第15話
「……どういう意味?」
「そのままの意味ですよ、純粋な問いです。あなたは俺が知る人に……聖女によく似ていますが、何かが違う。それを確かめるためです」
「あたしはあたしよ」アイビーは指先で机を叩き、彼に冷笑を向けた。「それ以外になんと答えろと言うの? むしろあなたなら同じことを聞かれたら何と答える?」
「俺は紛れもなく国王の第二子です」トクスは背筋を正し、右腕の袖を捲り上げた。「そして〈幻獣〉イフリートの力を持つ〈幻操師〉でもあります」
あまり見せたいものではないのか、彼はすぐに袖を戻した。
「そのことは知らなかった。どうして教えてくれなかったの」
「聞かれなかったので」
確かに聞かなかったが、聖堂で実際に力を使っていたところ以外は能力を目にしていない。刻印も隠されていたし、気付きようがなかった。アイビーはため息をつき、話題を切り替える事にした。
「行方不明だなんだって騒がれている割に、堂々と街中を歩いていたような気がするんだけど」
「俺は失踪したわけじゃありませんからね。単独行動をしていた、というだけで」
「……そうなの?」
「行方を晦ませたのは兄さんだけです。どこで誤解が広まったのか、俺も共に行方不明だと民衆には伝わっていたみたいですが。だから俺にはこそこそ隠れる理由はないんですよ。普段は護衛を付けていたせいで悪目立ちして騒ぎになっていたんですけど。王子の顔なんて、案外誰も覚えていないものですよ」
聖都市へ着いて門を通り抜ける際、トクスが門番の軍人に話しかけていたのは、兄の行方について説明していたかららしい。
「さて、悠長にはしていられません。回りくどいことは無しです」
トクスの言う通りだ。シャガがいつ炎や軍を突破し、居場所を特定して襲ってくるか分からない。それに、軍より先に彼がシェアトを見つければ――今度こそシャガは、シェアトを殺すだろう。異論はない、とアイビーは首肯した。
「兄さんが何をしようとしていたのか、でしたね」
「ええ。シャガは〈幻操師〉だけを襲っていたんでしょう? だけどシェアトは〈幻操師〉じゃないはずよ。なのに、どうして」
「お言葉を返すようで申し訳ありませんが、シェアトさんは間違いなく〈幻操師〉ですよ」
「!」
信じられない、とアイビーは首を振ったが、トクスは「事実です」と繰り返す。
「けれど彼がどんな力を保有していたのか俺には分かりません。兄さんは知っていたようですが……」
ただ、心当たりはあります、とトクスは腕を組んだ。
それは何かとアイビーは身を乗り出したが、「ひとまず〈幻操師〉を襲うに至った経緯から話します」と着席を促される。
「俺と兄さんはかつて一つの夢を抱きました。『聖女の復活』です。五年前に命を落とした彼女を、蘇らせようとしたんです」
「……あなたたち、共犯なの?」
「違います。その点については信じてください。俺は兄さんを止めたかったんです」
階段を上る軽い音が聞こえる。階下から現れたのは受付にいた女だった。両手で盆を持ち、上にはカップが二つ乗せられている。付近の農場で朝早くに絞った羊乳を温め、蜂蜜を入れたのだという。アイビーはそれをありがたく受け取って口にした。優しい味が全身に沁み、思わず吐息を漏らしてしまう。
ひとまず彼の話を信じよう、とアイビーは椅子の背にもたれた。
「聖女って、聖堂の地下であたしのそばにいたヘデラって人?」
「ええ。彼女こそ、かつてこの国の民を救わんと奔走し、命を落とした聖女その人です。以前にも話した通り、聖女は〈幻獣〉フェニックスの力を持ちます。フェニックスの伝承として最も有名なものをご存知ですか」
どうだろう、と首をひねる。結局アイビーが悩んでいる間に、トクスが「不死です」と答えを述べていた。
「だからその力を持つ聖女も、死ねばまた蘇ると思っていたとでもいうの」
「信じていましたよ、強く」けれど、と彼は目を伏せた。「どれだけ待っても、彼女が再び起き上がることは無かった。四年前に聖女を讃える祭りが開催されるようになってから、その遺体を直接目にすることが出来るのは王族だけになりました。保有していた力の影響か、彼女はいつまでも腐敗しなかった。いつまでも、死んだときのままの微笑みを浮かべていたんです」
いっそ朽ち果ててくれたならば、と何度も思ったという。生前の面影など無くなってしまえば、きっぱりと諦めがつくのに。トクスの望みに反し、聖女は美しいままだった。それが逆に今にも起き上がりそうで、ついぞ諦められなかった。
「その思いは兄さんも同じだった。だから俺たちは、聖女を復活させられる方法を模索し始めたんです」
彼の口調は熱を増していく。それに対し、アイビーは首を傾げた。
