕まれて体力を消費しているところに、頭まで回転させているのだ。さすがに疲れがたまってきているらしい。

「ひとまずそれでも飲んだら」

 多少は気分が入れ替わるだろう、とアイビーは半ば放置されていた彼の分の羊乳を勧める。トクスは大人しくカップを手に取り、ちびちびと口を付けた。

 なんとか彼の助けになれないかと考えつつ、「そういえば」とアイビーは首をひねり、胸を軽く叩いた。

「何か、ここに引っかかっているような気が……」

「?」

 思い出そうと必死に頭を働かせる。何かとても大事なことを思い出している気がするのだ。

 記憶を探るのは難しい。どこで切れてしまうか分からないか細い糸を手繰っているような気分だ。焦れば簡単に糸は途切れ、求める答えに辿り着けない。アイビーはじっくりと、けれど急いで何かを思い出す。

 ――そうだ、森で。誰と話していたのかは分からないけど。

 ――将来の事を話していて、その時に。

「守護獣は、家が途絶えると同時に滅びるものだって、聞いた気が……」

「はい?」

「フィアト家が十四年前に途絶えたっていうのなら、ヒュドラだってその時に、」

「ちょ、ちょっと待ってください」慌ただしくカップを置き、トクスが身を乗り出す。少しだけ残っていた中身が、机の上に跳ねた。「家が無くなれば滅びるなんて、そんなの聞いたことがない」

「え? そうなの?」

「どこで聞いた話なんです?」

「はっきりとは覚えてない、んだけど」

 けれど、真実のような気がしてならない。根拠はないのが苦しいところだが、トクスは「ひとまずそれを仮定として考え直します」と言ってくれた。

 記録に残されている中で、ヒュドラを生成したと伝えられている家は一軒だけ。その一軒も十四年前に滅んでいる。だが、彼らを守護していた〈幻獣〉と思しき個体は残っている。

 ということは、だ。

「フィアト家の誰かが、生きている……?」

 二人は顔を合わせ、家系図に目を落とした。

「だとすれば、一体誰が……」

 心当たりは、と視線で訊ねられるが、アイビーはすぐに首を横に振った。

 家系図に書かれている名前一人一人に目を通していく。氏名にも同様にバツ印が振られているため、読みにくいことこの上ない。

 最も短命な者は二歳、対して長命なのは八十歳。そのどちらも十四年前に処刑されている。二者の間に記された者たちも同様だ。アイビーとトクスはじっと目を凝らし、一つ一つの氏名に目を通していく。

 そして、

「あっ――――!」

 二人の指が、同時に一点を指した。

 ――ヘデラ・バロック・フィアト。

 死没年はやはり十四年前。十二歳で生を終えたと記されているものの、その名は大いに見覚えがある。

「ヘデラは、魔術師の家系出身、なの?」

 彼女の過去について何か知らないかと尋ねたが、トクスは無言で首を振った。

「彼女はあまり自分の過去を語りませんでしたから。俺も兄さんも深くは聞きませんでしたし。それに同名の別人だという可能性も捨てきれません。しかし、この名が確かに彼女のものだとして、一つ仮定を立てるならば――」

 トクスは絞り出すようにして自分の考えを述べていく。それはアイビーにも納得がいくものだった。

「失礼いたします、トクス殿下!」

 階下から慌ただしい音と共に野太い声が聞こえる。なんだ、とトクスが応えると、緊張気味の若い軍人が階下から現れた。

「はっ。先ほど、聖堂を囲っていた炎が消滅したと報告が入りました」

「なに?」それで、と促したトクスの声はこれ以上ないほどに強張っていた。「兄さんはまだその場に?」

「はい。女性を伴って、聖堂前に」

「シェアトは?」

 彼は見つかったの、というアイビーの問いかけに、軍人は「それが、まだ」と首を振る。

「なら、早く行かないと」

 シャガはヘデラを復活させた後にシェアトを殺しに行くと宣言している。彼の目論見はどちらも手遅れになる前に止めなければならない。それだけは確かだ。

 アイビーが目を向けると、分かっている、とトクスが鬼気迫る表情でうなずいた。

「今すぐクレエへ発ちましょう」

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