「あなたもシャガも、ヘデラに少し執着しすぎじゃない? 国民を救ってくれた恩を感じて慕っているとか、それだけじゃないように見えるもの」
「……そりゃあ、執着もしますよ」
だって俺たちは、彼女の事が大好きですから。
そう答えた彼の瞳には、敬愛の色が浮かんでいた。
「彼女はヒュドラによって国民が苦しめられる以前から、世界各地を回って病人たちを癒していたと聞きます。まだ年若いのに立派なことだと父が……国王が感心し、王宮に招待したのがきっかけで、俺と兄さんは彼女に会いました」
国王と聖女の面会に臨席していたトクスとシャガは、世界各地を旅したという彼女の話に深く関心を抱いたという。当時十三歳だったトクス自身、王に連れられながら各地を回ってきたつもりでいた。だが、聖女はそれよりも多くの土地を踏んでいた。
東の果てに浮かぶ孤島や、南に点在する島々。夜でも陽が沈まない極寒の地や、気を抜けば命を落としかねない灼熱の砂漠。どの土地も、トクスが足を踏み入れたことも無い場所だった。
「どうして旅を続けるのかと聞いた時、彼女は躊躇いも無く答えました。『これは私の使命であり償いです』と」
「償い?」
「聞きましたけど、答えてはくれませんでした。ともあれ、俺と兄さんは彼女がしばらく逗留すると聞いて喜びました。何度も招待し、時には食事を共にすることもありましたよ。……兄さんも、そして俺も、彼女に恋をするのに時間はかかりませんでした」
三人は多くの時間を共有し、語らった。
「彼女は俺にも兄さんにも優しく接してくれた。俺は初め、自分のこの感情は単に慈愛溢れる笑顔を姉のように慕っているだけだ、と思っていたんですが、どうも恋だと気が付いた。けれど、俺はすぐに彼女への想いを隠すようになりました」
豊穣の女神を祀る地で祭りが開催されると聞き、ヘデラが行ってみたいと提案した時があった。護衛と共にトクスやシャガは祭りに向かい、思う存分楽しんだ。
帰る間際には聖堂にも立ち寄り、女神に祈りを捧げた。その後、トクスは見てはならないものを見てしまう。
「兄さんと彼女が、口づけを交わしていたんです」
なかなか聖堂から出て来ない二人が気になり、名を呼びながら聖堂を覗いた時のことだ。
無言のまま見つめあう二人に、トクスは「なんて綺麗な光景だ」と思うと同時に、失恋を悟った。彼女が愛しく感じているは兄なのだと。
「あれ以降、二人は頻繁に足を運びました」
どこになんて言わなくても分かるでしょう。声も無く彼に問われ、アイビーはぎこちなくうなずいた。
「……あの聖堂ね」
「ええ。兄さんは自分と彼女以外の誰も――俺さえも立ち入りを許さず、二人で静かな時間を過ごしていました。覗き見る事さえ許可されていませんでしたよ」
「え、それじゃあ」お気付きですか、と目で訴えてきたトクスに、アイビーはぎこちなくうなずき、答えた。「あの光景を知るのはシャガと聖女本人だけ……ってこと、よね?」
アイビーの問いに、トクスは無言で首肯した。
「そんな、でも!」
自分の記憶の中には、確かにシャガと思われる人物と聖堂で過ごした時間の一部始終が残されている。交わした言葉は少なかったが、それだけ二人の間に言葉などいらなかったということだ。
どういうことだ、意味が分からない。混乱のあまり椅子を弾き飛ばさん勢いで立ち上がり、アイビーは何度も首を振った。再び着席したのは、「落ち着いて下さい」とトクスに諭されてからだった。
「やがて月日が流れ、兄さんは聖女と結ばれることを望むようになりました」とトクスは微笑んだ。が、それはすぐに一変する。
「ですが、まず身内から反対が出た」
なぜだか分かりますか、と尋ねられ、アイビーは「何となく」と腕を組む。
「王太子だから」相違ないかと目を向けると、彼は無言で続きを促してくる。どうやら正解らしい。「それに比べて、聖女と呼ばれてはいるけれど相手はただの一般人」
「そういうことです。兄さんには彼女と出会った頃から他国の王女や有力貴族との縁談も出始めていました。国の方針としては政治や貿易の強化、発展のためにも、権力を持たない聖女と結ばれるのは好ましくない。それに……」
こうなれば二人で逃げよう、とシャガは聖女に提案したという。逃げのびた地で共に暮らし、幸せを築いていこうと。だが、
「彼女は『自分には許されない』と。彼女は生涯純潔であることを自分自身に誓っていると、俺は意気消沈した兄さんに聞かされました。あの姿は痛ましかった」
その日以降、シャガは聖女と顔を合わせなくなった。
想いあう二人が決裂するのは悲しく、トクスは何度も部屋の前から呼びかけたが、彼は自室に引きこもったまま返事すらしなかったという。それだけ堪えていたのだろう。
ヒュドラが現れたのは、その一週間後だった。
「兄さんは引きこもっている間に、〈幻獣〉に力を授かっていました。言わば聖女と同じ〈幻操師〉になったことで、ある程度立ち直ったんです。それで、やっと彼女に会いに、逗留している宿に向かった。しかしそこに彼女はいなかった。話を聞けば森に行ったらしい。俺や護衛も付き添いで一緒に行っていたんですが、ここからは自分一人で、と森へ入ったのは兄さんだけでした。きっと話し込むだろうなと思っていたんですが、兄さんは慌てたように戻って来た」
『大変だトクス、〈幻獣〉だ! 森の泉に、巨大な〈幻獣〉がいた! そばには彼女も! きっと襲われているに違いないんだ、助けないと!』
初めは信じなかったトクスだが、シャガの呼びかけによって護衛の一部は援軍を求めて王宮へと駆け、残りは森へと突入した。果たしてそこには九つの首を持つ〈幻獣〉がおり、軍からの攻撃をきっかけに大騒動へと発展していった。
「以前にもお話した通り、彼女は不眠不休で民を救うために力を尽くしました。俺と兄さんは彼女が救った民を守るためにも戦線にいましたが、肝心の彼女を救うことは出来なかった。最期は駆けつけた兄さんの腕の中で息を引き取り、棺に納められました」
兄弟の嘆きは計り知れない。特に、彼女と決裂したままだったシャガの悲嘆は想像を絶する。
「彼女の喪に服してしばらくあと、兄さんは妙にすっきりとした顔で俺の部屋にやってきました」
初めは彼女の死から立ち直ったのかと思った。しかし、笑顔の中に狂気を感じ取ったのはすぐだった。
「兄さんは、『彼女が自分に振り向いてくれなかったのは、自分が強くなかったからだ』と」
「どういうこと?」
「森で〈幻獣〉と彼女を見つけた時、兄さんは〈幻操師〉として力をろくに振るえずにいたんです。それで、彼女を失望させてしまったんだと、ずっと考えていたようで」
「実際に彼女はそう言っていたの?」
「聞いたことありませんよ」はあ、とトクスは嘆息を漏らした。「それに傍目に見ていても、彼女は間違いなく兄さんに惹かれていた。だから兄さんの考えははっきり言って思い込みなんです」
そもそも兄さんの力は戦闘向きじゃない、とトクスは痛言した。
「そうなの?」
「ええ」
トクスは「〈幻獣〉」とだけ書かれた一冊の書物を開き、アイビーに差し出した。〈幻獣〉を生成した記録と思しきそれには、一ページごとに〈幻獣〉の見た目や能力が書き込まれ、トクスが示した部分には鷲に似た巨大な鳥が描かれていた。
「これが、兄さんに力を授けた〈幻獣〉フレズベルクです。名前は古い言葉で『死体を飲み込む者』を意味しており、兄さんはこれに由来した『体から魂を抜き出して吸収する力』を保持しています」
「飲みこむのと抜き出すのでは違うと思うけれど」
「兄さんの場合、抜き出した魂を飲みこむことで記憶や身体能力をそっくりそのまま受け継ぐことが出来るんです」
「……ねえ、まさか」
「兄さんは〈幻操師〉を殺して魂を吸収することで、あらゆる能力を身に付けていったんです」言いながら、トクスは左手で五本、右手で二本、それぞれ指を立てた。「初めからある力を除いて、今兄さんが保有している力の数です」
つまり、それだけの人数を殺したということだ。
「シェアトもそれに含まれているのね」
「そこなんですが……」
言葉を選ぶように唸ったあと、トクスは手を伸ばして書物の頁を何枚か捲りながら話を続けた。
「聖堂の地下で兄さんが言っていたこと、覚えていますか?」
――だって、檻だから。
「馬車の中でも説明したように、ヒュドラの体と魂は分離され、体は地下深くに、魂は『魂を封じ込める』という〈幻操師〉に、それぞれ封じられました」
「つまり、シャガはその〈幻操師〉も殺したって事?」
「ええ。ただ、誰かは俺にも分かりません。八人のうちの誰かだと思うんですけど」
「どうして」
「仮にも国を襲った大災厄の魂を封じているんですよ。本人に業がないとはいえ、人々にとっては憎い奴の魂を宿した〈幻操師〉です。公表すれば周囲から忌避され、蔑まれる可能性があった。だから、檻の役目を果たしていた人物を知るのは兄さんと国王だけです」
シャガの能力を考える限り、ヒュドラの体から魂を抜き出した〈幻操師〉というのは彼の事なのだろう。初めは封印ではなく、シャガがそのまま吸収してしまえばいいとも言われていたようだが、彼自身が断固として拒否したのだという。そのため、魂を封じ込める〈幻操師〉にヒュドラの魂を引き渡した。
「それで、恐らくですが」頁を捲っていた彼の手が止まる。開かれたそこを指で叩き、「ヒュドラの魂を封じていたのは、シェアトさんではないかと思うんです」
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